第6部 最終話【究極の理想世界論説━━フツウノセカイ━━】
人類はどこからきたのか……人類はどこに向かおうとしているのか……真の平和はなんなのか?理想世界とはなんなのか?これまで無数の賢者たちが答えを求め続けてきたが、いまだに誰ひとりとして答えにたどり着けた者はいない……。
ついに、ここまできてしまった。第1部の第1話から自分の人生を振り返りながら書き続けてきたこの【新世界創造】は、いわばこれを書くための布石といったところである。【新世界創造】はあともう少しだけ続くが、私が最大に伝えたいメッセージはここに詰められているといって過言ではない。
平和な理想世界━━太古の昔から無数の人々が憧れ、夢に見、語り続けてきたユートピア。しかし、それを実際に見た者、実際に体験したことがある者はいまだかつていない。
では、究極の理想世界とは、いったいどのような世界のことをいうのだろうか?
【戦乱がない世界】
【貧困や差別がない世界】
【いじめや暴力がない世界】
いろいろ意見は出ると思うが、真の正解は実はもっとシンプルなのである。
では、究極の平和理想世界とはどのような世界をいうのか?正解は━━
平和や幸福という言葉・概念が存在しない世界
━━である。
全世界は完璧に平和で、全人類が完璧に幸福だったなら、わざわざ平和や幸福などという言葉・概念は必要ないはずである。
その世界の辞書には平和と幸福という言葉は載っておらず、世界中隅から隅まで完璧な平和の金色の光に包まれ、人類はひとりひとりすべて全員、完璧な幸福の銀色の光に包まれている。
その世界には苦しみや不幸という言葉・概念どころか、なんと平和と幸福という言葉・概念すら存在しないのだ。この世界こそが人類が目指すべき、到達すべき究極の世界なのである。
人間の使命が人類滅亡ではなく人類繁栄である以上、全人類100億人中ひとりとして苦しみに苛まれてはいけない。もしもひとりでも苦しみに苛まれて自殺しようものなら、それにショックを受けた残りの全人類も自殺してしまうかもしれない。
その可能性が0・000001%でもある以上、ぜったいにひとりとして苦しみに苛まれてはいけないのだ。よって人に苦しみを与える行為をとった者は、限りなく厳しく罰する必要性があるのである。
もしも人間の使命が人類滅亡だったなら、人に苦しみを与える行為は許される。いや、許されるどころか賞賛される。
しかし、人類滅亡が使命の場合、人間は人類繁栄、人類存続につながる行為は一切とってはいけないことになる。
性行為、食事━━もっといってしまえば、呼吸をすることすら許されない。
人間の使命は人類滅亡なのだから、呼吸をしてしまっては人類滅亡が遠ざかってしまう。よって人類滅亡が使命の世界では、すべての人間が呼吸を止めてそのまま死んでいかなければならないのである。これが人間の使命が人類滅亡の場合の世界だ。
しかし、人間の使命はそのまったく正反対の人類繁栄である。よって、誰がなんといおうと、全世界は完璧に平和で、全人類は完璧に幸福で、全人類100億人中ひとりとして苦しみに苛まれてはいけないのだ。究極の論理性というものを追求していくとそういうことになる。
そのため理想世界理想世界といっても、全世界が完璧に平和で、全人類が完璧に幸福で、全人類100億人中ひとりとして苦しみに苛まれない世界というのは、もともとからそうでなければならない、そうであっての当然の━━
普通の世界
━━だというわけなのだ……!
理想郷、桃源郷、ユートピア、アルカディア、エリシオン、エルドラドなど、様々な呼び方がされてきた理想の平和世界の正体は、ただの普通の世界だったのである。戦乱、暴力、貧困、差別などが渦巻き続けてきた今までの世界があまりに異常だっただけで、人類が永年憧れ続けてきた理想世界こそが普通の状態なのである。
私はこの【新世界創造】の中に、究極の理想世界である【普通の世界】の築き方をひとつひとつ順を追って説明した。あとはひとりでも多くの協力者があらわれてくれることを祈るのみである。




