ツイてない私の過去と今
合唱部をやめた私は、不眠症になった。
夜、眠ると夢に必ず麻友が現れるのだ。
麻友はどんどん大きくなり、私を押しつぶそうとする。
無邪気な笑い声を上げながら巨大化する麻友に悲鳴を上げて飛び起きる、ということが何度もあって、私は夜眠るのがすっかり怖くなってしまった。
夜眠れないということは、当然昼間に眠気が襲ってくる。
どんどん体の調子がおかしくなって、私は学校を休みがちになっていった。
秋が近付き、そろそろ進路志望を決める時期が来た。
勉強がそこそこ出来た私の第一志望は、家の近くにある県立Y高校だった。
時折見かける高校生たちは、みな楽しそうで、私もこの学校に通いたいと小さい頃から思っていた。
けれど。
高校の進路志望を決める時期になって、私はふと不安になった。
麻友と私は同じくらいの学力。
つまり、地元の県立Y高校を志望する確率は、かなり高いと言える。
相変わらず私を親友だと言い、何かと接触してくる麻友に恐怖と嫌悪しか感じない私は、その考えにぞっとした。
この状況がまだ続く?
高校に行っても、大学に行っても、麻友は私をどこまでも追いかけてくる?
その考えの恐ろしさに私は怖気立った。
周りの大人たちはそんな私の心境を知ることなく、私が県立Y高校に進学すると思っていた。
私の通う中学では、成績のいい子はY高校に行くという自然な流れがあったからだ。
だから私が学校を休みがちになると、先生はやたら出席日数のことを気にしだした。
いくら当日の成績が良くても、出席日数が足りなければ問題があるのだろう。
このままでは私立校にしか行けないよ、などと言われた。
私立校。私は初めてその選択肢に気がついた。
本格的に秋風が吹く頃。
まだ私は進路に迷っていた。
迷いながらも図書館で勉強する日々の中で、私に新しい出会いがあった。
同じような時間帯、同じような場所で、なんとなく話をするようになった相手は県立Y高校の一年生の男の子だった。
優しい雰囲気の眼鏡の男の子で、名前は高橋くんといった。
私が受験校で迷っていると話すと、絶対Y高校においでよ。絶対楽しいよ、と笑顔で言ってくれた。
一瞬、私の中でY高校の制服を着た私が、高橋くんと並んで歩いている、そんな未来が見えたような気がした。
麻友のことは私が気にし過ぎているのかも知れない。
もしかしたら高校に入れば、麻友も私のことは忘れてくれるのかも知れない。
そんなことを考え始めていた、秋晴れの穏やかな日のことだった。
いつもの時間にいつものように図書館に向かった私は、自習室の前で息がとまるほどの衝撃を受けた。
いつも、私が座る、その場所に、麻友の後ろ姿が見えたのだ。
隣には、いつものように高橋くんが座っている。
何やら小声で言葉を交わす二人は、楽しそうに笑っていた。
それを見た瞬間、私の中の何かが壊れる音がした。
もう、駄目だ。
私は麻友から逃げる決意をした。
誰も信じられなかった。
私は最後の最後まで県立Y高校を目指す振りをした。
その一方で、親を説得した。
家から車で二時間近くかかる場所にある、私立M高校を受験させてもらったのだ。
この高校にした理由は、親戚の涼子ちゃんの家が近くにあることと国立大への進学実績があることだ。
共働きで忙しくしている親も、さすがに私の様子がおかしいことには気づいていたんだろう。
深く追求することなく、M高校の受験を認めてくれた。
もちろん、誰にもM高校のことは知らさなかった。
事情を知っている合唱部の顧問が担任だったことが幸いして、学校側にも最小限の人間しか私がM高を受験することを知らさないよう配慮してもらった。
私がM高を受験することを知っている数少ない先生方にも、M高受験はあくまでY高の力試しだと伝えていた。
念には念を入れ、地元の私立校もY高の滑り止めとして受験した。
Y高にもちゃんと試験を受けに行った。
予想通り、M高以外の受験校は、麻友と私、全く同じものだった。
そして公立高校の合格発表の日。
合格発表には行かなかったけれど、私の番号は合格名簿には載らなかったはずだ。
私が県立Y高校受験に失敗したことは、会場でちょっとした噂になったようだ。
だけど県立高校の合格発表は卒業式の後のこと。
集まる場所を失くした彼らの中で噂が広がることもなく、結局、誰一人として私の進路を知る人はいなかったはずだ。
ようやく私は麻友から逃げることができた。
やっと得た自由。
もう目立つような真似はするまい。
普通に平穏に、ただ高校生活を楽しみたい。
そんな思いでM高校に来た。
思いがけず先輩方の中に理子先輩の姿を見つけた時は、びっくりしたけど嬉しかった。
その時はラッキーと単純に思っていたんだけど。
この頃私の周りは騒がしい。
「んー? なに? もうご馳走さまなの?」
はっ。
うっかり昔のことを思い出していたら、箸が止まっていたらしい。
最後に食べようと残しておいた卵焼きがいつの間にかなくなっていた。
「ちょっ。先輩っ。勝手に私のお弁当食べないでくださいよっ」
「ぼーっとしてる佐倉が悪いんだろ」
「どういう理屈ですかっ。桃坂先輩はぼーっとしてる人から勝手にものを貰っていいとおもってるんですか!?」
「ほらほら。ここ。私の卵焼きあげるから。そんなに怒らないの」
「ありがとうございます。理子先輩。でも桃坂先輩を甘やかすとつけ上がりますから」
「わー。僕も一之瀬さんの卵焼き食べたいな~」
「ごめんね。これで最後なんだ。また作ってくるね」
「俺も一之瀬の食いたいー」
「静流にはやらないよ」
「なんだよ。つめてーな。じゃあ佐倉のでいいよ」
「じゃあってなんなんですか!? じゃあって」
私の高校生活。
ツイてるんだろうか。ツイてないんだろうか。
とりあえずこれ以上被害にあわないために、私は急いでお弁当の残りを口の中に詰め込んだ。