涙の理由
桃坂先輩視点です
「ただいまーっ」
火の消えたろうそくのようになってしまった夏輝を、遅れてやって来た後輩たちに任せて、ようやく家にたどり着いたのは昼過ぎのことだった。
変な空気のまま家を出た気まずさもあって、いつもより元気よくドアを開ける。
あれ? 誰もいない?
電気の消えたリビングには誰もいなかった。
佐倉の姿も兄ちゃんの姿もない。
まさか、二人だけで出かけたとか……。
また気分が落ちそうになった時、二階でがたんという物音がした。
二階にいるのか?
まさか二人で?
最悪な状況がふと頭をよぎる。
いやだけど佐倉に限ってそんなことは。
勢いよく頭をひと振りして、俺は二階に向かった。
半分開いたままの兄貴の部屋。
誰かがいる気配がする。
……佐倉?
てか、なにこの部屋。
いつもは整然と片付いている兄貴の部屋は、とんでもないことになっていた。
物が散乱する部屋の真ん中、佐倉がぺたりと座りこんいる。
「佐倉!?」
思わず出した俺の大きな声に、佐倉の体がびくりと反応する。
驚いたように振り向く佐倉の目には溢れそうな涙があった。
「どうしたの!? 何があった!?」
佐倉の前に回り込んで、その両腕を掴む。
勢いで佐倉の目から涙の粒がぽろりと零れ落ちた。
「兄貴に何かされたの!?」
俺の勢いに固まっていた佐倉はゆっくりと首を振った。
それにほっとして、ようやく佐倉のことを観察する余裕が生まれた。
ぐしゃぐしゃな顔をしてるけど、けがをしている様子はないし、朝見た時と何も変わった様子もない。
そこまで兄貴のことを信じてないわけじゃないけど。
……良かった。
俺は心の底から安堵した。
と同時に、自分勝手な俺の行動を、心の底から反省した。
俺にとって兄貴は家族だ。
チャラチャラしているけど、芯の部分はしっかりしていることを知っている。
だけど、佐倉にとって兄貴は、初めて会う人間で、どんな奴かも知らないということで。
俺は家を出ちゃいけなかった。
どれだけ腹立たしくても、どれだけムカついても、佐倉と兄貴を二人だけにしてはならなかった。
佐倉にとって頼みの綱は俺だけなのに。
よく知らない男と二人きりにされた佐倉が、どんなに不安かなんて。
考えなくても分からなくちゃならなかったのに。
「ごめん佐倉」
とりあえず何もなくて良かった。
そう思ったら、自然に佐倉を抱き寄せていた。
腕の中で佐倉がもがいているような気もするが、そんなことは気にしない。
良かった。本当に。
でも、あれ?
「じゃあなんで佐倉は泣いてたの?」
ひょいと顔を覗き込むと、佐倉は分かりやすく顔を逸らせた。
逸らせた先に顔を持っていくと、反対側に逸らせる。
ふーん。じゃあ。こうしたらどうかな。
佐倉の背中に回していた右手を離して、佐倉の顎をすくい上げるように片手で掴む。
軽く掴んだだけじゃ振りほどかれそうなので、ちょっとだけ指に力を入れたら、タコみたいな口になって。その顔、ちょっと面白いんだけど。
笑うのをこらえて、真面目な顔を作るのって、ほんと難しい。
「何があったのか、ちゃんと話すまで、手は離さないから」
「……」
強情に佐倉はまだ目を逸らせようとしている。
周りを見回せば、転がっているのは大きなカバンとノート、衣服。
「なに? 佐倉帰ろうとしてたの?」
ぴくんと佐倉の肩が動いた。
「なんで? 何がそんなに嫌だったの?」
逸らせた佐倉の瞳が揺れている。
「兄貴が何もしてないんだとしたら、原因は俺だよね? 俺が勝手に家を出ていったのが、そんなに悲しかったの?」
佐倉はまだ口を開かない。
「何も言わないのは肯定だってことだよ? 佐倉は俺がいなくて淋しかったから、泣いてたんだよね」
「……ひがいまひゅ」
「……」
「手、はなひてくらひゃい」
俺のせいなんだけど。
佐倉の空気の抜けた声に、我慢していた笑いが思わず漏れてしまった。




