第三回
(第三回)
うまく言えないけど…
医療なんて「論理」だけで説明されてしまう。「論理」で説明されればそれが「真理」なんだと
思ってしまう。
残るのは絶望のみ。
家人はもう「指定難病」の宣告を受けた。
それから三年が過ぎた。少しでも良くなるよう願い続けてきた。
なぜ良くならないのか。
薬の効能について症状との兼ね合いを医師は「論理」で説明する。
まるでそれは真綿で首を絞めつけるように…
そこにはすべては我々が知り尽している「真理」だと威圧せんばかりに。
どうしても納得が出来ない。
家人はいつも呟いている。
「スマホと財布はどこにやったのかしら?」
「バックのなかじゃない」
「バックがないのよ」
こんなやり取りが一日のうちで何度もある。
医師は言う。
「薬を止めるか、幻視をとるか、ですね」
だから医療なんて「論理」が「真理」だと信じ切っているとしか思えない。
それも権威ある「文献」という権化が幅を利かしているのが現実なのだ。
家人は今や時、場所、自分の過去を正確に掴むことすら掴む出来なくなっている。
でも今夜作ろうとしている献立はよく知っている。
前回と同じく「肉じゃが」だということを。
何故分かっているのだろうか。
不思議な霊感が唯一の救いのようなものだと秘かに思っている。
この「論理」を果たして「それは薬のせいです」とは言えないだろう。