(8)
「社会を捉えなおす」
③
多細胞化によって器官を進化させた生命体は、本来単細胞生物で
は一元的であった「分裂・増殖」のしくみ、個体の分裂即ち増殖だ
った、を「生存・存続」に二元化して、種の存続は生殖器官による
有性生殖によって行なうようになった。もしも、われわれが単細胞
生物のように個体分裂することが出来て、二人の自分になることが
出来るとすれば、こんなことはもちろん不可能なことですが、では
、いったいどっちの自分が今の自分だと言えるでしょうか?単細胞
生物は元になる細胞を母細胞と言い、分裂して出来た二つの細胞は
どちらも娘細胞と呼びます。つまり、母細胞は分裂によって消滅し
初期化された二つの娘細胞に生れ変ります。われわれの赤ん坊もま
た両親の経験や知識を受け継がずに初期化されて生まれてきます。
つまり、個体分裂によっても二人の自分が生れることはありません
。そもそも単細胞生物に自分などという意識はないからです。個体
分裂を行なうためには生体反応以外の複雑な器官が備わっていては
出来ないはずです。つまり、彼らは存続のためだけに生存している
。しかし、多細胞生物は存続のための器官を分化させることによっ
て生存そのものを獲得した。さらに、多細胞化は器官細胞を進化さ
せ、細胞分裂によって増殖・淘汰を行い機能を向上させ、行動の自
由を獲得して環境依存から抜け出した。しかし、複雑な多細胞生命
体への進化は、その原因は諸説ありますが、生理的寿命をもたらし
た。「死」は認識によって意識され、認識は理性からもたらされま
す。理性を持たない人間以外のほとんどの生物は死ぬのではなくた
だ動けなくなってしまうのです。種の存続を生殖器官に委ねて分裂
増殖が生存目的でなくなったことと、寿命による「死」を覚った知
的生命体である人間は、本能と理性による二重の疎外によって本来
の生存の意味を見失った。しかし、この地上で外界の作用に因って
ではなく、個体自らの作用によって「生物的秩序を自己形成した生
命体」が「命懸けで」試みたことは、紛れもなく「生存の存続」だ
った。物質世界の絶望の中で孤独に苛まれながら、再び物質への回
帰を迫られた生命体はせめて命を繋ぐことで絶望的な死を補おうと
した。そして、生命体である人間もまた生存とその存続のために生
きているのだ。もしも存在理由がなければ存在価値はないとするな
らば、人間以外の生命体はいったい何のために生存しているのだろ
うか?つまり、物質世界から見れば、生命体はただ生存するだけで
充分存在意義はあるのだ。だから「何のために生きるのか?」は、
そもそも生命体にとっては目的であったはずの「生きること」を手
段に貶めた倒錯した設問なのだ。つまり、すべての生命体は「生存
とその存続のために生きているのだ」。最初の生命体が地上に生ま
れ堕ちた時から、すべての生命体はその生存と存続のためにだけ生
きてきたのだ。何故かと言えば、それら「生物的秩序を自己形成す
る能力」を持った生命体が存在することは奇跡的な現象だから。つ
まり、われわれは如何にこの世界に留まりたいと望んでも、何れ物質
に還らなければならない。だから生きているということは、実はすごい
ことなんだ。