ご機嫌な兄貴と不機嫌な俺
再び桃坂先輩視点です。
目覚ましが鳴ったわけでもないのに、朝の光にぱっちりと目が開いた。
あー。なんか久々に熟睡したわー。
そう思ってふと腕の中の物体に気がついた。
あれ? 佐倉?
俺の腕の中で佐倉が丸まって眠っていた。
すーすーと規則正しい寝息が聞こえる。
ああ、そっか。
一瞬で昨夜の出来事が頭に蘇った。
あの時は半分眠ったような状態で、深く考えもせずに佐倉を俺のベッドにひっぱりこんだけど、よくよく考えたら、なんかすげえことしちゃった? 俺。
俺の視線の先ですやすやと眠る佐倉は、まるで小さい子供みたいだ。
いつもよりずっと柔らかい表情をしているからかな。
思わずそのつるんとした頬に手を伸ばしかけて。
なにやってんだよ俺。
頭をひと振りして、触れる寸前で止めた手を引っ込め、そのままベッドを下りた。
佐倉がいつも使っている兄貴の部屋をのぞいたけど、兄貴がベッドを使った様子はなかった。
何となくそのことにほっと息をついて、ベッドのまくら元に佐倉の衣服が畳んであるのに気がつく。
それを持って、俺の部屋で眠る佐倉のまくら元に置き、階下に下りる。
俺って何気に気がきく男だよね。
下に下りていくと、兄貴がキッチンのテーブルでコーヒーを飲みながらスマホをいじっていた。
「あ、おはよ。静流」
俺に気がつくと無駄に爽やかな笑顔でそう言った。
朝からなんかむかつく。
「コーヒーあるよ? 飲む?」
俺の返事を待たずに、兄貴はいそいそとコーヒーメーカーからマグカップにコーヒーを注いでテーブルに置いた。
無言で腰かけ無言でコーヒーを飲む、俺の不機嫌に気付いているだろうに、それについて兄貴は何も言わない。
「昨夜はごめんねえ。まさか女の子が家にいるなんて知らなくてさ」
「……」
「静流の彼女? だよね? まだ寝てるの? 起きてきたら謝りたいんだけど」
「寝てる」
「そっかー。それにしても静流が彼女だなんて、いつの間にか静流も大きくなったんだねえ」
しみじみ語る兄貴をぶっ飛ばしてやりたい衝動と戦う。
「あ、母さんとようやく連絡取れたよ。色々あって、帰ってくるのは明日になるそうだよ」
「ふーん」
にこにこにこ。
俺がどんなに素っ気なく返しても、兄貴はうれしそうに笑っていやがる。
いつまでも子供扱いするような、それが嫌だって分かってないんだよな。
兄貴は昔と変わらない。
弟に超甘いお兄ちゃんのままだ。
変わったとしたら、それは俺。
兄ちゃん兄ちゃんと、兄貴の後ろを追い回していた俺は、もういない。
そんなことを考えながらコーヒーを飲んでいたら、ひょこっと佐倉がキッチンに現れた。
「あのー」
恐る恐るこちらを窺う佐倉の姿を認めた途端、兄貴の顔に満面の笑みが浮かぶ。
「やあやあ。昨夜はごめんね。さあさあどうぞこっちに。コーヒー飲むでしょ」
兄貴の勢いに、引きつった笑みを浮かべた佐倉が、俺の顔をちらりと見た。
何も言わずに俺の隣の椅子を引くと、おどおどとしながらも素直にそこに座った。
「はいどーぞ。コーヒーには何か入れる? 入れない? 砂糖はここね。スプーンもはい」
にこにこにこ。
相変わらず兄貴は愛想の大安売りだ。
佐倉がコーヒーに口をつけるのを見計らって、兄貴も向かいの席に座る。
「じゃあ改めまして。僕は静流のお兄ちゃんの桃坂雅人です。よろしくね」
お兄ちゃんって言うな。
「あ、どどうも、はじめまして。私、M高の一年の佐倉こころです。あの、お兄さんの留守中に勝手にお部屋を使わせていただいてて、どうもすみません」
別に佐倉が謝ることじゃない。
「いやいや。僕はもう外に出た身だから。一応大学を卒業するまでは荷物を置かせてもらってるけど、もうあの部屋は僕の部屋じゃないから自由に使って?」
「えっと、はあ。ありがとうございます」
「で? 静流とはいつから付き合ってるの? てかいつからこの家に住んでるの?」
兄貴の質問に佐倉の頬が赤く染まった。
それを見て微笑む兄貴に、なぜか俺の苛々は高まっていく。
ちらりと俺の方を助けを求めるように佐倉が見た。
「付き合ったのは最近。ずっと住んでるわけじゃなくて、冬休みの間だけ家にいる」
佐倉の代わりに答えた俺の顔を、佐倉が不思議そうな顔で見ている。
ああ。機嫌が悪いのは自覚してるけど、よっぽど酷い顔してるのかな、俺。
「えっと、あの、朝食作りますけど、食べますか?」
沈黙に耐えかねたのか、佐倉が立ちあがってそう言った。




