第1部 第5話【百害あって一利なしな奴ら】
「だからよぉ、オレがいいたいのはな、政治家の野郎どもがこの社会をダメしちまってるってことなのよ。それは美空ひばりもいってたことだぜ。オレもよくひばりのために作曲したからなぁ、なんちって。けへへへへ……おい、メシア!聞こえるかっ?酒持ってこい!酒だ!……なんてね。うそうそ、ぼくはやさしい天使ちゃんなのよ。でもな、今の巨人軍に必要なのは……」
……うすうすお気づきの人もいるかもしれないが、これこそが私の父が酒に酔って1日中しゃべり続ける独り言なのである。
私はこの父の独り言をものごころついたときからほぼ1日おきに、延々と延々と聞き続ける人生をおくってきた。
DVがないならましだという意見もあるかもしれないが、気持ち悪い声での意味不明の独り言を朝から深夜まで聞き続けなければならないストレスは、実際に経験した者にしかわからないだろう……。
もしも収入がすこぶる高く、母に楽な生活をさせているのなら10歩ゆずって許せるが、給料の半分以上を酒代につぎこむためメシア家は火の車で、母は内職やパートで大忙しの様子だったのだ。子供心に私はそれがとてつもなく頭にきていた。
━━ある日の学校の体育館でのこと。後ろから坊主頭の私に向かって『おい猿!おい猿!』と罵倒する声が聞こえてきたのだ。
振り返るとそこには私より遥かに背の小さい少年がいた。隣のクラスのイシミ(仮名)という奴である。
その髪型、顔つき、目つき、口調など、まさに“ミスタークソガキ”といった感じの奴だった。こいつはなにかにつけ私のことを猿呼ばわりし、図書館の動物図鑑に載っている猿の写真を『この猿はメシアなんだぞ(笑)』といったふうに嘲笑したこともある。
それから20数年後、まさか彼に現代の救世主として、とある刑罰を世界ではじめて下すことになるとは夢にも思っていなかった……。
━━ある日、私のクラスに転校生がやってきた。名前をクズノ(仮名)といい、ありえないくらい濃くサディスティックで、1度見たら忘れられないような顔をしている。
また、身長がクラス1の長身の私に匹敵するくらいあったため、先生が私と背比べをさせようとしたが、私はそれをなんとなく断った……。
━━ある日の休み時間。外で遊んでいたときのことだ。遠くから飛んできたサッカーボールがものすごい勢いで私の顔に直撃したのだ!
私は激痛に泣き叫んだのだが、そんな私を大きな声で嘲笑する奴がいたのだ。それがクズノだったのである……。
━━ある日の休み時間。廊下を歩いていたとき、すぐ前を歩いていたクズノが近くの生徒をつかまえて、壁に貼られている私の夏休みの思い出日記を指さしながらこういったのだ。
「動物公園なんてダセーよな?」
━━ある日、野球遊びで私がピッチャーをやっていたとき、バッターの後ろにいたクズノが私のふりかぶらない投球フォームをゆったりした動作でバカにしたのだ。
守備を終えて攻撃にまわり、ベンチに腰かけてふと地面を見てみると、なんとそこには【メシア バカ】と書かれていた……。
クズノは誰かれかまわず、手当たりしだいに学年中の生徒たちをあざけ、嘲笑し続け、クズノがやってきてからの私たちの学校生活は暗澹たるものになってしまった。
さらにクズノは体が大きく顔も怖いので、『おい、おまえ、いい加減にしろよ!』といったことをいってくれる人もあらわれることはなかった。
ここでふと客観的に思うことがある。もしもクズノをみんなで集団無視できたらどんなに楽になったことかと。
私たちは当時、【無視はいじめだ やった者は悪だ】といった誤った固定観念に縛りつけられていたためか、クズノを集団で無視することができずに、いやいや仲間に入れていやいや一緒に遊び続けるはめになっていた。そのたびにクズノが問題を起こし、トラブルを起こし、心に傷をつくる子が後を絶たない状態だった。
しかし、はっきりといっておく。無視というものはいじめではない。無視される側が悪いのだと。もしもこのときのクズノをみんなで集団無視できていたら、誰ひとりとして傷つくことはなかったのだ。無視されるような人間のほうが悪いのである。
もしもクズノが交通事故かなにかにあって死んでくれたなら、きっと私たちは肩を抱き合って【ウィ・アー・ザ・ワールド】を合唱していたことだろう。
そんなクズノの嘲罵の的は他校の生徒にも及び、みんなで空き地で遊んでいたときにそばを自転車で通りかかった他校の生徒に向かってこういったのだ。
「自転車ぼれーぞー(笑)」
そういうクズノの顔もボロ雑巾のように汚かったが……。
このとおりです。死んでください。