彼氏ではない人
気が付いたら高橋くんと話し始めて一時間近く経っていた。
そういや高橋くんって昔から話しやすい雰囲気を持ってたよね。
穏やかな笑顔でうんうんと話を聞いてくれるから、ついつい余計なことまで話しちゃうのだ。
いつまでも話をしていたいけど、そろそろ帰らないと。
カラオケを終えて出てきた桃坂先輩たちに会ったら厄介だし。
「今日はありがとう。変な話を聞かせてごめんね。でもすっきりした」
駅の前で、別れ際に私がそう言うと、高橋くんはにこっと笑った。
「僕こそありがとう。嫌な話をさせてしまってごめんね。でもこころちゃんの笑顔が見れて良かった」
「うん」
「ここでこころちゃんに会ったことは誰にも言わないから、安心して」
「はい」
「あのさ」
ほんの少し高橋くんは思案してから、カバンから手帳を取り出した。
そしてさらさらと何かを書きつけ、びりびりとページを破り取った。
「これ、僕のアドレス」
差し出された紙切れを、どうしていいか分からず、私はじっと見つめる。
「ほんとはこころちゃんの連絡先も知りたいけど、まだ不安でしょ?」
にこっと笑う高橋くんの眼鏡の奥の目は、限りなく優しい。
「だから、もし、こころちゃんが僕と連絡を取りたいと思ったらこれ」
受け取るべきではない。
麻友がどうとか、そういう問題じゃなくて、高橋くんは優しいから、受け取るべきじゃないのだ。
だけど。
私は高橋くんの差し出すメモから目が離せなかった。
その時だった。
「なにしてんの? 佐倉」
後ろから声をかけられたと思った次の瞬間、いつになく乱暴に肩をぐいっと引かれた。
驚いて振り向くと、限りなく不機嫌な桃坂先輩の顔があった。
あれ? 一人?
「用事があるから先に帰るって島田が言ってたけど、用事ってこの人に会うため?」
私の肩をつかんだまま、低い怒ったような声を出す桃坂先輩。
いや。偶然だけど。
でもその簡単な返事はなぜか私の口からは出てこない。
だって、なんで桃坂先輩に言い訳みたいなことしなきゃならないの?
私そんなに悪いことしてるの?
そんなこと言ったら、さっきの桃坂先輩はなんなの?
勝手なことをしたのは桃坂先輩の方が先でしょ。
「なに? なんで黙ってんの? 俺に知られたらまずいことなの?」
なんで彼氏口調なんですか。
責めるような口調に、さっきまで忘れていた怒りの感情が沸々と湧きあがってくる。
「あの、ごめんね? もしかしてこころちゃんの彼氏さん?」
「ちがいます」
私と桃坂先輩の険悪な雰囲気に息を飲んで見守っていた高橋くんが、恐る恐る尋ねてきたので即答する。
「え、と。そうなんだ?」
「どうも。佐倉の高校の先輩の桃坂です」
「あ、僕はY高の二年の高橋です。今日はこころちゃんを一年ぶりに偶然見かけて、ちょっとお話をしていました。だから彼女は嘘はついてないですよ?」
「ふうん?」
すごく高橋くんは気を使ってくれていた。
なのに桃坂先輩は高橋くんに素っ気ない返事をすると、私の手首を乱暴な仕草で掴んだ。
「じゃあ俺たち帰るんで」
そのまま駅の中に入っていこうとする桃坂先輩に、私の中の何かがぷつんと切れた。
「佐倉?」
手を引っ張っても石のように微動だにしない私を不審に思ったのか、桃坂先輩が振り返る。
私は桃坂先輩の腕を、思い切り振り払った。
頭の中で体の中で感情の嵐がゴーゴーと物凄い音を立てて荒れ狂う。
いい加減にして。
勝手なことばかり言わないで。
桃坂先輩には酒井さんがいるじゃない。
私は。私だって。
気がついたときにはそれは私の口から飛び出していた。
「桃坂先輩のバカ!! 勝手なことばっか言わないでっ!!」




