第2部 第5話【教育センター】
1993年をむかえたばかりの頃だったか。メシア家に中学の担任のセキノ先生(仮名)がやってきた。
1年のときの担任は女性の美術の先生だったが、2、3年はセキノ先生という国語の男性教師が担任だった。
このセキノ先生という人、品行方正で正義感あふれる好青年という表現がぴったりの人で、アニメ【機動戦士ガンダム】に出てくるブライトを連想してもらえばわかりやすいかもしれない。
莫大な不安と孤独と苦悩にまみれきった1992、3年の2年間、私は本当にセキノ先生の存在には助けられたものだった。そんなセキノ先生はよく電話で『みんな学校にこいっていってるぞ!』といっていた。おそらく小学生時代のスーパースターの私しか知らない生徒たちだと思われる。彼らはまさかスーパースターの私が中学1年でいじめにあったなどとは夢にも思っていないだろう。
メシア家にやってきたセキノ先生。彼によると教育センターというところに通わないと、登校日数が足りず卒業ができないのだという。それから数日後、私はバスで10分ほどの教育センターというところに通うようになっていった。
━━教育センターでは男性の先生からマンツーマンで英語を習った。その先生は物静かなクリスチャンで、外界に出て間もない私にいっときの安らぎをもたらしてくれた。
しかし、その先生が教えられるのは英語だけで、別の教室で今度は数学を勉強する必要があるのだという。そして私は母とセキノ先生の3人で、数学を教わる先生と教育センター内の一室で対面することになった。
私に数学を教える先生は、60歳くらいのメガネのおじいさん教師だった。と、そのとき、私にはよくわからなかったのだが、母によるとなにやら風刺めいた言葉を浴びせられたらしい……。しかし私は特に気にすることなく、週2回の教育センターに通い続けていった。
そして、事件は起きた……。
数学を教わる教室は大きな教室で、私以外にも男女10人ほどが同時にマンツーマン授業を受けていた。そして授業が終わると男女に分かれて卓球をすることになっており、私は一応元卓球部の人間としてそこそこの実力を見せつけていた。
そんなある日のことである。それまで見たことのない少年がきており、楽しそうに笑いながらみんなの卓球のプレーを褒めたりしていた。
どうやら私がその教室にやってくるまで、卓球の絶対王者として君臨していた少年らしい。
そのときである。私たちはダブルスで軽いラリーをくり返していたのだが、相手のひとりの少年がバックばかりで打つ私の独特のプレーをニヤニヤしながらバカにし出したのだ。そして私がくるまでの絶対王者の少年が『目があぶねーよ、目があぶねーよ』と、なぜか私の目をあざけ出した。
きっと私の卓球の実力を【手強し】と感じ、自分たちの座を守るために私をバカにしてプレーにしづらくさせようとしたのだろう。
無論、気の小さい私はバックで打つのをやめてしまい、さらにその日を境に3回ほど教育センターを休むことになってしまった。
それにしても『目があぶねーよ』というあざけり。このあざけりを思い出すたびに急激に瞬きをするようになり、ひとつのものをじっと注視することができなくなってしまった。
さらに追い打ちをかけたのが、シニカルな数学のおじいさん先生。久しぶりに私が教室に入った途端、彼はなんとこういったのだ。
「なーんだ。今日もこないと思ってた」
……私は勉強はできるほうで、ほかの先生が赤ペンでの○ばかりの私のノートを見て、私の数学の出来や進み具合を賞賛したこともあった。
しかし、目があぶねーよ事件以来、同じ教室内に敵の嘲笑的な生徒が複数おり、さらに担当の先生からもあざけりを受けてしまう。そんな環境の中で勉強に集中などできるはずもなく、私の数学の進み具合はぴたっと止まってしまうのであった。
プレーしづらくさせるためにいやがらせをおこなう━━その代表例といえば、やはりアメリカ大リーグのハンク・アーロンではないだろうか?
ハンク・アーロンはベーブ・ルースのホームラン記録に迫っていたとき、白人たちから連日のようにすさまじいいやがらせを受けていたという。結果、ハンク・アーロンはベーブ・ルースの714本塁打を抜いて755本塁打を記録したものの、もしも白人からのいやがらせがなかったら、ハンク・アーロンはまちがいなく800本塁打を大きく上回るホームランを打っていたことだろう……。
━━せっかくひきこもりから脱して教育センターに通いはじめたというのに、そこでもあざけりを受けて不愉快な思いを味わうとは。いったい私の人生とはなんなのだろうか?
なにをやってもバカにされる。どこに行ってもバカにされる。なにをやってもうまくいかない。私は一応高校を目指していたが、こんな状態ではたとえ高校に行っても中学の二の舞になるだけだ。私は世の中をうまく渡る才能というものが欠落した人間なのである。
そんな私の苦悩も知らず、その日も父は酒に酔った気持ちの悪い独り言をべちゃくちゃとしゃべり続けた。そんな父にようやく明確な殺意が生まれはじめていった……。