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明けない夜  作者: ケケロ脱走兵
33/40

(33)

 すでに深夜はとうに過ぎていたが夜はまだ明けなかった。彼女が開け


たままにしたカーテンの隙間から窓ガラスに私たちの姿が映っていた。


暗黒の世界は覗かれることを拒んで私たちに自分たちの姿を反射させた


。世界は、何も無かった。ただ私たちが居るだけだった。そして私たちは


生きているという実感を持てずに生きることを持て余していた。それにして


も出会ったばかりの男女が見知らぬ土地の宿の一室で、深夜に酒を傾け


ながら哲学談義を交わすというのも何とも場違いな感じがしたが、明けない


夜に引きずられて何時終わるとも知れず続けられた。わたしは言葉にしづ


らい重苦しい話から逃れようと思って、落ち着きを取り戻して備え付けのティ


シュで顔を覆うようにして泪を拭う彼女に、


「でもさ、田舎で生活するの大変でしょ、仕事だってないし」


そう言うと彼女は、


「確かにそうだと思うけど、でもね、私もう働くつもりはないから」


「へえーっ、お金持ちなんですね」


「あなたは悪い人じゃないと思うから打ち明けるけど、実は事故の賠償


金が入ったの」


わたしはそれ以上彼女の懐事情につっこんで聞くことはできなかった。


彼女は続けた、


「私、あの事故はどうしても彼が故意にアクセルを踏んだとしか思えな


かったので裁判を起こしたの」


「勝ったんですか?」


「彼はあくまでも私に叱責されたことから動揺して心神耗弱による過失


を主張して譲らなかったけど、するとすぐに示談の申し出があって、私


は応じたくはなかったけど弁護士から強く説得されて受けざるを得なか


った」


「ふーん、相手の彼って金持だったんですね」


「アパレル会社の社長のひとり息子でとにかく遊び癖がひどかった」


「じゃその会社で働いていたのですか?」


「いえ、私モデルをしていたので彼はクライアントだった」


なるほど彼女の端正な顔立ちと垢抜けした容姿はそのためだった。そし


てモデルという仕事をしていた彼女にとって足に負った障害がどれほど


致命的なことであるかは理解できた。彼女の絶望はモデルとしての夢を


絶たれたからに違いなかった。


「モデルをしてる時にね、同じ事務所に仲のいいい友だちが居たの。そ


の娘は私より2コ下で募集で採用されて上京してきたんだけどなかなか


売れなくてコンパニオンの仕事ばかりしていたけれど、嫌な顔ひとつ見


せない明るい娘だった」


彼女は堰を切ったように話し始めた。


「そして誰よりも私を慕ってくれて、その頃私は彼の会社の専属の仕事


をやっていたから、私の方から誘ってよく一緒に外食したり何度か二人


で旅行に行ったこともあったわ。事故の後も何度も病室に見舞いに来て


励ましてくれたの。ところが、私の足が元通りに治らないことを打ち明


けるとまったく来なくなって、しばらくすると彼女は私が専属だった彼


の会社の仕事に抜擢されたの。後から分ったことだけれど、彼女は私が


彼と付き合っていることを知りながら誘っていたらしいの。それを聞か


された時に私は怒りが込み上げてきて絶対に彼女を許さないと思ったけ


れど、リハビリに励んでいるうちにもうどうでもよくなって、それでも


退院して独りで落ち込んだ時なんかにはもう生きていくことが厭になっ


て何度も死のうとした」


そう言うと左手首の袖をめくって生々しい傷跡をわたしに見せた。彼女


は胸裏にわだかまる忌々しい出来事を今度は涙を見せずに淡々と吐き出


した。私は相槌すら発することが出来ずに黙って聴いていた。彼女はわ


だかまりを吐き出したことで胸の内が晴れたのか表情が些か明るくなっ


たように思えた。


「でもね、もう過去にばかり拘っていてはいけないと思って立ち上がっ


て足を一歩踏み出した途端に体は傾いで忽ち忌わしい過去へと引き戻さ


れる。障害はどうすることもできない忌わしい過去へ私を連れ戻して、


そして事故以来もうすっかり私の居場所になってしまった孤独、もしも


あなたは何ですかと問われれば、迷わず『私は孤独です』と答えた」


わたしは「辛かったでしょ」としか言えなかった。ところが彼女は、


「ええ、確かに辛かった。でもね、何度目かのリストカットのとき、あ


の時は何故か死ぬことへの躊躇いが無くて出血がひどくて間もなく意識


を失って、母が見付けた時にはバスタブの中は血の海だったらしいの。


すぐに病院に担ぎ込まれて手術されて輸血が繰り返されそして3日目の


朝に意識が戻った時に、その日は夜に降った雨が止んで病室にまで朝日


が差し込んできて、窓の外を覗くと雨に洗い流された木々の葉の一枚一


枚までもが鮮やかに見えることができて空気までもがきらきらと煌めい


ていた。しばらく窓の外を眺めていたら、この世界に生きていることが


すばらしいことに思えてきて泪が溢れてしかたなかった。その日の朝か


ら私は孤独だと思わなくなった、いや孤独のすばらしさを知ったの」


わたしは何も言えなかった。


「しばらくしてから母にそのことを言うと、それはきっと輸血されたか


らだと言うの。でもそんなことってあるのかしら?」



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