第1部 第10話【プリンス】後編
━━家族全員が寝静まったある日のメシア家。私はイヤホンでテレビを見ながら興奮をおさえるのに苦戦していた。ついにプリンスの代表曲【パープル・レイン】を聴くことができるのだ!
やがて番組がはじまる。オープニング曲はディズニーランドなどで流れていそうなファンタスティックなナンバー【テイク・ミー・ウィズ・ユー】。
と、【テイク・ミー・ウィズ・ユー】が終わった次の瞬間である。テレビ画面が一気に真っ赤に染まり、プリンスのエレキギターから強烈なハードロックのメロディーが流れたのだ。
【バンビ】━━私はこの曲が流れている最中、立ち上がって寝ている家族のほうを頻繁に確認した。イヤホンで聴いていたとはいえ、それまで聴いたこともないものすごい大音量のハードロックだったので、『家族に聞こえているのではないのか?』と危惧したからだ。
やがて【バンビ】は終わり、次に演奏されたのはラップナンバーの【アルファベットストリート】。それが終わると最初のCMに入った。
CMが開けて次に演奏されたのは【キッス】。プリンスが姿を消すと、あのロージーがマイクを持ってステージの前に出てくる。
ロージーの歌声にギターのミコとベースのレヴィが楽器で応える。やがてロージーも元のキーボードの位置に戻り、観客はロージーの『ヘイ!』に合わせてうたい続ける。
そのとき、白亜のギターを肩にかけたプリンスが出てきて、映画【OO7】のテーマを軽く弾いたりした。そしてステージの中央にたどり着き、ブラックホールに吸い込まれるような不思議な音ともにしゃがみこむ……。
やがてどこからか風のようなギターの音が聴こえてくた。そしてテレビ画面の右下に曲名のテロップが出る。
【PURPLE RAIN】
その瞬間、私はこう感じた。『自分はこの曲を聴くために生まれてきたのだ』と。
なにも考えることはない。ただ心を無にしてプリンスのギターの音色に耳を傾け続ければいいのだ。
プリンスのギターの音色がすべての苦しみも、すべての悲しみも包み込んでくれる。人々はプリンスのギターに心をゆだね、安らかな笑顔を取り戻せばいいのだ。
やがて東京ドーム中を壮大な感動で席巻した【パープル・レイン】が終わってCMに入った。
……プリンスの【パープル・レイン】をはじめて聴いてから20年以上が経過するが、私はいまだにプリンスこそが史上最高のロックギタリストだと確信している。
一般的に世界の3大ロックギタリストといえば、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、エリック・クラプトンの3人だとされているが、私の中の最大最高のギタリストはプリンスなのである。
私は素人なので技術的なことはまったくわからない。専門家にいわせれば無数の意見が出るのだろうが、素人が聴いても、子供が聴いても、誰が聴いても、別格の感動と衝撃に全身が支配されるギターソロは、私はいまだにプリンスの【パープル・レイン】しか知らない。
━━なにはともあれ、ついに念願の【パープル・レイン】もビデオに録画でき、私は毎日夢のような気分でプリンスのビデオを見続けた。
そんなある日、珍しく酒を飲んでいない父が『へんなの見てるなぁ』といったのだ。私はそのとき、プリンスの【ザ・クエッション・オブ・ユー】という曲を見ていたのである。
この曲の中でプリンスはマイクスタンドを女体のように扱って卑猥なパフォーマンスをしたり、野良犬のような奇声を発したりするのだ。それを見た父が奇異に感じたのだろう。
実ははじめの頃、この【ザ・クエッション・オブ・ユー】のところだけ早送りして飛ばしていた。まだ子供だった私にはプリンスの奇怪なパフォーマンスは刺激が強すぎたのだろう。
しかし、次に演奏される【ホエン・ドブス・クライ━━ビートに抱かれて】はちがった。【パープル・レイン】は別格のナンバーワンだが、次に好きな曲をあげろといわれたら文句なしに【ビートに抱かれて】である。それほどにカッコイイ曲だった。
かくしてストーンズ一色だった私の生活はプリンス一色になり、プリンスの来日東京ドーム公演のビデオをくる日もくる日も延々と延々と見続けていった。