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「ばっかじゃねーのかお前」
5月、とはいえ夕方になれば寒い。それでも時間は夕飯の買い物をする人や、家路を急ぐ人、あるいはこれからいっぱい飲みに行こうか、
と浮かれるサラリーマン等々でごった返した駅前の繁華街の真ん中に、少年の何とも穏やかじゃない声が響き渡った。
当然、道行く人たちは何事かと足を止めて振り返る。
しかし、当の本人はそんな事は全くお構いなしだった。
少年の身長は170センチくらい、年の頃は17、8くらいであろうか、グレーのブレザーにエンジ色のネクタイを身につけた姿は、すぐそばにある進学校に通う生徒である事が容易に知れる。今時少々時代遅れに見えてしまう、襟足で切りそろえられたまっすぐな黒い髪は、彼の通う高校の校則故だろう。少し長めの前髪からのぞく瞳は大きくて、笑ったらきっと愛嬌のある顔だろうと思わせるが、今はきつくつり上がっている。
そんな彼が町中でいきなり罵倒した相手は、その横に片手で顔を押さえてため息をついていた。
それはそうだろう。罵倒されるにしても喧嘩するにしても時と場所等言う物があって、こんなにギャラリー満載の所でやらなくても、と誰しも思う。顔を隠したくなるのももっともな事だ。
絶望的なため息をついている少年は罵倒した方よりも長身で、おそらく一八〇センチはあるだろうか。顔は手に覆われて見えないが、罵倒した少年と同じ制服に身を包みつつも、真新しい制服で後輩と言う事がわかる。
普段だったら人混みに紛れてしまいそうなこの二人が、光が丘商店街の中で今この時に限っては、一番注目を浴びていた。
◆
怒鳴った方の少年は海野匠、怒鳴られた方の少年は藤崎恭太という。
数分前まで、彼らはごく普通の高校生らしく一緒に下校している最中だった。もうすぐ春の大型連休。そんな浮かれた気分で。
「で、どこ行く? 映画とか?」
「男同士で映画ってのもなんか不毛……てか、恭太、お前彼女は?」
「あー……」
「また別れたのかよ。」
視線を泳がせる恭太に匠がつっこみを入れる。
「んっとに長続きしねぇなぁ……。好きだったんだろ?」
「いや……ええーと……」
さらに視線を宙にさまよわせる恭太。好きです付き合って下さいと、相手に言われたから付き合ってみただけ、とは言えない。
「……好きでも無いのに付き合ったのかよ」
「……付き合ってみないと好きになれるかどうかわからないし……よく知りもしないで断るのも失礼……」
「本気でもないのに付き合う方が、よっぽど失礼だよ」
至極もっともな事を言われて、恭太はますます居心地が悪い。
「お前、ちゃんと人を好きになった事あるのか? 無いからそうやって、女の子気持ち弄べるんじゃないか? いい加減やめとけよ悪趣味な……」
「好きになった事なんか、あるよ」
匠の言葉を遮るように、恭太はいつになく低い声で言った。
「え……?」
「いるよ、好きな人くらい。」
「じゃぁなんで好きでもない女の子と付き合うんだよ。お前そんないい加減な……。」
「違うっいい加減なんかじゃない! ただ、望みがない想い抱えてても仕方ないから、誰か他の娘と付き合えば忘れられるかも……て。」
「望み無いってお前、どんなやつ好きなんだよ……。」
匠にそう聞かれて、恭太は一瞬苦しそうな顔をする。じっと匠を見つめた後、うつむいて。
絞り出すような声で、言った。
「アンタ、だよ。」
◆
「恭太お前何考えて生きてるん。」
先ほどの罵声からほとんど声量を変えずにそう問いつめられた、恭太は、それはこっちが聞きたい、と内心でぼやいく。
自分の告白が原因で罵倒されているのはわかってはいても、やはり時と場所という物がある。
時と場所を考えるいとまもなかった自分の告白を棚に上げて、恭太はそう思う。
「一々何かを考えて誰かを好きになる訳じゃないし、どうしてこんな事になってるかなんて、俺の方が聞きたいくらいで。」
まして相手が男となったら、話はどう考えたってなかなかハッピーエンドに向かわない事くらい重々承知していたし、だからこの思いを自覚してからは絶対に、ばれないようにと気を張っていた。はずだった。
等と言う事をぐるぐる考えたところで話は全く前に進まないのはわかっているし、こうなったら場所が悪いとか、他の所へとかそんな事を言っても、納得する相手でもない。
被害を出さないためにも、恭太は口元を押さえ極力小さい声で、
「……俺がアンタ好きだってのにそんな長ったらしい能書きでも必要?」
返した言葉はもう、いっそ潔いほどの開きなおりっぷりだった。
「好き……って、あのなぁっ……お前それっ、わかって、俺……っ」
さすがにすべてをおおっぴらには語れないのか、絶句気味に返ってきた言葉は、好奇心いっぱいに聞き耳を立てているギャラリーに伝わり、ざわめきが広がっていく。
いきなり男に告白されて、焦るのは仕方ないにしてもここまで罵倒されて何考えているのかわからない、と言う顔をされたら望み薄だな、と恭太は判断する。
とりあえず、結果どうあれこれ以上この場に残りたくないのは山々なのだが、たとえばここで相手の手を残して自分が逃亡すれば、さらに好き勝手な憶測が広まるのだろう。
そしてここはどこで学校関係者が見ているかわからないし、おそらく知り合いの一人や二人はいて、家に着く前には絶対おしゃべり雀の口から親兄弟の耳にはいるのも確実だ。
ならば、きっちりはっきり、振られる所まで見せてやろうじゃないか。恭太は腹をくくると、口元に笑みが混じる。もちろん、苦笑だが。
しかしそれをどう誤解したのか、匠はさらにむっとした顔をになった。
「何笑ってんだよ。てか、笑うところか? これ。」
怒ってる。完璧に怒ってる。そんなのは恭太にだって良くわかっている。ふざけているとでも思っているのだろう。そんな姿も可愛い、とか思えてしまう恭太もかなり末期的なのだが。
「……まさかお前、俺の事からかったんじゃないだろうな?」
今から実はそうでしたと言ったら、この騒ぎはチャラになるだろうか。
否。
他の誰がそれを許しても、目の前にいる自分の思い人は白黒はっきりさせなければ納得してくれない相手である事を、恭太自身が一番よく知っていた。
そして、白黒はっきりさせたいのは自分もだ。こんな所ではっきりさせる事になるとは思いもしなかったが。
「違う。」
「へ?」
不意に笑いを止めて返った言葉に、匠はきょとん、として聞き返す。聞こえなかったらしい。だからといって、ギャラリーに聞こえてしまうような声で物を言うつもりはなかったが。
「からかってないです。ここで言うつもりはなかったけど、まぁ、結果的に口から出てしまった事を否定するつもりないから……けど。」
一拍、深呼吸をして。
「これで、終わりにするから。」
「おまえ、何いって……。」
覚悟を決めた恭太の勢いについて行けなくて、匠は若干戸惑ったような雰囲気をにじませる。
けれど、待つ気はなかった。
「今の態度で、十分、返事になったから。明日からいきなり好きなのやめますって訳にいかないけど、そういうのにじませないようにするから。てか、忘れて。今日の事、全部。アンタの友達ってポジションまで降りる気は、ないからさ。」
一方的な宣言にあっけにとられた匠の口が『待て』と動き出す前に。
恭太は、自分の言いたい事だけを言うとその場を逃げるように去っていった。