ツイてない私の過去話 2
中学校に入って、クラスが三クラスに増えた。
幸いなことに麻友とはちがうクラスになり、私には新しい友達ができた。
ともだち。
今まで普通にそこにあった友達というものに、どう接していいのか、私は初めて戸惑いを感じた。
六年生の時に投げつけられた目立ちたがり屋、という言葉は、私の心に深く突き刺さったままだった。
目立ちたいとかそんな風に思ったことはなかった。
「それはやっぱりこころちゃんがやるべきだよね」「やっぱクラスの代表はこころじゃなきゃ」
そう言って目立つ役割を私に振ったのは友達だったのだ。
その笑顔は、その言葉は全部嘘だったんだろうか。
心の中では目立ちたがり屋だから仕方ないと苦々しく思っていたんだろうか。
そんなことを考えると、今、私の目の前で笑っている新しい友達に、どこまで踏み込んでいっていいのか、どこまで素の私を見せていいのか、分からなくなってしまった。
これを言うとわがままなんだろうか、これを言うと相手は傷つくんじゃないだろうか、そんなことを考えていたらはっきり意見も言えなくなってしまった。
まるで転校してきた当時の麻友のように。
なんとなくぎくしゃくした学校生活の中で、唯一の心の拠り所は一つ年上の理子先輩と理子先輩が部長を務める合唱部だった。
生まれた時からお隣に住んでいた理子先輩は、私の実の姉のような存在で、傷つき弱った私の心をいつでも支えてくれた。
理子先輩がいなかったら、私の心はもっと早くに壊れてしまっていたと思う。
麻友の人を惹きつける能力は、ますます強大になっていった。
麻友の周りには麻友と友達になりたい子が溢れ、麻友はいつもその中心で微笑んでいた。
ただ不思議なことに麻友のその強力な人を惹きつける磁力は、主に同級生限定で発揮されるようだった。
もちろん、麻友の可愛い容姿に好意を抱く先輩や後輩はたくさんいたし、先生たちも麻友の素直な性格を好評価していた。
だけどそれはあくまで普通の範囲で、ということ。
同級生の中での麻友の人気は、私から言わせれば異常だった。
私と麻友に関して言えば、小学校の時のように麻友の取り巻きにあれこれ意地悪を言われることは少なくなった。
だけど厄介なことに麻友の取り巻きたちは、私を麻友の親友であるかのように扱うようになった。
それは麻友が事あるごとに私の名を口にするせいだった。
麻友の機嫌を取りたい取り巻き連中は、まるで私を献上品のように扱った。
麻友の人気は留まるところを知らなかった。
ふと気がつくと、私の新しい友達たちも、いつの間にか麻友の信奉者になっていた。
友達と二人で交わした休日の約束に、麻友がいて驚くことは日常茶飯事。
どうして? と尋ねると、だって麻友ちゃんとこころちゃんは親友でしょ、と当然のように笑って返された。
どんどん麻友に侵食されていく日常。
私はこの頃から麻友が怖くなった。
なぜ麻友は私にこだわるのか、私が麻友のことを良く思っていないのがなぜ分からないのか。
この頃の私は麻友からどう逃げるか、そんなことばかり考えていた。
そして私たちは三年生になった。
悪夢の一年間の始まりだった。
私たちが最高学年になるということは、理子先輩は卒業するということ。
中学の先輩後輩という絶対的な力関係のおかげもあり、理子先輩に関することにだけは手を出してこなかった麻友は、それを待っていたかのように合唱部に入部してきた。
私たちの中学の合唱部は、創部以来県大会に連続出場を果たしている県大会常連校だった。
理子先輩たちの最後の大会では全国大会の出場も果たした。
私たちの代になってからの大会では惜しくも全国大会は逃したが、それを目指してみんながんばっていたはずだった。
理子先輩のあとを継いで私は合唱部の部長になっていた。
麻友の影響のない合唱部では、私なりに上手く人間関係を作れていたと思う。
副部長の子は影になり日向になり、合唱部を一つにまとめる力になってくれた。
だけど崩れるのは一瞬だった。
麻友の存在が、全てのバランスを壊した。
私の指示に従わない部員が出始め、その子たちが部長を麻友にしろと言いだすのに時間はかからなかった。
私のために奮闘してくれた副部長の子は、精神的に疲弊してクラブに出てこなくなった。
私たち三年生が奏でる不協和音に、下級生の子たちは困惑するばかり。
結果、大事な大会で、私たちは創部以来初めて、県大会出場を逃してしまった。
私が合唱部をやめると言った時、顧問の先生はまだ大会はあるのだからと留まるように説得してくれた。
合唱部は学校生活になじめない私の特別な場所だった。
教室で、廊下で、麻友の存在に怯えながら過ごす私が、全てを開放できるたった一つの居場所。
だけどそれも壊れてしまった。
私が合唱部を辞めれば、麻友も合唱部に来る意味がなくなるはずだ。
まだ最後の大会まで時間はある。
麻友が辞めて何人の三年生が残るのか分からないが、私が辞めれば少なくとも再生できる可能性だけは残されるのだ。
私にできるのは、これ以上麻友に合唱部を壊されないようにすることだけだった。
夏が来る前に、私は合唱部を辞めた。
それは同時に学校での居場所を失くしたということだった。