二話 美女
職場を退職せざるを得なかったのはしょうがない。命に関わる問題だった。
フリーランスとなり、心機一転新しい地で仕事をこなしてきたが、どうにもつまらない。
初仕事はやり甲斐もあって面白かったんだけどな。
あれからもう3年か、あいつら有名人になってるらしいな。
元気にしているだろうか。
俺は元気じゃない。退屈な仕事ばかりだ。
選り好みするなって意見もあるだろうが、折角フリーになったのに面白い依頼が全く来ないのは、正直言ってかなりの辛い。
そんな陰鬱な気分の俺に、仕事を持ち込んできたのは絶世の美女だった。
田舎の宿場町にある古ぼけた酒場でヤケ酒を飲んでいた所に、その女はさも自分は不幸ですという顔をして近づいて来た。
「あの、ハリスさん、ですか?」
まるで俺が考えた最強のいい女が、妄想から飛び出したかのように、完全に好みの顔とスタイルをしていた。
金髪のウェーブを肩まで伸ばし!瞳は透き通るようなブルー!胸は大き過ぎず小さ過ぎず手で覆いたくなるような形!だがヒップは溢れんばかりの大振りだ!
そりゃもうドキドキですよ。脳内ではピロートークに華を咲かせて3回戦に突入しそうになっていた。
しかしそんな妄想プレイは一瞬で霧散、しなかった。見惚れてしまう、いやダメだ!この女は俺を「ハリス」と呼んでいた、つまりは仕事の依頼だ。
「と、とりあえずお掛けください」
酒を飲む手を止めて、テーブルの向かいにある席をすすめる。
見た所二十代後半といったところか、一番美味しいお年頃じゃないか。いかん!頭を仕事用に切り替えなければ。
「その、私の事をどこで?」
「ベンダー商会のシュミットさんから」
ああ、あの青年か。確か一年ほど前だったか、ライバル商会に奪われた取引上の重要な書類を奪い返してやったんだ。
「わたくしが勤めておりますフォーサイス家は、昔からベンダー商会さんとお付き合いがありましたので、そのツテで」
フォーサイス家。西部の小国、フォーサイス自治国の貴族だったか?
「じゃあ依頼はフォーサイス家として?」
「いえ、わたくし個人としてです」
「個人?」
「はい。今フォーサイス家は問題を抱えておりまして、貴族、首領として動く事が出来ない状態なんです」
「じゃあ形上は貴女が依頼主となって、その裏にフォーサイス家があるって訳ですか」
「いえ、フォーサイス家は本当に関わりがないんです。わたくし個人が、わたくし個人として依頼するということです」
「そうですか・・・」
ちょっと困ったことになった。
「あの、お金なら心配の必要は、」
「え!?いえいえ!お金のことではなく、それよりも個人の依頼というのが、その・・・」
「個人、では受けられないと?」
「私の仕事は信用第一でして、これは私自身もそうですが、それ以上に依頼主の信用も重要でしてね。あ、いや!貴女が信用出来ないといってるわけではないんです。その、すいません。言い方が悪かったですね」
「いいえ、国や名の知れた組織、あるいは人物でなければ信用は得られない。わたくしも長年貴族社会で勤めている身です。おっしゃりたいことはよくわかります」
「ご理解が早くて助かります」
「では、やはり受けられない、ということでしょうか・・・」
うわ、やめてくれよ。そんな潤んだ瞳でさぁ、見られるとさぁ、色々マズイですよ。
「まだ決めるのは早計です。そうですね、少し時間をもらえませんか?ほんの一週間ほどです」
彼女の顔が曇る。ヤバい!断り文句だと思われた!
「い、いや、その、安心して下さい!今のところ断るつもりはありませんです!はい!ただ、今のままだと受けられないだけと言うか、その、なんと言うか・・・」
ほんの少し安堵の表情を浮かべる。駄目だ、緊張して変になってる。俺こんなに女慣れしてなかったか?
「では一週間後にこの酒場でよろしいでしょうか?」
「う、いや、ば、場所は変えましょう。ここらはあまり貴女のような女性が安心して出入り出来る場所では無いんですの」
すのってなんだ。
「わかりました。場所と時間は其方に任せます」
「では、ここから3日ほど歩いた場所に廃村があるのはご存知ですか?」
「南の方角ですね。以前通りましたからわかります」
「では廃村の入り口で、一ヶ月、いや一週間後の丁度正午にしましょう。問題ありませんか?」
「ええ、大丈夫です」
彼女は僅かに微笑んで、小さく頷いた。更に可愛くなった!
「では、わたくしはこれで・・・あ、」
椅子から立ち上がりかけ、中腰のまま顔を赤くする。
か、可愛すぎる!心臓がドキドキだ!
「わたくしとした事が、大変申し訳ありません。自己紹介もせずに、このような・・・緊張のあまり礼儀知らずな事を・・・」
「い、いえ、そんな」
「改めて、わたくしフォーサイス自治国首領、アラン フォーサイスに仕えますメイド長、」
「あ、ああっ、待って下さい、名前は依頼を受けてから聞きます」
バカか俺は!名前くらいいいだろうが!
「ですが、既にわたくしハリス様のお名前を存じております」
え?ハリス?あ、そうか、
「あ、ああ、すいません、それ偽名なんですよ」
「・・・そう、ですか。そうですよね、考えが足らず恥ずかしいところを見せてしまいました」
またしても顔を赤くし、俯き加減でそう呟く彼女は余りにも美しく、可愛らしく、つまり俺はもう限界で、
「き、急用を思い出しましたので私はこれで!一週間後、またお会いしましょう!」
目線を合わさずに、早口で別れを告げると急いで席を立つ。
慌てて立ち上がると彼女は、
「ええ、わたくしもまたお会いできることを楽しみにしております」
美しい笑顔で俺にそう言った。
勘定を済ませ店から出る。
ヤバかったマジでヤバかったぞ。あのまま会話してたら変な事言っちまいそうだった。
ハニートラップってやつか?
いや、考えられない。ああいう罠は立場が上だったり、家族がいたり、そういう人物に使わないと効果が薄いもんだ。
じゃあ何だ、俺に取り入ろうとする誰かの差し金か?だったら仕事の依頼とかそんな遠回りな設定で来るのはおかしいだろう。
そうじゃなければ、えーと何だ、うーん、他に何か可能性は?何がある?無いか?て事は、彼女は本当に俺に仕事を持ってきたってことか。
でもおかしいだろう!なんで俺の好みぴったりなんだよ!
あー頭が回らない、駄目だ。とりあえず報告を待とう。
モヤモヤした頭を抱えたまま、俺は色街へと足を運んだ。
ちょっと楽しみたい気持ちがないと言えば嘘になる。だが目的は女を買う事じゃない。 ここの色街は客引きがひどいと有名で、つまり尾行を確認したり撒いたりするのに絶好の場所なわけだ。
客引きのにーちゃんやおっちゃんを軽く交わしながら、色街を出たあたりで後ろを振り返る。
怪しい奴はいない。
撒いたのか、あるいは元々いなかったのか。
めんどくさいが新しく宿をとって、そこで休もう。
宿までの道中、俺の頭の中は麗しのメイド長様の事でいっぱいだった。
次の日、一応警戒して明け方まで起きていた俺は、昼過ぎまで睡眠をとり宿を後にした。
元々取ってあった宿に荷物を取りに行く。
宿屋の主人はえらく不機嫌に俺を睨み付けたが、チップを宿代の倍払うと上機嫌で俺を見送った。
そのまま宿場町を出て田舎道を歩く。
今いるのはシアー街道だ。この街道はシュタイアー国とベルグマン王国という、2つの国を結ぶ結構重要な道なんだが、あまりぱっとしない。
かなりの田舎道だ。
理由ははっきりしている。
東西を結ぶ大動脈、バーレル大街道から大きく離れているからだ。
おかげで国土面積は広い割りに人口が少ない。
バーレル大街道とシアー街道は同じ東西に伸びる道だ。
もう一本海岸線沿いに伸びるガード街道ってのもある。
バーレル大街道とガード街道は二大東西街道と言われている。
2つの街道はどちらも東の端と西の端を結ぶ、世界最長の街道だ。
だがシアー街道はシュタイアーとベルグマン止まりだ。両国の首都までしか伸びてない。
昔延長して大街道にしようって話があったが、バーレルとガードが通る国が反発。戦争になり、負けて頓挫してしまったらしい。
今から200年ほど前の話だ。
結果シュタイアーとベルグマン王国は今でも貧乏国で人も少ない。
そうなると街道や各街に常駐させる軍隊や警備兵の数も少なくなる。
で、俺みたいな怪しい奴らにとって暮らしやすくなるわけだ。
次の宿場町まであと一時間という所で日が暮れてきた。予定通り街道の脇で野営の準備をする。
小枝や薪を拾い焚き火をする。毛布を敷いて座り、干し肉を炙りながらお茶の用意だ。
まだ冬には遠いが夜は冷え込むようになってきた。
淹れたお茶をすすりながら炙った干し肉をかじる。
不味くはない、取り立ててうまくもないがな。
街道を歩く人影が、道から外れて近付いて来るのが見えた。
ブラウン色の髪をお下げにした旅装束の女性。
人によっては可愛いと思うかもしれない程度の地味な顔。
一言でいえば「田舎娘」って感じだ。
俺の横に無言で座り込む。
「お茶」
愛想もなく、ぶっきら棒に言う。
「ん、待ってろ」
「肉は?」
「今焼くから」
「え?焼いてくれてないの?」
「いつ来るかわからなかったからな。冷めた干し肉渡したら、どうせ怒るんだろ?」
「別に怒んないよ。ちょっと不機嫌になるだけ」
ん?いつも愛想がある方じゃないが、今日はいつもより悪いような。
「もしかして怒ってる?」
「別に」
あ、やっぱり怒ってる。多分あれだ、昨日のメイド長様の事だ。
「美人な人だったね。童顔のアレックスとじゃ全然釣り合ってなかったよ」
「童顔って・・・俺は年の割に若く見えるだけだ!それにお前だって以前、未成年とか言われてただろ」
「女性の顔にケチつけるとかサイテー」
「そっちから振ってきたんだろうが・・・」
俺の横でお茶を飲みつつ睨んでくるこいつは俺の相棒だ。
名前をパラといい、昔はとある国の諜報機関にいた。
俺のフリーデビュー戦の時知り合ったから、かれこれもう四年の付き合いだ。
「まぁしょうがないと思うけどさ。アレックスのタイプにぴったりの人だったもんね」
「お前、俺のタイプの女なんて知らないだろ」
「酔っ払った時に言ってたの忘れたの?金髪のウェーブで、胸は程よい大きさで、お尻は大きい方がいいんだっけ?」
え、嘘だろ?酔っ払って口を滑らすだと?この俺が?まさかそんなことありえ・・・
「他にも色々言ってたけど、話そうか?」
「いや、大丈夫です。すいませんでした」
「フンッ」
パラが勝ち誇ったように鼻を鳴らす。しょうがない、今回は尻に敷かれておこう。
「でも、本当に心配したよ。あんなに動揺してるアレックス見たの初めてなんだけど」
「ん、そうだな。確かに・・・なぜか知らないが、自分の感情が制御できなくなっちまった」
そうだ、なぜあんなに興奮した?
なぜ別れた後も、頭の中があの女のことでいっぱいになった?
それに期限が一週間って・・・何を考えているんだ俺は、それじゃ充分な事前調査が出来ない。いつもならもっと時間をかけて調べるのに・・・
あの女の顔を見た途端、全ての判断力を奪われてしまった。
何なんだあいつは、今から考えるとちょっとおかしい事ばかりだ。
というか、今の今までおかしいってことにも気が付かなかった。
可能性は1つある。
だが、あり得ない。あるはずがない。あってはならない。
「アレックスも男の子ってことかな?」
「男の子って歳じゃないけどな。今年で29だぞ」
くだらなくも心の落ち着く会話だが、これでは話が進まない。仕事の話をしなければ。
「で、彼女は?」
「何も。あのまま宿に帰って寝ちゃったよ。今日も朝と夕方に食事に出て来ただけ」
「怪しい奴の出入りは」
「それもなし。他の客は2人組の男がいたけど、ただの行商人だった。そっちも確認済み。強いて言えば、怪しくなさ過ぎるのが怪しいかな」
「そうか」
俺達は何処かの街に入る際、なるべく別行動をするようにしている。
全く赤の他人のふりをして、万が一何かあった時はお互いをカバーできるようにするためだ。
特になんの依頼も受けていない場合は、誰かが訪ねてくる可能性が大きい。
もし依頼主が自分達の知らない相手なら、今回の様に身元やどんな裏があるのかを尾行して探るわけだ。
「ねぇ、依頼受けるの?」
「まだわからん。もう少し調べてからだな」
「私は断った方がいいと思うよ。だって個人の依頼ってひどい目にあうこと多いし」
仕事の依頼は殆どが国や大型の商会だ。
個人での依頼もたまにあるが、大体は「そういった名の知れた組織の人が」という事が多い。「組織の後ろ盾がない個人が」というのは珍しいパターンだ。
今まで無かった訳じゃない。だがあまり良い結果にならない。報酬が少なかったり、裏切りにあったり。
「シュミットに聞くにしても遠いしなぁ」
奴は今西部の商会本部だろう。馬を不眠不休で走らせても1ヶ月近くはかかる。
「事情を調べるだけでもやってみるか。それも反対か?」
「アレックスがやりたいならそれに付き合うよ。でも、こっちに不利益があるようなら、すぐに手を引いてね」
「やっぱりパラはいい子だな。頭撫でてやろう」
「そういうのいいから。で、どこから手をつける?」
「フォーサイス家が問題抱えてるって言ってたな。バーレル沿いの街なら、何かわかるかも知れない」
「ここから一番近い街道沿いの街ってなると、ボーアかな?」
バーレル大街道の街、ボーア。比較的大きな街だし情報を聞き出せるツテもある。
馬で往復3日半ぐらい、情報を集めるのに1日かかるとして、結構ギリギリか?いや、なんとかなるだろう。
「ていうかなんで一週間後なの?いつもは最短でも三週間だよね。調べ尽くせないよ?」
う・・話を蒸し返すなよ。
「・・・そうだなボーアに行くか。明日中にマドセンに行くぞ」
「無視しても、しつこく聞くだけだよ」
シュタイアー国の首都マドセンには、馬を預けてある。それにセーフハウスもあるしな。