◇3◇ 生まれ変わりを信じますか
水瀬達と祖母の家へ行ってから十日近く経とうとしていた。元々、水瀬からは調べものをするのに最低一、二週間はかかると言われていたので、恵はあまり焦らずに彼からの連絡を待っていた。焦ってはいなかったが、携帯の着信音が鳴る度に、連絡が来たのかと急いで確認する程度には気になるらしい。
学校帰りの電車の中でうとうとしていた恵は、スマホの着信バイブでハッと目を覚ます。メッセージは結局友人からのもので、返事を返さないまま携帯をポケットに突っ込んだ。期待していたメッセージではなかったからではない。友人からのメッセージの内容が割と――いやかなりどうでもいい内容だったからだ。
ちょうど次が降りる駅だということに気が付いて、再びうとうとしないように立ち上がる。窓の外から見える家は小さく、まるで人形遊びで使う家のように見えた。
――こないだばあちゃん家で人形を沢山見てきたせいかな。
ふと、人形ではなく知鶴の顔が浮かぶ。彼女を「ねえさん」と呼ぶ水瀬の方がどう考えても不審で不可思議な人物だが、恵にとっては違った。彼にとっては知鶴の方が不思議で気になる人なのだ。
乗り換え駅の名前が聞こえ、恵は慌てて電車から飛び降りる。その時、隣の車両から降りた小学生の姿が恵の目に留まった。
少女が着ているチャコールグレーのワンピースには見覚えがあった。知鶴が同じ制服を着ていたことを思い出し、恵は思わず立ち止まり少女の後ろ姿を見つめる。階段へ向かう少女の鞄で揺れるピンクのくじら。それを見た恵は思わず声を上げた。
「ちづちゃんっ!」
少女は立ち止まると、ゆっくりと恵の方へ振り返る。そこには少し驚いた顔の知鶴の姿があった。
「高良さん」
知鶴は恵の姿を確認すると、小走りで彼に駆け寄った。
「こんにちは高良さん。学校帰りですか?」
「うん、そう。今試験期間中だから早帰りなんだ」
「そうなんですか、それは大変ですね。試験はどうでしたか?」
「ほどほどに出来たって感じかな」
それは良かったと知鶴はにこにこと笑う。挨拶と世間話を済ませ、このまま「また今度」とお別れを言おうとしていた恵の口から意に反した言葉が零れる。
「ちづちゃん、良かったら俺とお茶して行かない?」
ナンパか。駅員さんか良識ある大人が聞いていたら連行されてしまいそうな台詞である。
「高良さん、わたしフタバの期間限定ストロベリーフラペチーノが飲みたいです」
元気よく手を挙げて飛び跳ねる知鶴。恵は彼女の無邪気な様子にほっと胸を撫でおろした。
駅の中にあるフタバカフェは、窓際の席から行き交う電車の姿が見下ろせる人気のカフェである。ちょうど窓際のカウンター席が空いていたので、飲み物を買った二人はその席に腰を下ろした。恵は自分の鞄を床に置くと、その上に知鶴の鞄を乗せた。彼いわく、「男子高校生の鞄は汚れているのがあるべき姿」なのだそうだ。
「ありがとうございます、高良さん。ごちそうになります」
「いいよいいよ、これくらい。俺だってこないだ水瀬さんにご飯おごってもらったし」
「あれは陽くんがお金を出したのですから、わたしは関係ないですよ。あ、そうです! 陽くんには内緒ですよ」
「俺とお茶したこと?」
「それもですけど、学校帰りに寄り道したのも内緒です」
「水瀬さん、過保護そうだもんね」
「仕方ないです。今は子供ですから」
それは「今はまだ」という意味なのだろうか。知鶴の口から時々発せられる、意味ありげな言葉。それは、恵が彼女を気にする理由の一つだった。
フラペチーノを夢中で飲む知鶴を眺めながら、恵もアイスカフェオレを一口飲み込んだ。
――こうして見ていると普通の子供そのものなのだが。
息が苦しくなってきたのか、ようやくストローから口を放した知鶴と視線が重なる。どちらも視線をそらさないので、男子高校生と女子小学生が見つめ合う不思議な空間がしばらく続いた。
「高良さんが聞きたいのは私のことですか? それとも陽くんのことですか?」
自分の心を見透かすかのような知鶴の言葉に、恵は寸の間黙り込んだ。知鶴は落ち着いた声で恵に問いかける。
「高良さんは生まれ変わりって信じますか?」
思いがけない質問に恵は自然に首を傾げた。ここで「信じる」と言ってしまうのは簡単である。しかし恵は今その言葉を返すのはあまりにも無責任な気がして、
「信じているわけでは、ないかな」
と正直に答えてしまった。すると知鶴は再び恵の方を向いて嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱり高良さんはいい人ですね」
「それ、最初に会った時も言ってたね。俺は確かに悪人ではないけど、そんなにいい奴ってわけでもないと思うけど」
「陽くんは外でもわたしのことを『ねえさん』って呼ぶんです」
「え、うん」
「大抵の人はそれをおかしい、気味が悪いって思うみたいです」
「まあ、確かにびっくりするよね」
「でも高良さんは違ったんです。不思議だな、とか何でだろうとは思ったかもしれませんけど。それはあくまで疑問であって嫌悪感とは違いますから」
「いや、だって俺は二人のことほとんど知らないわけだし。それに水瀬さんの『ねえさん』呼びって慣れるとしっくりくるんだよね。ちづちゃんが時々大人っぽく見えるからかな?」
「大人っぽいですか?」
「うん、時々俺より年上に見える。俺の精神年齢が低いせいかもだけど」
「半分くらいは正解です」
「俺の精神年齢が低いのが?」
「そちらではなく……」
何とも言えない表情で知鶴は首を傾げる。
「高良さん、最初に会った時に後悔について話しましたよね」
「後悔は消えないって話?」
知鶴は恵の方へ体の向きを変えると、ゆっくりと息を吸った。
「人は、後悔をします。その後悔の大きさは人によっていろいろです」
「そうだね」
「その後悔が大きいと、天国の門が通れないんです」
「なるほど、つまっちゃうわけだ」
知鶴は自分の言葉が俺に通じたことが嬉しかったのか、勢いよく頷いて見せた。こういうところは歳相応である。
「それで? 天国の門を通れないとどうなるの?」
「門を通れないと、わたしみたいになるんです」
「ちづちゃんみたいに?」
どことなく物騒な話になってきて、恵は息を飲んだ。天国の門を通るということは、死んでしまったといことではないのか。
「ちづちゃん、それって臨死体験みたいな?」
「りんし……たいけん……」
「ええっと、死にかけた時にする不思議な体験?」
恵がそう説明を付け加えると、以前のように言葉の意味を思いだしたのか、納得したように二回頷いた。
「臨死体験とは少し違います。蘇生はしなかったわけですから」
「え、でもちづちゃんはちゃんと生きてるよね?」
「わたしは生きています。死んだのは別の人です」
「別の人?」
「後悔が大きくて、天国の門を通れなかった人。水瀬千歳さん、わたしの前世です」
なるほど、門を通れないと現世に戻ってくるわけだ。頭で納得していても、顔はそうではなかったらしい。鏡がないから分からないが、ちづちゃんの様子から察するに俺はどうやらすごい顔をしているらしい。
「信じられない、でしょう?」
「いや、確かに信じがたい話だけど、これで全部納得できた。半分正解っていうのはそういう意味だったのか。前世が大人なら大人っぽいわけだよね」
最大の謎、水瀬の「ねえさん」呼びもこれで納得である。千歳と姉弟だったのなら、知鶴をそう呼ぶことは間違いではないだろう。やはり不思議ではあるが。
「高良さんは柔軟ですね。一年前に陽くんと再会した時はなかなか信じてくれなくて大変でした」
「まあ、水瀬さんは身内なわけだし。そう簡単に信じられなかったんじゃない? 思い出が多ければ多いほど、受け入れがたい話ではある思うし」
「そうかもしれませんね」
「水瀬さんとは昔から仲がと良かったの?」
即答すると思っていたこの問いに知鶴は少し困ったような表情を見せた。
「千歳の頃は、大人になるにつれてあまり話さなくなっていったんです。外で偶然会っても気が付かない振りをされることもありました」
「水瀬さんが? ちづちゃんに? あ、ちづちゃんじゃなくて千歳さんか。でも今の姿からは想像できないな」
そう言いつつも、思春期の弟とはそんなものなのかもな、と恵は思った。
「冷たかった、わけではないと思うんです。時々、二人だけで話す機会があると黙って私の話を聞いてくれて、たまに笑いかけてくれましたし」
恵は彼女の声の感じが変わったことに気が付いた。恵はようやく、知鶴が時々別人のように見える理由に気が付いた。
今話をしているのは「千歳」だということも。
「私が結婚してからはまた話すようになったんですけど――」
そこで知鶴の言葉が途切れる。
「けど?」
「いいえ、きっと私の気のせいです。陽くんが今のわたしに優しいのは、わたしが子供だからなんだと思います」
「そうかな」
「そうだと思います」
水瀬はどう見ても子供が得意な人間には見えない。どう見ても、知鶴自身が水瀬にとって特別な存在なのだ。
「――ちづちゃんがそう言うのならそうなのかもね」
「それでもわたし、陽くんと沢山お話できるの嬉しいんです」
「ちづちゃんは水瀬さんのことが大好きなんだね」
「はい! 大好きです」
知鶴は満面の笑みで頷いた。今この場所に水瀬がいないことが悔やまれるほどに眩しい笑顔である。
「あ、そうそう、ちづちゃん別に俺に敬語使わなくていいからね」
「でも高良さんは年上ですから」
「確かに今は年上だけど、千歳さんは俺より年上なんだし。それに水瀬さんには敬語じゃないでしょ?」
恵は当然のことを言ったつもりだったが、知鶴は不思議そうな顔をして見せた。
「だって、陽くんは年下ですから」
知鶴の年上、年下の基準が良く分からず恵は首をひねった。
「そう言えば、水瀬さんていくつなの」
知鶴は指を見つめながら、何度か折っては戻しを繰り返し考えこみ始めた。あんなに親しそうなのに歳は覚えていないものなのだろうか。恵は自分が親の歳を正確に覚えていないようなものかと思い、彼女の言葉を待った。
「確か、二十八、九?」
「そうなんだ、もっと若く見えた。二十半ばくらいかなって」
「それ、陽くんに言っちゃ駄目ですよ。童顔なの昔から気にしてるんです」
「水瀬さんもそういうの気にするんだね」
周りの視線を気にしないタイプだと思っていたので意外である。
「外で千歳といる時に必ず『弟さん?』って聞かれるのも嫌だったらしいです。でも三歳も離れているのだから、そう思われて当然なんですよね」
「何が嫌だったんだろうね」
別に間違ったことを言われたわけではないのだから、嫌がる要素がどこにあるのか。それとも姉と出かけていることを知られることが嫌だったのだろうか。
その時、携帯の着信音が聞こえた。自分のではないことは分かっていたが、恵は念の為自分のスマホをポケットから取り出す。すると、気が付かない内に水瀬からメッセージが入っていたことに気が付いた。
「ちづちゃん、水瀬さんから連絡が来てた」
知鶴の方を向くと、何やら一生懸命に携帯で文字を打っていた。先ほどの着信音は知鶴の携帯だったようだ。
「ちづちゃんも水瀬さんからメッセージが来たの?」
「いえ、お兄ちゃんからです。陽くんからの連絡って調査に関してですか?」
恵は知鶴の兄である亀吉――は本名か分からないが――が気になったが、今は関係ないので水瀬からの連絡内容について話し始めた。
「ええっと、大体確かめたいことは確かめ終えたから、今度ちゃんと話をしたいって」
「そうですか。高良さん、わたし少し気になっていたことがあるんです」
「気になっていたこと?」
「高良さんのおばあ様の家に行った時に思ったのですけど――」
恵は知鶴の話を聞き終えると、しばらく考え込んだ。難しい質問ではなかったのだが、記憶が曖昧な為即答できなかったのだ。
「多分あった、と思う。でも何で?」
「まだちょっと自信を持って言えないので、もう一度おばあ様の家に行きたいのですけど」
「分かった、いいよ。じゃあ水瀬さんの話もそこで聞こう。それでいいか水瀬さんに聞いてみるね」
「はいっ、お願いします!」
水瀬にメッセージを返信すると、恵はふとあることを思い出した。
「そういえば、ちづちゃんは目玉焼きに何かける?」
「目玉焼きですか? ソースです。お母さんのお気に入りのお店の、甘いソースなんです」
自分の話も脈絡なく飛ぶことが多いせいか、知鶴は恵の話にすんなりと乗って来た。
「じゃあ千歳さんは?」
「千歳はお醤油でした。そもそも甘めのものが好きじゃなかったので」
「そっか」
あまり意味のない質問ではあるが、恵は知鶴と千歳が違う人間であることを実感した。こういったシンプルで身近な話題の方が違いがはっきり見えるものなのだろう。
「恵さんは何をかけるんですか?」
「俺? 俺はマヨネーズかな」
微妙な顔をする知鶴。そんな彼女を見て恵は先ほどの友人からの「目玉焼きに何かける派」メッセージに返信しなくて良かったと思ってしまった。