表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/24

揺らぐ自己


 日曜日の礼拝のため、教会にフィーネは出向いていた。ちなみにニコラスは用事があるからと珍しく欠席している。それがどんな用事であるか、フィーネは深く考えることはせずに、いつも通りの礼儀を尽くして彼を送りだした。


 教会で神父の言葉に耳を傾けている際に、ふと視線を上げるとフィーネは自分の何列か前に見知った顔の人物を見つけた。相手は振り向いたりはしなかったが、目が合うのが嫌で、すぐに顔を伏せた。


(終わったらすぐに帰ろう……)


 人が多いから帰りもきっと気づかれないはずだと組んでいた手に力を込めた。


「――やあ、どうも」


 だがフィーネは自分の考えが甘かったことを知る。


 人混みの中、見計らったように待ちぶせしていた相手に、彼女は意表をつかれた。そのせいで今度はばっちり目があってしまい、無視するわけにはいかなくなった。


「こんにちは、マクシェイン様」


 ユアン・マクシェインは、遠巻きに見つめるご婦人方の熱い視線に少しも頓着せず、爽やかにフィーネに微笑んだ。改めて見た彼の顔は、やはり非常に整っていた。


「この前はどうも。具合が悪そうでしたが、大丈夫でしたか」

「ええ、もうすっかり」


 最初に見せた醜態――泣いていた姿を見せたのが恥ずかしく、フィーネは一刻も早くユアンと別れたいと思った。だが彼は彼女の心中など知ったふうではないと、のんきに世間話をし始める。


 無視するわけにもいかず、フィーネは彼の話に相槌を打ちながら歩いた。ユアンはニコラスと同じくらいの背丈で、すらりとしている。年はニコラスやフィーネよりも下だが、物腰が柔らかいせいか、ずいぶんと落ち着いて見えた。


 ――ニコラス様とは違う。


 当たり前だ。けれど今まで自分は家族を除いて、ニコラス以外の男性とまともに話した経験がない。話したいとも思わなかった。ニコラスのことだけが、知りたかった。


「マクシェイン様は、海を渡ってこちらにいらしたのですよね」

「ええ。叔父がこちらに住んでいて、仕事の手伝いなんかもしています。ニコラス様とは叔父の紹介で出会ったんです」


 ユアンはレティシア・フェレルと一緒に、彼の叔父を訪ねにやって来た。

 ユアンの叔父であるマクシェイン氏は、有名な物書きだそうで、ニコラスはそんな彼の熱烈なファンだった。


「今は、どちらに?」

「叔父の家に滞在させてもらっています」


 聞いてみると、マクシェイン氏の家はニコラスの屋敷からさほど遠くはなかった。


「そうだったんですか。ニコラス様も、あなたの叔父様のことをよく話して下さいました」


 彼はもしかしたら魔法を使えるかもしれない、と子どものように目を輝かせて話してくれたニコラスのことを思い出し、フィーネはくすりと笑った。


 だがすぐにユアンがじっと見ていることに気づき、緩めていた唇を引き締めた。ユアンはそんなフィーネを見て、ふっと笑った。


「ええ。叔父もニコラス様のことをたいそう気に入っておりまして、ですから今回あなたにこうして会えたのも、何か運命の巡り合わせのように感じております。どうか俺のことは、ユアンとお呼びください」


 ユアンは淀みなくそう言った。

 まだ一度会っただけなのに、正直馴れ馴れしいなとフィーネは思った。


 変な誤解も受けかねないのでやはり早く帰るべきだと、フィーネがユアンの方を見ると、琥珀色の瞳と正面からぶつかった。思わず動揺すれば、目が細められ、声もなく彼は笑った。


「私と話すのは気が進まないようですね」


 どうやら伝わっていたようである。フィーネは慌てて言い訳する。


「あなたと話すのが決して嫌というわけではありません。ただ、レティシア様も今日はお見えになっていないようなので二人きりで話すのはよくないかと……」


 ああ、と彼は納得したように微笑んだので、フィーネはほっとした。どうやら話のわかる人のようだ。


「大丈夫ですよ。彼女は今別の男性と会っている最中ですから」


 息をのんだフィーネの顔を、ユアンは笑みを浮かべたまま覗き込んだ。


「お相手は誰だと思います?」


 さらさらと前髪が揺れ、猫のような目でフィーネを見すえた。


「……誰の名を答えれば満足でしょうか」

「怒らないでください。俺も傷ついているんですから」


 ちっともそう見えない。なぜなら彼の顔はとても楽しそうにフィーネを見つめている。


 フィーネは揶揄われていたのだと知り、もう相手にしないことにした。


「おや、お帰りになられるんですか?」


 彼の声が後ろから聞こえたが、フィーネは振り返りもせず冷たく言い捨てた。


「ええ。あなたと話していても、時間の無駄ですもの」


 我ながら失礼な言葉だと思いながら、この男に対しては自然と口に出ていた。


「それは残念です。また今度ゆっくり話しましょう」


 どうせ機会はたくさんあるのですから――。彼のその言葉に、フィーネは性格と見た目は一致しないのだと、しみじみ思った。


***


 ニコラスは前世と同じように、貴族という上流階級に位置している。そのため本人がどう思おうとも、周囲の人間は彼に世間の目を気にするよう強要した。


 ニコラスが初めてそれに背いたのは、フィーネと出会ってからだ。自分より身分が下の女性に夢中になっていく彼の様を、最初人々はただの遊びだと考え、そのうち飽きるだろうと楽観視していた。


 だがニコラスがフィーネと結婚すると伝えた時、彼が本気なのだと気づいた。当然ニコラスの親戚や親しい友人たちは、考えを改めるよう彼の説得を試みた。


 何を馬鹿げたことを言っている。早く目を覚ませと。


 いつもはその忠告を素直に受け入れるニコラスだったが、今回は決して首を縦に振ることはしなかった。


 フィーネだけが、例外だった。


 ――私はフィーネを愛している。誰が何と言おうと、彼女と結婚する!


 だがその例外も、時間の問題だろう。ニコラスは何かと理由をつけてレティシアのもとへ足を運んでいるし、またこっそりと手紙を書いていることも、すでにフィーネは気づいていた。


 いや、彼に仕える使用人たちもうっすらとだが勘付いている。


 けれどフィーネは、それらすべての反応を無視した。ニコラスが隠したいと思っているうちは、それに従う。


(むしろ隠し続けて欲しいと、私はどこかで望んでいる)


 そうすれば、まだ自分は彼のそばにいられる――

 

 フィーネはくだらないことを考えるのはやめようと、首を振った。


 それよりもニコラスに任された屋敷のことを少しでも片づけておこうと帳簿や書類に目を通す。


 ニコラスがフィーネをこの屋敷に連れて来た時から、彼はフィーネを屋敷の女主人として迎え、仕事を任せた。そしてフィーネも前世と同じように、従順に仕事をこなしていった。


 彼女の有能さゆえに、ニコラスとの仲を良く思っていない人間をなんとか我慢させることができているのだ。


 だがすぐに粗相をしでかしたら、といつでもフィーネの行動に目を光らせていることをフィーネは知っていた。特にニコラスに長年仕えていた古参の使用人からは、フィーネが大切な主人を誑かそうとする悪女に見えるそうで、遠回しに出ていくよう言われたこともあった。


 間違えることは許されない。


 一通り、いつもの日課を終えると、次の週末に開くパーティーで料理人たちに何を作らせるか相談しようと、フィーネは厨房へ向かった。


 朝の慌ただしい時間を終えてひと段落ついたのか、賑やかな声が廊下まで聞こえてきた。


「あのお嬢さんも可哀そうよね。せっかくニコラス様に見初められたと思ったのに」


「ねえ。旦那様も何を考えているのかしら。あんなにフィーネ様に似た人を好きになって」


「でも、むこうのお嬢さんの方が、華があって、洗練されているようにも見えるわ。根っからの貴族というのかしら。旦那様はそこが気に入ったんじゃないかしら」


「そうねえ……言われてみれば、そうかもしれないわね。それに一見儚げそうに見えて、話してみると明るく楽しい方だと聞くもの。フィーネ様はその点ねえ、」


 いつまでも続くと思われたおしゃべりは、メイド長の出現によって中止になったが、フィーネには十分な打撃を与えた。とても話をする気にはなれなかった。


 打ち合わせにはまた後でこようと、フィーネは素早く部屋へ引き返した。やりかけの仕事があったはずだと、椅子に座り、ペンを握る。けれど何をすればいいか全くわからず、頭が働かなかった。


『フィーネ様はその点ねえ、』


 先ほど彼女たちが話していた内容が頭から離れない。嘲笑うような声が何度も聞こえてくる。


 口さがないお喋りを酷いと思うよりも、確かにという納得の方が強かった。前世で見た肖像画の印象が強くて、フィーネはレティシアを儚げで繊細な女性だと思い込んでいた。


 でも、実際会ってみると、彼女はじつに表情豊かで、明るく活発な女性であることがわかった。


 理不尽で、女性をないがしろにする発言には、彼女の聡明な知識を武器に男性相手にだって容赦せず反論する。


 古い考えの貴族には、女性が男性より前へ出るべきではないと彼女の言動に眉を顰めるだろうが、ニコラスや彼女を慕う者はそれをどこか楽しんでいるように見えた。


 ――ひょっとしたらニコラスも、前世で自分に厳しく礼儀作法を身につけさせたのは、どこかで自分が彼に反発するのを望んでいたからかもしれない。そう、フィーネは思った。


 従順すぎる態度よりも、自分の意志を貫く気高さを、ニコラスはフィーネに望んでいたのではないだろうか。


 フィーネは、自分が重大な間違いを犯していたかもしれないと血の気が引いた。


(だとしたら、私という存在はいったい何なのだろう……)


 レティシアを目指して生きてきた自分は、レティシアになれず、かといって本来あるべきフィーネという人間でもない。


 いったい自分という存在は――


 日差しの降り注ぐ暖かな書斎で、フィーネはただぼんやりとペンを握りしめていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ