第十一回
(第十一回)
なんと心が洗われることか。
フルートの音色が心の襞の奥深く沁み込んでいく。
…
バロック音楽をかけながら筆はゆるぎなくF4キャンバスの上を彩っていく。
…
悲しい。
哀れでしょうがない。
もう家人の笑顔を見ることができない
一緒に歩くことも出来ない。
首を上げることすら出来なくなった家人の眼には
いったいこの数日、何か映っていたのであろうか。
一緒に食卓に向かうと家人の髪は真っ白なご飯を覆い、
「おい、髪の毛が」
肩を押し上げると、
いったん姿勢は九十度から四十五度に引き上がるが、
放せばまた首は垂れ下がり、今度は味噌汁につかる。
キャンバスの向こうに自分の賭けた「光」が次第に色合いを見せ始めている。
K病院ならやってくれる。
この油絵が完成したら家人の元に届けよう。
「ほら、菜の花だよ」
光の閉ざされていた長い冬が終わり、やがて陽春の到来を告げ、黄色い「菜の花」が辺り一面を覆いつくす。そしてまばゆいほどの「光」が満ち溢れるのだ。
…
フルートのバロック音楽は続く。
そして、
家人の声が幽かに響く。
「もう二年は生きたかった…」
否定する。
何度も否定する。
…
絵筆はバロック音楽のなかで何度も
物悲しく否定し続ける。