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水瀬姉弟の解けない関係  作者: 白井駒子
1/4

◇1◇ 探偵事務所の小学生所長

 多くの店で賑やかな駅前から離れ、しばらく歩いた場所にその事務所はあった。

 高良(たから)(めぐむ)は手に持った名刺と目の前の小さなビルを交互に見つめた。随分歩いた気がしたが、名刺の裏に描かれている地図を見るとそんなに離れている訳ではないらしい。

「おかしいな。あそこを右だったかな? それとも左?」

 名刺を横にしたり、もう一度縦にしたりしてぶつぶつと呟いた後、

「まあ、着いたんだからいいか。急いでたわけでもないし」

 と一人納得をして名刺を制服のポケットに押し込む。

 そんな気持ちだったから余計迷ったのだろうが。

 看板も何も出ていないので、本当にこのビルであっているのか半信半疑で階段を上ったが、その不安――実際は好奇心の方が勝っていたのだが――は扉についていたプレートが解決してくれた。そこには名刺と同じ事務所の名前が確かに刻まれていたのだ。

 恵は呼び鈴がないようなので軽くノックをしてみた。そのまま数分待ってみたが、扉の向こう側からは何も反応がなかった。

「留守なのかな?」

 そっとドアノブに手をかけまわしてみると金属音がして扉が開いた。恵は恐る恐る扉を開け、中を覗き込んだ。

「お邪魔します……」

 部屋の窓から日が差し込み、思わず目を瞑る。

「やっぱり誰もいないのかな……」

 そう呟きながら部屋の中を眺めると、レースが掛けられた黒のソファに茶色い通学かばんが無造作に置かれているのが目に入った。鞄にはリボンを付けたピンク色のくじらのマスコットが付いていた。大きさから見て定期入れか何かだろうか。

 やはり誰かいる?

 もう一度、今度はゆっくりと部屋を見渡したその時、窓際にあるアンティーク調の机の奥にある椅子が独りでに動いた。

「椅子が勝手に動いた!」

 恵が驚いて声を上げると、椅子がくるりとひと回転した。そしてそこには一人の少女が座っていたのだ。

「ああ、背もたれで見えなかったのか。びっくりした」

 ホッと胸を撫で下ろす恵の様子を、少女が不思議そうに見つめる。小学生くらいだろうか。少女が着ている制服は、恵が通学に使う電車でよく見かけるどこかの大学付属小学校のものである。

 黙ったまま微動だにしない少女を見て、恵は彼女が本当に人間か少し不安になってきた。なぜなら少女は一見すると少し大きな人形に見えなくもないくらい愛らしい外見をしていたのだ。

 ――こういう人形、ばあちゃん家で見たことあるし。

「あの、俺……怪しいもんじゃないんだけど。ええっと、保護者――お父さんとかお母さんいる? ここの事務所に用事があって」

 恵がそう言うと、少女の無表情だった顔が急にパッと明るくなった。

 良かった、どうやら人形ではないらしい。

 少女は姿勢を正し、にこりと微笑んだ。

「ようこそ、水瀬(みなせ)探偵事務所へ。所長の芳野(よしの)知鶴(ちづる)です」


 恵はソファに腰かけ紅茶をすすっていた。

 なぜこんなことになったのか。

「高良さん、お茶のお代わりいりますか?」

 そんなに喉が渇いている訳ではないのだが、小動物のような真ん丸な瞳で見つめられ、

「じゃあもう一杯もらおうかな」

 と答えるしかなかった。

 こんな小うさぎか子リスのような小さい子にお茶を勧められて断れる人間などいるものか。いるとしたらとんでもない悪党である。

「ええっと、知鶴ちゃん」

「ちづでいいですよ。友達もみんなそう呼びます」

「じゃあ、ちづちゃん。この事務所はちづちゃん一人でやっているの?」

 まさかそんなはずはと思いつつも、恵は気になっていたことを聞いてみた。知鶴は紅茶のお代わりを注ぎおえると小さく首を振った。

「違いますよ。所員がちゃんといます」

 少し誇らしげに胸を張る知鶴を見ていると、恵はなんだか微笑ましい気持ちになってきてしまった。

「ちづちゃんって今いくつなの? その制服って確か、どこかの大学付属小学校のだよね」

「四月から小学二年生になりました。今日は学校帰りに寄ったので制服なんです」

「所員の人も小学生だったり……?」

(よう)くんは小学生じゃありませんよ」

 それを聞いて恵はホッと胸を撫で下ろした。小学生二人しかいないのでは、ここに来た意味がない。いくらしっかりとしていても小学生は小学生である。

「陽くん、本当は今日はお仕事お休みだったんです。けど急用で行かなくちゃいけなくなったって。だから本当は今日、わたしここに来ちゃ駄目だったんです」

「そうだったんだ」

 小さい子一人でこんな所にいることを不自然に思っていたが、そういうことなら納得がいく。

「高良さんはどうやってここに来たんですか?」

「どうやってって?」

「水瀬のおじ様が亡くなってから、外の看板は外してましたし、宣伝もしてませんから」

 水瀬のおじ様とはおそらく先代の所長のことだろう。恵はポケットの中の名刺を取り出して知鶴に手渡した。彼女はその名刺をまじまじと見つめ、独り言のように小さく呟いた。

「これはお客様に配られたものじゃありませんね。おじ様がお友達に配っていたものです」

「え、どうしてそんなこと分かるの?」

「印字に使っているインクが緑のものはお友達用――プライベート用だと」

 プライベート用だと言った時の知鶴の顔が一瞬大人びて見えて、恵は瞬きを繰り返した。

「ちづちゃん、チョコ食べる?」

「食べます! ありがとうございます」

 満面の笑みを向けた知鶴の顔は子供そのもので、やはり先ほどの表情は見間違いだったのだろう。

「この名刺ね、こないだばあちゃん家の遺品整理していたら箪笥の奥から出てきたんだ。ネットで検索してもヒットしなかったから、どんなところかなと思って」

「じゃあ依頼に来たわけじゃないんですね」

 知鶴がそう問いかけると恵は微妙な顔をしてみせた。

「確かに好奇心もあったんだけど、それだけじゃなくて。まあ、依頼ってほどじゃなんだけど」

「何か困っているんですか?」

 子供に話すような話なのか、恵が考えこんでいると、ピロンという電子音が事務所に響いた。

「陽くんからだ!」

 知鶴は勢いよく立ち上がり、窓際の机に近寄った。キッズ用のピンクの携帯を手に取るとしばらく動きを止めた。

「高良さん、陽くんがもうすぐ事務所に来るみたいです」


 暇つぶしに始めたオセロの盤面がほぼ黒になった頃、事務所の扉がゆっくりと開く。恵が扉の方へ視線をやると、そこにはスーツ姿の男性の姿があった。目が合うと、彼はにこりと微笑んだ。二十代半ばか後半くらいだろうか。先ほど知鶴が言った通り仕事帰りらしく、大きめの鞄を肩から掛けていた。

「こんにちは」

「あ、ええっと、こんにちは!」

 恵は慌てて立ち上がると深々と頭を下げた。

「高良恵です。すみません、勝手にお邪魔しちゃって」

「大丈夫ですよ、高良さん。わたしが、所長のわたしがいて下さいって言ったんですから」

 所長の部分を強調して知鶴はそう言い切る。彼女の言葉に水瀬は微笑みながらも少し困った顔をして見せた。おそらく、自分の留守中は知らない人を事務所にあげないように言っているのだろう。知鶴は彼の言いたいことが分かったのか分かってないのか、にこりと笑ってみせた。

「大丈夫よ。高良さんはとてもいい人だから」

 いい人と言ってもらえて、恵は嬉しい反面不安な気持ちになった。何の根拠も無しに人を信用してしまうのも考え物である。

「初めまして、所員の水瀬(みなせ)陽次朗(ようじろう)です。依頼人が来ていると連絡をもらったのだけど、君のことかな?」

「はい。すみません、お仕事だったのに」

「いや、仕事は丁度終わったところだったんだ。本当はもう少し早く終わるはずだったんだけど、思ったより長引いてしまってね」

 知鶴は二人の会話を聞きながらも、あるものが気になって仕方がない様子である。その様子に気が付いた水瀬は、手に持っていた箱を彼女へ手渡した。

「どうぞ、お土産です。急に仕事が入ってしまったお詫びです。この間食べてみたいと言っていた駅前のケーキ屋さんのですよ」

「わあ、ありがとう。食べたいって言ってたの覚えててくれたのね、陽くん」

 今にも跳ねだしそうな笑顔を向けると、知鶴は水瀬からケーキを受け取った。そんな彼女を見て、彼女以上に嬉しそうな笑顔を見せる水瀬。彼が知鶴を溺愛しているだろうことは一目瞭然である。

 所長が小学生という非日常な空間に、ようやく常識の通じそうな大人が現れたことに恵は安堵した。それと同時に一つの疑問が浮かび上がる。

 一体この二人はどういう関係なのだろうか。

 歳の離れた兄妹や親子にも見えなくはないが、名字が違う。何より、仲良く話す中にもどことなく他人行儀な空気が感じられた。もしかして、離婚して母親に引き取られた娘に会うために、探偵事務所を一緒にやっている――と考えるのはドラマの見すぎだろう。

 考えとしては、叔父と姪などの親戚関係が妥当な線である。

 当人達が目の前にいるのだから聞けばいいだけのことなのに、恵はもはや想像するのが楽しくなってきてしまったらしい。

「ケーキのお皿用意するね」

「走ると転びますよ、ねえさん」

 ――そうか、やはり姉と弟。

「え? ねえさん?」

 二人の関係性が余計ややこしくなるような単語の登場に、恵の思考が一瞬止まった。

「高良君、本日はどのようなご相談に?」

 水瀬は恵に座るように促すと、自分も向かいの席に腰を下ろした。

「あの、水瀬さん、ねえさんって? ああ、何かごっこ遊びの延長ですか?」

「ああ、気にしないで。この呼び方の方がしっくりくるんだ」

「はあ……」

 一見普通に見えるがちょっと変わった人らしい。

 ――まあ、しっくりくるならいいのか。

 普通の人ならそこで「いいのか」とはならないだろうが、恵は考えても分からないことは深く考えない性質であった。ある意味彼も十分変わっているのだ。

「高良さんはお友達の名刺を持っていたのよ」

 大きなお盆をおぼつかない足取りで持った知鶴が台所から戻って来た。水瀬は彼女からお盆を受け取ると、ゆっくりと机へ降ろした。

「お友達の名刺? おじさんのプライベート用の名刺ですか?」

「それでちょっとした相談があるって」

 知鶴は二人の前にケーキを置くと、自分の分を取って水瀬の隣に座った。

「陽くん。残った一個持って帰ってもいい?」

「ねえさんに買ってきたんですから、もちろんどうぞ」

 知鶴がおいしそうにケーキを食べ始めたのを見てから、恵はようやく今回の相談について話し始めた。

「実はこの名刺を見つけた祖母の家に泥棒が入ったんです。と言っても物は何も盗られていなかったので、泥棒という言い方は正確ではないんですが」

「物を盗っていない? 警察は何て?」

「一応鑑識の人は来たんですけど、犯人は分からず終いでした。被害に気が付くのが遅かったせいかもしれませんが。泥棒が入ったのが祖母が階段から落ちて入院した後のことで、いつ泥棒が入ったか正確な日にちが分からないんです」

「それは……大変でしたね」

「祖母が亡くなったのはその数週間後で、階段から落ちたのが原因の一つなんです。持病や歳のせいもあって、そのまま寝込んでしまって。階段から落ちて動けない祖母を見つけたのは俺だったんです」

 恵はそこまで言うと下を向いて少し黙り込んだ。彼の家族は皆、歳だったのだから仕方ないと言っていたが、やはりそれでも後悔が残る。もっと早く発見できていれば、と。

「高良さんは後悔しているんですね」

 知鶴の言葉に恵は思わず顔をあげた。

「それと、高良さんは疑っている。おばあ様が階段から落ちた事故と泥棒が入ったことが関係しているのではないかと」

 恵は言葉を失った。正にその通りであったからだ。

「高良さん。もし高良さんが後悔から今回の事件について調べたいのでしたら、私はその依頼を受けるわけにはいきません」

 知鶴の表情がまた、あの大人びたものへと変わっていく。恵は思わず彼女の話に聞き入った。

「後悔を他のもので埋めることは出来ません。真実を知ったところでその後悔が大きくなるだけかもしれない。ある程度自分を納得させることは出来ても、後悔自体は決して消えません」

 彼女の寂しげな瞳を見て、恵の口から思わず言葉が零れた。

「ちづちゃんはそういう後悔をしたことあるの」

「私は――わたしはありませんよ。でも知ってはいます」

 何とも不思議な雰囲気を持つ少女である。恵はまだ幼い彼女の言葉に反発を感じるどころか、やけに納得してしまった。

「ええっと、後悔はもちろんあるけど、そういうんじゃないんだ。何となくこのままじゃすっきりしないなって思ってたところにここの名刺を見つけたから。もし分かるのならちゃんとしておきたいなって」

 知鶴はじっと恵の目を見つめた後、何度か小さく頷いた。

「分かりました。高良さんのご依頼お受けします」

「うん、お願いします。あ、依頼料はそんなに払えないかもだけど」

「それは大丈夫です。そのお友達用名刺は相談料無料券のようなものなんです」

 知鶴の明るい声に水瀬も頷いた。

「大叔父は趣味でこの事務所をやっていたようなものだから。あまり報酬にはこだわっていなかったんだ。今も営利目的でやっている訳じゃないしね」

「そうなんですか」

 恵はこの二人がこの事務所を継ぐことになった経緯が気になったが、会ったばかりなのにそこまで踏み込むのは失礼だろうと思いそのまま言葉を飲み込んだ。

 そもそも突っ込み所が多すぎて、質問をしていたら日が暮れてしまう。

「それじゃあ、高良君。とりあえず、次の土曜にでもその泥棒に入られた家に行ってみようと思うんだけど」

「大丈夫です、お願いします。この事務所で待ち合わせでいいですか?」

「場所によるかな。住所教えてもらえる?」

 住所を伝えると、事務所に寄ると遠回りだということで現地の最寄駅で待ち合わせとなった。恵が水瀬と連絡先を交換していると、知鶴も混じりたそうにじっと見つめてきた。混ぜてあげたいところだったが、保護者不在の小学生女児と連絡先を交換するのはハードルが高すぎたので見て見ぬ振りを通した。


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