余話 『奇貨』
獣の様な罵声と怒声。
何かが壊れる音に殴る音。
それから、とても小さなうめき声。
そんな音がする家をしばらく見ていた。昼間から酒の臭いをさせる男が幼い子どもを家の外に追い出す。
骨の目立つ細い身体は痣だらけで、よたよたと幼な子は歩いて行く。
今日もまた酒を買って来いと追い出されたのだろう。あの男は命じるだけで幼な子に金は渡していない。
毎度酒屋から盗めるはずもなく、いつも賑やかで騒がしい市場でサイフを狙う。物乞いでは酒代には程遠く、罪を犯し続けている。
罪を重ねられるほどには腕がよく、被害者に加害者と特定されることのないまま幼な子には酒を買って家に戻っていく。
いつも家族愛に恵まれない魂。それでも、今回は極めつけに悪く、遠くない未来に儚くなるか売り飛ばされるだろう。
かつて出会った少年の魂に印をつけた。少年は技術者となり、遺跡を一つ直してみせた。
長い時間がかかると思われた技術の習得。一生をかけて修復してもらおうとした遺跡を十年とかからずに復活させたある種の才人。
すべての古代竜が自由を取り戻し、遺跡を完全破壊するまであれにつけた印を消しはしない。
あれの変わりはそうそうおらず、あの魂が相手なら容易に技術と知識を受け渡せる魔石が二つある。
明度のない白い魔石。死にゆく身体と長い間かの者の腕にはまっていた白い腕輪を魔石にしたもので、魂につけた印を消す日まで手放すことはしない。
もう一つは黒い魔石。白い魔石同様にこちらも明度はない。大きさは白い魔石より二回りほど小さく、かの者がはめていた黒い腕輪を魔石にしたものだ。
現在すべての遺跡は稼動停止状態にある。すべての古代竜が目覚めれば、あとは破壊するだけ。遺跡を稼動させる方法を知る者も古代竜のみとなっており、おそらく白と黒の魔石が使われることはない。
ならば、今、この黒い魔石を使ってしまおうか。
かつて、白と黒の腕輪は竜から与えた守護だった。
魔力ではなく、祈りや願いといったものに反応する守りだったが、あれは自らの足を食われるその時でさえ救いを求めはしなかった。
その場に誰かいれば利用して立ち回っただろう。けれどあれは、救援を願いはしなかった。無条件に愛されることのない子どもにばかり転生を繰り返す魂は、甘えるのが不得手なようだ。
魔石から知識と技術を手にすれば現状は変えられる。しかし、その知識量からもう幼い子どものままではいられない。
人の生など、老齢になろうと瞬きほどの短きもの。夭逝する者などいくらでもいる。
さてはて、どうしたものか。
レヴィエスは黒い魔石を弄び、幼な子をただ見続けていた。
床が血に染まっていた。
機嫌の悪かった男が幼な子を殴り飛ばし、幼な子は床に倒れて動かなくなった。動かないことに腹を立て男は酒をあおり、酒がなくなると妻である女を殴った。
酒を買って来いと怒鳴るが、幼な子は動かない。そのうち暴れて疲れはてた男は、椅子に座ったままいびきをかいて寝た。寝た男を包丁を持ち出した女が刺し、赤く染まった床ができあがる。
女は血塗られた包丁を手に家を出て行く。周囲で上がる悲鳴もこの先の女の行動にも興味はない。
レヴィエスは倒れたままの幼な子を見に行く。
わずかに唇が動いていた。
かすれた小さな声。
死にたく、ない。
「君は願うか」
魔術を発動させ身体を修復する。修復するだめの光が全身を包む。小さな体躯のどこにもゲガしていない場所がなかった。
光が収まると幼な子は頭を振り、ゆっくりと上半身を起こす。幼な子は痣一つない手足を不思議そうに見やり、手足を動かしていた。
「痛くない」
「痛いのは嫌か?」
声かければ、視線が合う。
「あなたは人間?」
首を傾げ問う姿は年相応に幼い。しかし、かの者の面影を見てしまった。この子にはかの者の片鱗が確かにある。
「人間ではないよ」
答える声は穏やかで、顔には表情が浮ぶ。作り物ではない笑みは久しぶりだ。
「君の父はそこで動かなくなっている。刺したのは君の母だ。そろそろ捕まっている頃だろう。君はどうする?」
問われている事が理解してできないようで、幼な子は困っていた。
後ろを指させば、幼な子は振り返り血塗られた死体を目にする。騒ぐことなくその目に写し続けていた。
「この町の法だと連座で捕まることはない。だが、保護者がいなくなったら家賃は払えないだろう? ここに住み続けることはできない。どうやって生きる?」
再びこちらを見た瞳に悲しみの色はない。淡々とそこにあるの結果を受けいているようだった。
「盗んで食べて、寝ぐらを見つける」
自ら出来る事がそれだけだと理解している。
虐待されても親を求める子は多い。だが、この子はすでに親に対して諦めていたのか。
「孤児院に行くという手もあるぞ。孤児院ならとりあえず屋根のある場所で寝られる」
少し考えているようではあるが、孤児院は魅力的ではないようだ。この町の孤児院はどこも経営状態がよろしくない。
殴ってくる相手が父さんから年上の子どもに変わるくらいの差だろう。
「君にやる気があるなら冒険者登録をしないか? 費用はこちらで負担しよう」
冒険者ギルドは誰でも登録できる。ギルドを作った勇者たちは登録料を無料にしたかったようだが、現状は有料で落ち着いている。
幼な子の目つきが変わった。
「そんなことをしてあなたにどんな利益があるの?」
「楽しさがある」
理解できなかったようで、幼な子は悩みを深くする。
「あとは、過去への挑戦だな」
竜の擬態を見破ったんだ。鍛えれば見込みがあるの。
ちょうど親もいなくなったところだ。久しぶりに子どもを育ててみよう。
魔石で知識と技術を与えるのはいつだってできる。それに、今世である必要もない。
過去と同じだけの事が出来るようになるか、それとも過去を超えていくか。
今世は間近でじっくりと見せてもらうこととしよう。
まずは親に対して泣くなり怒るなりする感情を与えてやるべきか。しかし、数度の魂の履歴を思えば、素材バカにしないことも重要な事案か。
私と素材どっちが大事なの、と振られ続けた前世。家族より素材を優先し捨てられた前々世。ときめくのが素材に対してだけだった前々前世。
どうやら冒険者にするより、まともな人間に育ってる方が難題になりそうだ。
まあ、失敗したら今世の経験を来世で活かそう。古代竜が全て目覚めるまで、まだまだ時間がかかる。
目覚めたら目覚めたで、あいつらに手伝わせてもいい。
せっかく逃がさない様に印をつけているのだ。せいぜい仲良くやろうではないか。
微笑みかけると、幼な子が怯える。
親に殴られても最近は怯えない子になっていたのに不思議なものだ。
しかし、怯えた姿はかの者によく似ている。かつての日々を思い起こし、懐かしさを覚えた。
読んでくれた方、ありがとうございました。




