始まりの放課後
こんにちは! お初の方は初めまして! ワセリン太郎です!
いつも【レアさん奇行】を読んで下さっている読者の皆様、本当にありがとうございます。ちなみに今回、本作をコッソリと書き始めましたが、実は僕の中で「いつも楽しんで下さる大好きな皆さん」に本作がしばらく見つからないといいなぁ。というイタズラ心があります。なので、2018年12月現在、レアさん奇行の本編の方では一切、宣伝等は致しておりません。
前作(と言っても連載中)の【ビニール傘と金属バット ~レアさん、やりすぎですよ~】の方も、これまで通り、のらりくらりと書いて参りますので、皆様、何卒よろしくお願い申し上げます。
※現在進行形で連載中の【ビニール傘と金属バット ~レアさん、やりすぎですよ~】(N2931DD)の続編です。
https://ncode.syosetu.com/n2931dd/
本作(続編)では、登場人物、世界観等についての基本的な説明を省略して描いておりますので、お時間がございましたら、お手数ですが前作からお読み頂けると幸いでございます。ちなみに本作からお読みになられると、多分、全く意味がわかりません!!
肌寒い教室の中、窓の外でソフトボールに励む部活生達の姿をボーッと眺める。
「部活、楽しそ……いや、良く考えたら面倒くさいか」
そう呟いたアタシの背後から、ゆらりと長い影の気配が。ああ、ようやく居残りが終わったのか。
「英梨華や。宿題も終えたし、そろそろ家に帰ろうかの? ウチは腹が減ってかなわんのじゃ。全くこう、学校というのは毎日毎日飽きもせず宿題を出しおって……しかし教師というのも難儀なものじゃの。貴奴等、毎日あのようなものを作るのに、一体どれだけの無益な時間を費やしておるのやら」
そう言った彼女の方を振り向き、嫌味のこもったしかめっ面をしてみせる。
「鶴千代、アンタいい加減に家で課題……いや、宿題をしなさいよね。中学校の頃から思ってたんだけど、“宿題”って言葉の意味ホントにわかってる? 学校で居残りさせられてするものじゃないの、家で終わらせて学校で提出するもんなの。まったく……」
この女には、あえて“宿題”と言った方が理解されやすいと思う。それに小学生じゃあるまいし、毎日毎日居残りに付き合わされるこちらの身にもなって欲しい。
せっかく帰宅部に所属する事により、悠々自適で自堕落な放課後を過ごす権利を有しているというのに……その恩恵もあって無いようなものだ。
スラリとした腰に手を当てて長い黒髪を揺らし、大声でケタケタと笑う鶴千代。
「お主はほんに口やかましいの! 全く誰に似たのやら」
長身の上に綺麗な顔、更には高校一年生にあるまじき迫力のスタイル。確かに正直、その点だけは羨ましく思う。しかし、あくまで“その点”だけに限っての事だ。
要はこの女、見事に、そして非の打ち所のない程にアホなのだ。しかしこの見た目につき、腹が立つほど男子にモテているのも事実。当の本人は何処吹く風……なのだけれど。
いや、アタシだって見てくれは悪くないはず! などと己を鼓舞し、母親ゆずりである長くて少しウェーブ掛かった金色の髪先を、指先でくるくるとイジる。しかし鶴千代とは発育的な面でいろいろと天と地ほどの差が。 ホント何でだろ? この娘とアタシ、毎日三食同じものを食べてるのに……
いや、認めたくない。とにかく高い壁がそこには立ちはだかっている……が、いずれそれも時が解決するだろう! ぐらいの認識でいよう、うん。でないとやっていられない。
ただ、彼女と人生を入れ替わりたいか? と問われると……残念極まりない中身の部分まで考慮し、『いや、やっぱいいや。遠慮しときます』と即答する。要するに見た目に反比例するかのように、完全に突き抜けてアホなのだ。
それよりこの事を考える時にいつも思うのだが、そもそもコイツはホントに高校生なのだろうか? 同級生も教師も誰も気に留めないが、どう見ても年齢が大学生……二十歳前に見えるんだけど。実はアタシよりだいぶ年上だったりして。
「アンタが無茶苦茶なのよ」
そう言って立ち上がり、背の高い彼女の隣へ並ぶ。アタシも多少背が伸びてきたと自覚はしているが、頭一つ分の身長差は……この先もどうやら埋まりそうにない。
「はぁ……終わったんなら帰るか」
「うむ! そうしようかの!」
二人で人気の無くなった校舎の廊下を進み、下駄箱まで無言で歩く。そうして自分の革靴を手に取った時、彼女が何か思い立った様に口を開いた。
「のう英梨華や、そういえばこれは“下駄箱”というのに、何故に皆、革靴を納めておるのじゃ? 現代では誰も下駄を履いてはおらぬ。したらば、革靴箱と言うのが正しいのではないのかの? ゴミはゴミ箱と呼ぶじゃろう? 全くもって不可解な……」
「下駄とか平成時代じゃあるまいし……待って。平成ってお父さん達の若かった時代でしょ? その頃みんな下駄とか履いてたんだろうか? いや、実際に履いてたのはその前の昭和頃??」
そんな事より、鶴千代について不可解なのはこっちの方だ。
この女の時代掛かった怪しげな物言い、ずっと一緒に育ったので、中学を卒業する頃まではそれが普通であると認識していたんだけど、流石に高校生にもなると……だが周囲の人間は、不思議とそれを何とも思っていない様子。もしかするとアタシの方がおかしいのだろうか……? いや、そんなことは絶対にあるはずがない。
「ねえ鶴千代。ずっと思ってたんだけどさ、アンタ、あの学力でよくこの高校入れたよね。一学期の期末なんて相当ヤバかったじゃん? 試験科目の全てを一桁台の赤点なんて、学校始まって以来の快挙だ……って先生泣いてたよ?」
「うむ、そこのところなのじゃが……ウチにもようわからんのじゃ! 何でじゃろうな? しかしまあ良い。褒められている様子、悪い気はせぬ! さて、帰るとするかの」
いや、あんま良くないわ……
実はこの女、先の英語の期末試験で“二点”などという前代未聞、ウルトラ高難易度の実績をたたき出したのだ。答案用紙にちゃんと名前が書いてあった事、あとは……多分、何らかの選択問題が“たまたま”一問だけ当たっていた、もしくは“惜しかった”等の理由だろう。でないと“二点”など取れる筈がない。
彼女が試験直前の休憩時間に、『えーごは好かぬ! ようわからん!』等と頭を抱えて涙目になっていたのも記憶に新しい。いや、アンタが“好かぬ”のは英語だけに限った事じゃないでしょうが。
鶴千代は、傘立てに突き刺してあった“ビニール傘”をひょいと掴む。ちなみに朝から雨は一切降っていない。実はこの光景も見慣れたもの。彼女はいつもこうなのだ。
すれ違った教師に挨拶をしてから校門を出て、二人で家路をブラブラと歩いた。ああ、この様子だと今日は、商店街への寄り道コースか。
しかし鶴千代がいつも傘を持ち歩いている件も、よくよく考えると奇妙な事の一つではある。何せ彼女は中学生の頃からずっと、このビニール傘を持って登下校しているのだ。そう、晴れの日も雨の日も、あとついでにお休みの日も。アスファルトは濡れていないのに、だ。
「ねえ、ずっと思ってたんだけどさ」
「なんじゃ?」
少し、胸の奥で何かがざわめくのを感じた。何となく気になり、鶴千代へと訪ねてみる。
「アンタ、その“傘”毎日持ち歩いてるわよね。今更かもだけど、なんで? てかそれ、子供の頃からずっと……まさか同じ物? いや、流石にないか。四年以上も同じビニール傘とか、普通だったら日焼けしてボロボロになってるハズだもん。それに途中でパクられるかもだし、買い換えてるのか。いや、アタシは一体何を言ってんだろ……」
何故だかは解らないが、その答えを聞くのが少し怖い事に思える。何かそこに“知ってはいけない事”があるような気がして……
アタシの言葉に、クルリと揺らめく制服のスカート。
先を歩く彼女が振り返る。
その表情は……いつもと違って妙に大人びて見え、先程ふいに感じた気持ちが徐々に大きくなり、少し心臓の鼓動が速くなっている事に今更気付く。
鶴千代はこう言った。
「英梨華、お主……そうか、もしかすると、“そろそろ”なのかも知れんの」
「な、何よ……? 何がそろそろなのよ?」
しかし彼女はその問いには答えず、子供っぽい顔で“にぱっ”と笑うと……地面を傘の先でつつきながら、再びゆっくりとアタシの前を歩き始めたのだった。
何だろう……ここ最近、これまで“当たり前だった日常”に少しずつ違和感を感じている。これが俗に言う思春期ってやつ? いや、たぶん何かが違うと思う。
チリンチリン! 背後から、自転車のベルが鳴る。振り返ると……ああ、商店街にあるラーメン屋のサトシさんだ。出前か何かの途中だろうか? 彼はアタシ達の隣に自転車を止め、笑顔でこちらに声を掛けて来た。
てか、荷台の出前用の箱みたいなヤツ? に書いてある店名、『初出し! ラーメン男汁軒!』の文字はいつ見ても眉をひそめたくなるわ。マジ引く。
「おう、つるっち! それに英梨華も! 二人共、学校の帰りか?」
いつも思うが、ハキハキしていて気持ちの良い人だ。
「あ、サトシさんこんちは」
「うむ、サトシは出前かの?」
笑いながら頭を掻くサトシさん。
「そーなんだよ。てか“あのオッサン”の注文なんだけどさ、頼むからつるっちからも何とか言ってくれよ! 電話口で『おうサトシ、チャーシュー大盛りな? 二秒で持ってこねぇとブッ殺すぞ? あとサービスで替え玉二つ入れとけや』とか言ってガチャン……だよ。まったく、前回、前々回のツケも払ってねーのに」
笑う鶴千代。
「かっかっか! ほんにあやつらしい! そういえばサトシや、アレは来週末であったかの?」
アレ? ああ、そういやこないだ、社会人野球の試合をやるとか言ってたなぁ。それのことだろうか? 確かそれに鶴千代もお呼ばれしていた筈だ。何故、社会人野球に女子高生を混ぜ込むのか良くわからないけれど。まあ鶴千代の女子高生離れした、異常な身体能力を買っての事なのかも。
「そそ。人数足りないし、是非来てよ。てか久しぶりだよな、町内のみんなで野球やるのも。子供の頃はしょっちゅう公園でしてたよなぁ。昔、つるっちがホームランで近所のガラスを叩き割りまくってたの覚えてる? あ、でももう社会人野球だし、公園じゃなくてちゃんとしたグラウンドだから、少々カッ飛ばしても問題ないぜ?」
笑う鶴千代。
……あれ。何だろう? すごく頭がモヤモヤして気持ちが悪い。
「うむ! では伺うとしようかの!」
「あ、あとさ……たまにはウチの店にも来てよ。サービスするからさ!」
ははぁ、そういう事か。まあ確かに鶴千代は、中身はともかく妙に大人びて見えるし、社会人にモテても不思議はないのかも?? いやでもサトシさん、流石に高校一年の女子はないわ。それに加えてこの女、この手の事に関しては鈍すぎる……哀れ、ラーメン屋の二代目店主。あ、お店はオヤジさんが健在だし、サトシさんはまだ見習いだっけ?
「承知した! ではの!」
「そんじゃな! 二人とも気を付けて帰れよ!」
「うーっす」
笑顔でアタシ達に手を振り、再び自転車を漕ぎ出す彼。いや待って、やはり何かが変だ、おかしい。サトシさんは既に二十台半ばのハズだし、鶴千代はアタシと同級生の高校一年生だぞ……?
その二人が“子供の頃に一緒に野球”? あれ、やっぱ何か変じゃない??
そう喉元まで出かかるが、不思議と……その事を鶴千代に問い詰める気にはならなかった。
その後、鶴千代が『腹が減ったの!』と騒ぐので、商店街で少し買い食いし、アーケードの中を歩く。それから知り合いのお姉さんが経営する古書店の前を通るが……今日は残念ながらシャッターが閉じており、アイリさんの姿を見る事はできない。
あの人、メッチャ綺麗で憧れなんだよなぁ。
服装も清楚で物腰も柔らかいのだけど、時折儚げな紅の瞳の奥に感じる芯の強さ。たまに鶴千代のアホが『実は本気のケンカになったら、アイリが街で一番大きくて強いでの!』等と、わけのわからない失礼な事を言っても、彼女はクスクスと上品に笑うだけで微塵も怒りはしない。ああ、あれこそがアタシの理想とする素敵な大人。
よし! アタシもいつかあんな大人な雰囲気の女性に……などと考えていた矢先、あまり会いたくない方々と鉢合わせてしまう事になったのである。
──ガッシャーーン!!
突然、私の目の前でド派手に砕け散るコンビニの窓ガラス。
あまりの事に手が滑り、未読メッセージを確認する為に触れていた、チョーカー型のウェアラブル端末の操作ジェスチャーを誤ってしまい、急にそこから音楽が流れ出した。
「ち、ちょっ──!?」
何これ、くっそビビるわ!!
恐怖に身体が強張り、同意を求める様に隣を見るが、鶴千代は先程露店で購入した焼き鳥の串を口に咥えたまま特に動じた様子もない。
割れたガラスのサッシを見ると、頭から血を流したチンピラ風の男が、まるで土下座をするかの様な体勢で地面へとうつ伏せになっていた。
「ひいっ──!? ちょっと鶴千代! 何なんこれ!?」
「うむ、チンピラが倒れておるの」
「んなこと見りゃわかるわよ! それより何でこんな事に……」
苦しそうにうめくチンピラ。うわぁ、気の毒だけど近寄りたくねー。えっと、見ぬ振りするのも後味悪いし、こういう時って……警察? いや、この場合はまず救急車??
「おお、こやつめ、頭から血が出ておる! そこなチンピラ、怪我はないかの?」
「いやいや、頭から血が出てるんだから、怪我してるに決まってるじゃない!」
「なんと、英梨華は賢いの!」
その直後、ジャリッ、ジャリッ……と砕けたガラスを踏みつけ、店内から出てくる制服姿の婦警さん。
うっげぇ……じーざす。
彼女は蒼いポニテを揺らしてクッチャクッチャとガムを噛み、その表情に薄ら笑いを浮かべながら……指の骨をボキボキと鳴らしつつ男に迫る。そう、彼女はこの神丘市警察署史上、最悪の警察官、もとい最凶ヴァイオレンス婦警の……ロッタ姐さんだ。
子供の頃からの知人……いや、数少ないアタシが苦手意識を持つ人物。ボヘーッとしていて、一体何を考えているのかイマイチ解り辛いし、街中で会うといつもオモチャにされる。とにかく苦手な相手だ。
「……ん。店員への脅迫行為、及び、私への公務執行妨害、及び器物破損の現行犯、及び、私への公務執行妨害で逮捕する。おうチンピラ、国家権力……桜の代紋ナメんなよ、カス」
「ロ、ロッタ……確かにお店への脅迫行為はありましたが、公務執行妨害って……彼等は言い訳をしてただけで、器物損壊については、貴女がガラスごとその人を蹴り飛ばしたからでしょう!?」
後ろから、必死にロッタさんを止めようとしているのは……いつも彼女とコンビでパトカーに乗っている、同僚のフリストさんだ。この人は非番の時に町で会うとすごく優しく気を遣い、可愛がってくれるので、アタシは大好きである。
ちなみにこの二人、ウチの母親と妙に仲が良く……暇さえあれば自宅へ来るので始末に負えない。そうなるとアタシは下僕兼、玩具だ。いや、フリストさんの方は何もしないし、全く問題ないんだけど。
ぼーっとしたまま、ゆっくりとこちらへ視線を這わせるロッタ姉さん。やばい、目が合ってしまった。
「……ん。つるっちと英梨華か、丁度いいとこに来た」
「やや、誰かと思えばロッタではないか!」
元気良く応じる鶴千代。アタシは出来るだけ関わらぬ様、迅速にその場を立ち去ろうと努力する。
「いやぁ、姉さん……アタシ達、これからちょっと行く所というか、用事がありまして……」
鶴千代が、笑顔で余計な事を口走った。
「ロッタや、ウチらはの……これから家に戻って飯を食った後、居間で寝転び、テレビを見ながらゴロゴロする予定なのじゃ!」
──やめて! 何でバラすの!?
蒼い瞳がゆっくりとアタシを射貫き、一層鋭く輝く。
「英梨華、今からパトカー行ってワッパ持ってくるから……このチンピラ、思いっきり踏みつけといて? 悪党に人権なし、血が出てもいい。あと、コイツが逃げようとしたら、意識ハジケ飛ぶぐらい強く、後頭部を蹴りつけていいから。もし死んでも大丈夫、オッサンにとって女子高生のキックはご褒美」
突然の無理難題。いや無理、無理、無理、無理!
「いやいやいや!? なんでアタシが!? フ、フリストさんお願いしますよ! アタシ達、通りすがりの女子高生なんですよ──!?」
店内から、申し訳なさそうにフリストさんの声がした。
「ご、ごめんね英梨華ちゃん。実は中にもう一人、逃走を図ろうとする被疑者がいて押さえつけてるの! あっ、鶴千代さんはダメですよ? あなた加減がありませんから……」
ない。流石にこれはない。アタシは短時間で色々と考えた挙げ句、最善と思われる案を二人へ提示した。
「ロ、ロッタ姉さん! あの、アタシがパトカー行って……その、ワッパ(ワッパって何だ……? 手錠のことか?)を持って来るってのは如何でしょう!!」
こちらを見て首を横に振る、蒼い悪魔。
「……ん。ダメ。民間人に銃や手錠等の備品を触らせるわけにはいかない」
あと、付け加えると“犯人”を確保させるのはもっとダメだよね──!?
「いやいやいや!? 女子高生に犯人を取り押さえさせとくのは、確実にアウトなんじゃないです!?」
そう必死に訴えるが、彼女はチンピラの背中に足を乗せたまま、ガムを噛みつつアタシへ手招きする。
「な、なんすか……? アタシ、間違った事言って……なぃ……」
「英梨華は高校生になったばかりだから、世の中の事をまだ良く知らない。これも社会勉強、折角だし、今日はお姉さんが良いことを教えとく。いい?
一つ、国家権力への口ごたえは……これ即ち、“公務執行妨害”。即、しけい。
二つ、国家権力への口ごたえは……これ即ち、“公務執行妨害”。即、しけい。
三つ、国家権力への口ごたえは、これ即ち……」
「わ、わかりました! わかりましたってば……」
アタシは、うつぶせのまま呻き声を上げるチンピラ男の側に立ち、『ちゃんと見ときますってば……』としぶしぶ従う。だが、何やら不満気なロッタ姉さん。
「ダメ。ちゃんと背中を蹴り込んで、しっかり押さえて。“動けばこ〇す”といった気迫が大事。おっしゃ、根性入れて踏みつけろ」
「えぇぇぇ……」
逆らう事も出来ず、そっとオッサンの背中に足を乗せる。
(ひ、左足は添えるだけ……)
うわぁ、微妙に柔い感触が嫌すぎる。見たくない気持ちを抑え、足元に転がる男の横顔を覗くと……うぇ、泡吹いて白目剥いてる!!
アタシの行動を確認した彼女はウンウンと頷き、『……ん。じゃ、ワッパ取って来る』とだけ言い残してパトカーの方へ歩いて行き……かけて急に振り向き、ツカツカと戻って来た。
「もしソイツ逃がしたら……代わりに英梨華を逮捕」
「は、はあぁぁぁ!?」
「逃がした人間が責任を取る、これは社会の常識。大丈夫、ブタ箱に数日しゃがんで楽しく社会勉強」
「ちょ、もう早く行って取って来て下さいってば!!」
震える膝を必死に押さえ込み、オッサンが逃げられないように、もとい後で恨まれないようにと微妙な力加減で踏みつけた。うわ、シャツの背中に靴の跡つけちゃったよ……
そんなアタシの背後、割れたサッシの向こう側から、フリストさんの謝罪する声が聞こえて来た。
「英梨華ちゃん本当にごめんね? ちょっと手が足りないものだから」
「フリストや、ウチも手伝おうかの!」
「あっ、鶴千代さんはダメ! お願いだから何もしないでください!!」
ふと気付く。そう言えばフリストさんは、いつも鶴千代の事を“さん付け”で呼ぶ。対して鶴千代は“フリスト”と呼び捨てだ。
これは、あのおっかないロッタ姉さんに対しても同じ。逆に姉さんは鶴千代の事を渾名で呼ぶが、当の本人は、鶴千代に呼び捨てにされていても、全く気に留めた様子はない。不思議とまるで、十数年来の友人同士の雰囲気……とでも言えば良いのだろうか?
アタシがもし、そんな事をロッタ姉さんにしたら……間違いなく一瞬で裸に剥かれ、電柱に逆さに吊されて処刑されてしまうだろう。またはスカートを逆剥けにされて頭の上で巾着結びが終わった後、サッカーボールよろしくその辺の地面へ転がされ、そのままドリブルで地区のゴミステーション行きが確定だ。
まあ、あれが鶴千代のキャラだ。と、言ってしまうとそれまでなのだが、学校では先生達にきちんと……と呼べるか解らないけど、一応“敬称”を付けて話し掛けている。ただやはり、時代掛かった“なになに殿”とか、“まるまる師範”とかの類いではあるのだけど、それでも一応敬意と距離を持って接しているのは理解できた。
うーん、アタシと鶴千代、同い年なはずなんだけど、この扱いの差については本当によくワカラン。
そう考えていると、通りの向こうから、指先で手錠をクルクルと楽し気に回しつつ、蒼髪の悪魔が近付いて来るのが見える。
やっと解放される……と思い、呻くチンピラ親父の背中からそっと足を降ろす。ホント、後で恨まれませんよーに!!
それから暫く経ち、ロッタ姉さんとフリストさんが、犯人二人をパトカーの後部座席へ……ではなく、トランクに放り込んで立ち去るのを、何か微妙な気持ちで見届け、どっと疲れを覚えたアタシは……鶴千代と商店街に寄り道した事を悔やみつつ、自宅への帰路を急いだのだった。ああもう嫌だ、こんなの。