スイッチを押したのは……
桃坂先輩視点続きます
散らかった部屋の中、とうとう諦めて口を開いた佐倉と俺は向かい合って座っていた。
ちょっと赤くなった頬を両手で押さえて、佐倉は視線を彷徨わせている。
俺は胡坐をかいて、佐倉が話し始めるのを待っていた。
「……どうしても、私の口から言わなきゃ、ダメなんですか?」
どのくらい待っただろうか。
ようやく佐倉が口を開いた。
ほんの少し不貞腐れたような口調。
どうやら佐倉には正当な怒る理由があるらしい。
「だって俺分かんないもん」
俺がそう言うと、佐倉はぎゅっと眉根を寄せて俺の顔を睨んだ。
「……先輩が、そんな普通の顔して、嘘をつける人だとは思いませんでした」
「嘘? なんの?」
「だって原因が分からないなんて、そんなはずないじゃないですか」
本当に心当たりがないから、答えようがない。
俺の顔をじっと見つめて、佐倉は大きなため息をついた。
なに。なんなの? 勝手に残念がらないでよ。
「じゃあ桃坂先輩は今までどこにいたんですか?」
「どこって、学校まで走ってた」
「学校にいたんですよね?」
「うん」
「誰とですか?」
「誰と?」
「……」
「……え?」
誰とって、まさか、佐倉は。
「……見た?」
俺の質問に佐倉は深く頷いた。
あ~。見られてたの? そういうことか。
「あれはさ」「言い訳するなんて信じられない」
俺の言葉を遮るように、佐倉は強い口調で言った。
「言い訳じゃなくて」「キスした理由ですか?」
だから聞けよ。
「キスしてねーし」「してたじゃないですか」「してねーから」「うそつき」
言い訳じゃなくてちゃんと説明をしたいのに、佐倉は聞く耳を持ってくれない。
てか佐倉が怒ってる理由って、俺が夏輝にキスしたと思ってるからなの?
それってさ。
「もしかして佐倉、やきもち焼いたの?」
俺がひょいと顔を覗き込んでそう言うと、佐倉の頬が一気に真っ赤に染まった。
「ちっちがいますっ。そんなんじゃなくて……」
あれ? なんで? 俺、なんか嬉しいんですけど。
「キスするような相手がいるのに、付き合ってる振りとか、一緒の家にいるとか、おかしいじゃないですか。だから……。聞いてます!?」
慌てて片手で口を隠したけど、にやにや笑いが隠しきれなかったらしい。
それを見た佐倉は、目を見開いて信じられないという顔をした。
「なんで笑ってるんですか!? こんなことくらいでショックを受けてる私がおかしいですか?」
「いや。ちが。ちょっと。待って」
「信じられない! 桃坂先輩がこんな酷い人だなんて、知らなかった!」
「だから。話、聞いてよ」
「やだ。聞きたくない」
勢いよく顔を背けて、立ち上がろうとした佐倉の腕を慌てて捕まえる。
「離してください! 私となんかじゃなくて、彼女と一緒にいたらいいでしょっ」
「ちがうって。ちゃんと聞けよ。俺は夏輝にキスなんかしてないから」
「うそっ」
「うそじゃないって。確かに夏輝と話してて、いきなり抱きつかれて、諦めるから最後にキスしてくれって言われたけど。してないから俺」
まるで毛を逆立てた猫の子のような状態の佐倉を、ぎゅっと腕の中に閉じ込める。
「誤解させるようなことしてごめん。でも俺、佐倉と付き合ってるのに、他の子とキスなんかしないって」
「付き合ってるじゃなくて、付き合ってることになってるだけです」
「そんなのどっちでもいいじゃん」
「よくないです」
「なんで? 俺には一緒だよ。佐倉には何がちがうの?」
「だって」
「佐倉には泣かれたくない。佐倉には笑っててほしい」
「……」
「でも俺のせいで泣いてる佐倉は超可愛い」
「……っ」
今まで俺が佐倉にちょっかいをかけてた理由。
それがはっきりと分かった。
俺の起こすアクションにいちいち反応する佐倉を見るのが単純に楽しかったんだ。
だから佐倉と一緒の時間がもっと欲しいと思うようになって。
初めて俺のせいで泣かせちゃって。
いま俺の中に湧いてきたこの感情は、ただ楽しいだけじゃなくて。
愛おしい。
自分の中に今はっきりと自覚する感情。
スイッチ押されちゃったか~。
俺の腕の中で、耳の先まで真っ赤にして小さくなっている佐倉の髪にくちびるを寄せる。
もし今、夏輝のしたように、佐倉が顔を上げてくちびるを差し出したら。
きっと俺は迷いなくキスしてるはず。
でも佐倉がそんなことするはずないよな。
今は腕の中に閉じ込めているだけで全然満足だし。
「せせせんぱい。そろそろ離してもらえないでしょうか……」
腕の中でもぞもぞと動きながら佐倉がそんなことを言うけれど、残念ながら要望には答えられないと思う。
「だーめ。もうちょっとこのままがいい」
「も、もうちょっとって……。あとどのくらいですか?」
「もうちょっとって言ったらもうちょっとだよ」
「えっとあの。そろそろ部屋も片づけないと。お昼ごはんもまだだし。律子さんも帰ってくるかも知れないし」
「あんまりうるさくすると口塞ぐよ?」
「……」
危険を感じたのか、佐倉は口を閉ざした。
それが残念なような気もするけど。
俺と佐倉の二人きりの時間は、ゆっくりと、静かに流れていった。




