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明けない夜  作者: ケケロ脱走兵
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(2)

 記憶というのは匂いのようなものかもしれない。寛の部屋から容

子の匂いが薄れるとともに彼女への想いも次第に薄れていった。と

ころがある日、部屋にあるはずのケイタイを捜していると、ベッド

の下から白いTシャツが出てきた。それは以前に、容子が就職する

はずの大手スーパーの店舗で買ってきたパック寿司を一緒に食べよ

うとしていた時に、彼女が添えられている醤油の袋を切り裂こうと

して醤油が飛び散って汚したTシャツだった。容子は「切り口」と

書い てある袋を彼に見せて、彼女が切れて文句を言った時のことを思い出した。容子はまるでスーパーの責任者のように憤慨し、遂

には日本企業のモノ造りへの意識が著しく劣化しているのでないか

と彼に訴えた。寛は、

「それは使命感がないからだよ」

と言うと、容子は、

「使命感?」

「だって非正規社員は言われたことをするだけで、おかしいと思っ

ても黙ってるさ」

「使命感がないから?」

「って言うか、聴いてもらえないから」

「なんで聴かないの?」

「多分めんどくさいんだよ、決めたことを見直すのが」

「そんなのおかしい」

「だって非正規社員なんてもう機械と一緒なんだから」

「寛もバイトでそんな経験したことがある?」

これまで非正規社員として数々のバイトをしてきた寛が、

「何度もある」

と答えて、

「それどころか、余計なことを言うなと叱られたこともあった」

と言った。そして、かつて日本製の品質の高さをもたらしたのが安

定した雇用に支えられた作業者の使命感から生まれたとすれば、不

安定な雇用の下で使命感を持たない作業者の姿勢が品質に反映され

ないはずがない、と言うと、容子はTシャツに飛び散った醤油を拭

き取る手を止めて黙ってしまった。

 それは一年前の思い出だった。今になって、就職が決まって夢を

 膨らませている容子に焦りから冷水を浴びせるようなことを言っ

たことが恥ずかしくなった。寛はケイタイを捜すことなど忘れて、

そのTシャツを鼻に近づけて微かに残った彼女の匂いを嗅ぐと、消

えていた記憶が鮮やかに甦ってきた。

 すぐに、自分のTシャツを渡して着替えるように言うと、容子は

その場で醤油の飛び散ったTシャツを躊躇わずに脱いで下着だけに

なった。そしてすこし頭を傾げて寛を斜めから覗った。寛は容子の

眼を見て近づき彼女の肌に触れた。そして、ふたりはそれだけは決

して機械が為し得ない生産的な行為に耽った。テーブルの上のパッ

ク寿司は蓋が開いたままで手も付けられずに、食べようとした時に

はすでに乾ききっていた。

 思い出に浸る寛は、容子の匂いがするTシャツに顔を埋めた。


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