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馬鹿

 こういう時のために、教会という迷える者を導く場があるのだとフィーネは思った。だが前世のことなどおいそれと話すわけにもいかず、結局祈るだけになってしまうのが自分らしい。


 フィーネはため息をつきながら、椅子から立ち上がった。


「こんにちは、フィーネ。元気でしたか?」

「……こんにちは、マクシェイン様」


 今日もユアンはフィーネに話しかけてきた。だがフィーネは前回のことで彼とあまり顔を会わせたくないと、手短に挨拶を済ませて別れるつもりだった。使用人たちの言葉も、今はフィーネの心に重くのしかかっていた。


「ユアンと呼んで下さい、と頼んだはずですが?」


 あいにくユアンの方はそのつもりは全くなさそうだが。


「……出会って間もない人をそんなに軽々しく呼べません」


 さっさと前を歩くフィーネの後ろを、当然のようにユアンもついてくる。


 彼は暇なのだろうか、とフィーネはちらりと彼の方を見る。だがユアンがにっこりと笑うと、すぐにさっと前を向いた。


「では、お互いのことをもっとよく知りましょう」

「けっこうです。私はあなたのことを知りたいとは思いません」


 もうついて来ないでくれと、フィーネは足早に距離をとろうとする。だが、そうするとユアンも負けじと速度を上げる。フィーネは足をもっと忙しなく動かす。するとまたユアンも足を動かす。


 ……長い脚が恨めしい。


 いつしかフィーネは走るようにユアンから逃げていた。それでもなおユアンがついてくるので、途中からなぜかかけくらべのようにして二人は広場まで競争していた。


「はあ、はあ、あなた、は、いったい、なにが、したいん、ですか」


 ぜえぜえと息を切らしながらフィーネがユアンを睨みつけると、息一つ切らしていない様子で彼は爽やかに微笑んだ。


「あなたと、話がしたいんです」


 とんでもない男だとフィーネは改めてユアンの端正な顔を眺めた。


「――それで、何を話したいのですか、ユアン様は」


 広場のベンチに座り、フィーネはやや開き直った口調で彼に話しかけた。ようやくユアンと呼んだことが嬉しいのか、彼は機嫌よく返事した。


「そうですね、何でもいいんですが、やはりここはお互いのことを話しましょう」


 なぜ婚約者のいる自分たちがお互いを知る必要があるのか。内心そう思ったが、この際もう手っ取り早く簡単に話した方が早いとフィーネは口を開いた。


「私の名前はフィーネ・ティレット。あなたの叔父であるマクシェイン様と親しいニコラス・ブライヤーズ様の婚約者です」


「はい。ニコラス様は一目見てあなたのことを気に入ったようですね。社交界で噂になっております。見目麗しく、礼儀作法もとても中流階級の出だとは思えないほど完璧だとか。ニコラス様はそんなあなたが自慢で、いつも見ず知らずの人間にあなたのことを話していたというではありませんか」


 ですが、とわざとらしくユアンは首をかしげた。


「ここ最近は別のご令嬢にご執着のようですね」


「……あなたは、レティシア様が私の婚約者と仲良くしているのが気に入らないから、私に八つ当たりしているんですか」


 自分がニコラスの手綱を握っていないと、そう責めたいのか。


 だったら、それは大間違いだ。フィーネが握っているのではない。ニコラスが、フィーネの手綱を握っているのだ。


 そんな自分にどうすればいいというのだ。フィーネは悔しそうに俯いて、ユアンの非難に耐えることしかできなかった。


「……すみません。そんなつもりではありませんでした」


 その声に顔を上げると、ばつが悪そうにこちらを見ているユアンがいた。彼は頬をかきながらもう一度謝罪の言葉を述べた。そんな顔もするのか、とフィーネは意外に思った。


「あなたがあまりにそっけない態度をとるので、つい大人げない態度をとってしまいました。レティシアのことを持ち出したのも、あなたが一番反応を示してくれるからです」


 子どもみたいな言い訳にフィーネは呆れる。


「……あなたはおいくつですか」

「はい。すみません」


 素直に謝る彼は、本当に反省しているのだろうか。フィーネはこっそりため息をついた。


 昼下がりの広場には、親子連れや子どもたちがいてとても賑やかだった。ここ数日天気も良くなったが、今は雲一つない晴れ渡った青空だ。


 どうしてこんな日に自分はレティシア様の婚約者と話をしているのだろうと思いながら、ぽつぽつと話し始めた。


「私は、ニコラス様がレティシア様を好いていることは知っています」


 ユアンも、それはすでに知っているだろう。とくに驚いたそぶりもない。


「でも、私はニコラス様が決定的な別れを言いださない限り、彼の婚約者としてあり続けるつもりです」


「それは、彼が好きだからですか?」


「……はい。そして、私の両親、一家を助けて頂いた恩があるからです」


 フィーネは自身の家族を襲った出来事についても、ユアンに話した。なぜ話そうと思ったかは、フィーネにもよくわからない。もしかしたら誰でもよかったのかもしれない。


 ただ自分に興味を持った、自分と同じ境遇にいるユアンが偶然、隣にいたからかもしれない。


 彼は黙ってフィーネの言葉に耳を傾け、全てを聴き終わると、どこか納得のいかぬ顔で感想を述べた。


「それはつまり、弱みを握られているということではありませんか。あなたは本当にニコラス様を愛しているんですか」


 フィーネはふっと微笑んだ。


「逆なんです」

「逆?」


 意味が解らないと言うユアンに、フィーネはええと頷いた。


「確かに私は、私の家族の安寧と引き換えにニコラス様の婚約者になりました。それを人々は拒否権のない強制と判断するかもしれませんが、私はこれでニコラス様が私を簡単に手放すことができなくなったと、安心したんです」


 ユアンはフィーネの言葉をもう一度頭の中で整理しているのか、黙り込んだ。そして、一つの疑問を提示した。


「あなたは嫌ではないんですか。何かの引き換えにあなたの愛を要求する男が自分の婚約者だなんて」


 ユアン・マクシェインという男は、ひどくはっきりとものを言う。彼は社交界でもこのような感じなのだろうかと、ふと心配になった。


「フィーネ?」

「……最初は、嫌でした。でも、同時に彼がそこまで私を欲してくれることが嬉しかったんです」


 フィーネは自分の言葉に、ああそうだと思った。


 最初は絶望した。またニコラスから離れることができないのかと。それを怖いと、恐れ、嫌悪する気持ちもある。でも一方で、彼に求められる喜びもあった。他の女性ではなく、また自分を選んでくれたという優越感にも似た気持ちが。


「家族の安寧という、絶対に断ることができない要求を持ちだしたことは、それだけ私を愛してくれて、手に入れたいと思ったからでしょう?」


 フィーネは、空っぽの心が満たされていく気がしたのだ。


「そんなものは……」


 ユアンの言葉は途中で途切れてしまう。いくら彼でも、はっきりと言うのが躊躇われるのだろう。


 そんな彼がおかしくて、フィーネは口元に笑みを浮かべる。


「私は、狂っていますか」

「ええ」


 間髪入れずに肯定され、フィーネは今度こそ声をあげて笑った。少女の鈴のような笑い声に、広場にいた何人かが振り返る。


 フィーネはまるで注目を浴びたバレリーナのようにベンチから立ち上がり、青空を仰ぎ見た。どこまでも続く真っ青な空が、気持ちよかった。


「馬鹿にしたいなら、馬鹿にすればいいです。笑いたいなら、いくらでも笑って下さい。私は、ニコラス様が好きです」


 そうだ、彼が好きだ。彼のためなら、自分はなんだってできる。それを他人がどう思おうが、フィーネにはこれっぽっちも興味がなかった。彼女には、ニコラスが全てだった。


 ユアンの反応が無いことに気づいたフィーネは、彼の方を振り返った。ユアンは笑ってはおらず、ただ何を考えているかよくわからない表情で、フィーネをじっと見ていた。


「……どうしてニコラス様があなたを手放さないと、断言できるのですか」


「彼は優しい人ですもの。一度自分が手に入れたものは、最後まで面倒をみるんです。猫だって、犬だって、使用人だって」


 フィーネは目を閉じて、ぼろぼろの衣服をまとった哀れな少女を想い浮かべた。


「人形だって、大切にして下さる方です」


 フィーネが目を開けると、ユアンは口を真一文字に結んでいた。視線は、彼女ではないどこか遠くの方を見ていた。きっと呆れて言葉も出ないのだろう。


 フィーネは別に何と思われようが構わなかった。

 言いたいことも言えたし、もう帰ろうとかと思っていると、ふいにユアンが沈黙を破った。


「あなたは、馬鹿ですね」


 一度目は何の感情も浮かべていないような、淡々とした口調。


「ええ、本当に馬鹿ですね」


 そして今度は、思いっきり呆れた感情を込めて。笑顔と共にプレゼントした。それはもう今日一番のすがすがしい笑顔だった。


 フィーネが目を見開いて固まっているのをよそに、ユアンは立ち上がって何でもないように言った。


「それでは、そろそろ帰りましょうか」


 フィーネはその眩い表情に、思わず自分の頬がひくりとひきつるのを感じた。


 ここまで面と向かって馬鹿だという言葉を浴びせられたのは、さすがに初めての体験だった。何か無性に大声をあげたい気分になったのもついでに初めてだった。


 そうした感情をフィーネに抱かせたのは、ユアンが初めてであった。


「フィーネ?」


「ひ、人に面と向かって馬鹿とおっしゃるなんて、あなたはどこまで無礼者なんですか」


「馬鹿にすればいいとおっしゃったのは、あなたの方ではありませんか」


 ユアンはけろりと答える。それにますますフィーネは声を震わせた。


「そっ、それは、そうですが、いえ、私がそう言ったのは、あなたが心の中でどう思おうが自由ですという意味で、直接悪口を言う許可ではありませんっ!」


 どもりながらも、必死にフィーネはユアンにそう言った。言ってやった。一言言ってやると、もう一言だけ言ってやろうという気になるから困ったものである。


「だいたい、以前から何なんですか。私に何か恨みでもあるんですか。暇なんですか。レティシア様のことを放っておいて、やることですか? いったいどう……」


 お考えですか、という言葉は最後まで言えなかった。ユアンが目を丸くして、口を薄く開いたまま、フィーネを見ていたからだ。呆気にとられた顔。その姿にフィーネも我にかえった。


 いくらなんでも、はしたなかった。これではユアンのことをとやかく言う資格はない。


「あの、これはですね、」

「くっ……」

「……」


「す、すみません。あなたもそうやって誰かに怒ることがあるんですね。初めてお会いした時からずっと張り付けたような笑みを浮かべているので、つい」


「あなたと話すことはもうこれっきりにします」


 腹を抑えているユアンを置き去りにして、フィーネは背を向けた。慌てて追いかけてくる気配を感じても、フィーネは待ってやらなかった。どうせすぐに追いつくのだから。


「すみません。笑い過ぎました」


 隣にきた彼は、目尻にたまった涙を拭いながら、フィーネに謝罪した。彼女はちらりとユアンに目を向けただけで、何も答えない。

 ユアンは気にせず、頬を緩めたまま話し続けた。


「それに、あなたの言葉を聞いて、勇気が出ました」

「……勇気?」


 馬鹿にしているのだろうかと、思わずフィーネは聞き返してしまった。

 怪訝そうに眉を顰める彼女に、はいとユアンは頷く。


「あなたがそこまでしてニコラス様のことを諦めないというなら、俺も諦めるわけにはいかないと思ったんです」


 レティシアとユアンは、婚約者だと噂されていた。はっきりと本人たちの口から聞かされたわけではない。でも、今の言葉を考えると、ユアンはレティシアをニコラスに奪われないよう頑張るのだとフィーネには聞こえた。


「……あなたとレティシア様は、婚約者なんですよね」


 確かめるようにフィーネは聞いた。

 ユアンは一瞬言葉に詰まったが、ゆっくりと頷いた。


「……ええ。そうは、見えないでしょうが」


 彼の言葉に、フィーネはそんなことはないと自嘲気味に笑った。


「でしたら、私も同じです」


 ニコラスとレティシアの方が、ずっとお似合いだからだ。


「フィーネ」


 立ち止まったユアンに、フィーネも足をとめる。


「……何でしょうか」


 まだ、何か言うつもりだろうか。勘弁してほしいと思いながら身構えるフィーネに、ユアンはどこか挑むような目で言った。


「俺は、あなたが諦めない限り、諦めるつもりはありません」


 そう言ってユアンは、世の令嬢がうっとりするような笑みで二人の会話を締めくくった。わざわざ自分に宣言することに疑問を持ちながらも、フィーネは深く尋ねなかった。




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