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想いのベクトル

「静流先輩」


 ボールの向こうに、夏輝が立っていた。

 驚いたような顔で、俺とボールを見比べている。


「よお。元気だった? これから部活?」


 俺が声をかけると、夏輝はほっとしたような表情を浮かべ、ボールを拾い駆け寄ってきた。


「はい。明日は練習試合があるので」


 いつもなら抱きつかんばかりに接近してくる夏輝だが、今日は俺の一歩手前で立ち止まる。

 

「静流先輩、一人ですか?」


 夏輝がきょろきょろとあたりを見回してそう言った。


「うん。気分転換に走ってる途中」

「そうですか」

「練習試合って、夏輝たちはもう引退してるんだろ? 受験勉強はいいの?」


 俺がそう言うと、夏輝はてへっと舌を出した。


「いいんです。もうM高へ行く必要はなくなっちゃったし。推薦もらって自分のレベルに合った学校に行くことにしたから、そこまでがんばらなくても大丈夫なんです」

「そっか。M高には来ないのか」

「なんですか? やっぱり夏輝に来てほしかったって言っても、遅いですよ?」


 そう言って笑う夏輝の顔に、なんだかほっとした。


「色々とごめんな。夏輝」


 自然にそんな言葉が口から零れていた。

 一瞬、動きを止めた夏輝が、眉をしかめる。


「そんなこと言うのは反則ですよ? 折角静流先輩のこと諦めようとしてるのに、諦められなくなっちゃうじゃないですか」

「……そっか。ごめん」

「……あの人と夏輝は、何がちがったのかなぁ」


 手に持ったボールをポンポンと地面に突きながら、夏輝がつぶやいた。


「夏輝は小学校の頃から、静流先輩一筋だったのにな」


 自嘲するように笑う夏輝の顔に、幼い頃の顔がダブる。

 そうだよな。夏輝はずっと俺のあとに付いて、俺だけを見てくれてた。

 他の女の子が、兄貴に熱を上げる中、夏輝だけは俺の周りを離れなかった。


「大体、静流先輩は女の子の趣味が悪すぎます」

「なんだよそれ」

「忘れたとは言わせませんよ。中学の時、告白されたって舞い上がって付き合った子がいたじゃないですか」


 よく覚えてるな。そんな昔のこと。


「その子、雅人さんに会った途端、静流先輩を振ったじゃないですか」


 そういやそんなこともあったな。

 大好きだから付き合ってほしいと言われて、付き合い始めた転校生。

 好きでも嫌いでもなかったけど、断る理由がなかったから付き合うことにした。

 夏輝の言う通り、初めての告白に、舞い上がってもいた。

 それなのに彼女は付き合い始めてすぐに、いきなり別れてほしいと言ってきたんだ。

 はっきりした理由は言わなかったけど、兄貴のファンクラブの中にその彼女の顔を見つけた時、自然に理由は分かった。

 俺の周りの女の子はそういう子が多くて、純粋に俺から兄貴に乗り換える子や、俺との関係を足がかりに兄貴に接近しようとする性質の悪い子までいた。

 だから自然と女の子のことを友達以上には考えないようにしていた。





「あの人だって、雅人さんに会ったら、どうなるか分からないじゃないですか」

「そうだな」

「きっと夏輝にしておけばよかったって、後悔しますよ?」

「そうかもな」

「それでも、やっぱり夏輝のことは選ばないんですか?」


 夏輝が俺の目をじっと見つめていた。

 夏輝の言う通り、夏輝にしておけば楽なのかもしれない。

 兄貴を知っていても、ずっと俺だけを見てくれていた夏輝なら、安心していられるのかも知れない。

 なんで夏輝じゃだめなんだろうな。

 佐倉は兄貴と俺を比べて、どう思うんだろう。

 なんで俺は佐倉のことが気になって仕方ないんだろう。


 先に目を逸らせたのは夏輝の方だった。


「そうですよね。好きになるのに、条件なんか関係ないですよね」


 夏輝の手からボールが転がっていく。


「分かってます。夏輝がそうだから。静流先輩のこと、諦めなきゃいけないのに、好きだって気持ちは変えられないんだから」

「夏輝……」


 泣きそうな顔をした夏輝は、でも泣かなかった。

 涙をこらえるように、ぎゅっと眉根に力を入れて、夏輝は俺の方を見た。


「静流先輩。お願いがあります」


 そう言った夏輝は突然俺の胴体に抱きついた。


「ちょっ。夏輝? 何やってんの?」


 まさか抱きつかれるとは思ってなかったから、完全に油断していた。

 腕の上からなら何とかなるけど、胴体に抱きつかれると女の子の力と言えど、なかなか引きはがせない。

 

「最後のお願いです。もう先輩のことは忘れるから。だから最後に、キスしてください」


 そう言って、俺を見上げた夏輝の目は、涙で潤んでいる。

 うそだろ。なにこの状況。


「誰にも言いません。夏輝と先輩だけの秘密にします。だからお願い」


 そう言って夏輝は目を閉じた。

 長いまつ毛が震えている。

 ふっくらとしたくちびるを差し出されて、他の男だったらどうするんだろう。

 好きでもない女の子とでも、キスできるものなのかな。


 なぜか夏輝の目を閉じた顔に、今朝の佐倉の寝顔が重なった。

 これが佐倉だったら、俺はキスしてるのかな?

 てかキスをねだる佐倉って、超ウケルんだけど。


「……静流先輩、あの人のこと考えてるんですか?」


 気が付いたら夏輝が至近距離で俺の目を覗き込んでいる。

 おっといけねえ。意識が飛んでいた。


「夏輝の最後のお願いも、聞いてもらえないんですか?」


 うるうるした上目づかいで言われても、心は動かない。

 なんと言うか、夏輝は血のつながった妹のような存在なのだ。

 多少強引でわがままなところもあるけれど、夏輝はやっぱり可愛いと思う。

 けどそれはあくまで後輩として。 

 どれほど可愛くても、やっぱり夏輝にそういう感情は湧いてこない。


「悪いけど、ムリ」


 俺がそう言うと、ふっと夏輝の腕から力が抜けた。 



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