朧と真理奈の密談
「怖かったわね~」
「うん。まじ怖かった」
昼休み。
朧と真理奈は約束していた訳ではない。
ただ、心の中の衝撃を共有したくて、どちらからともなく、話し始めた。
「それでどうすんの? 真理奈は」
「どうするって?」
「とぼけるのはなしよ。佐藤くんのこと。諦めるの?」
二人きりの空き教室の中、朧は長い脚をこれ見よがしに組んだ。
高二とは思えないほど大人びた顔だちの朧は、ふとした仕草も非常に大人っぽく洗練されている。
「私は引くわ。だって、佐藤くんを狙ってたのは、あくまで正式な彼女がいないと思ってたからなんだし。あれだけはっきり本命がいるって宣言されちゃったら、がんばる気も失せたわ。そう言う朧はどうするの?」
真理奈が大きな二重の目をぱちぱちと瞬かせて、朧を見た。
扇のように長い豊かなまつげは自前だ。
みんなから羨ましがられるが、大きな目はゴミが入りやすいし、長いまつげが入ったら相当痛いしで、それほどいいものではないと、真理奈自身は思っている。
「あー、私も一抜けするわ。そこまで男に不自由してないし。確かに佐藤くんは一級品のイケメンだけど、男は顔だけじゃないしね」
「だよねー。私たち、そこまでして佐藤くんに執着する必要、ないもんね」
「そうそう。佐藤くんを落とそうと思ったのも、あれだけのイケメンが彼女いない状態なんだったら、やってみようかなってノリだったし」
「私も。佐藤くんがっていうより、朧に張り合ってた部分が大きかったかも」
二人はうんうんと頷き合って、同時に深いため息をついた。
「てかさ、佐藤くんの本命が一之瀬理子だったとはねー」
「ああ、私も意外。てっきり、後輩のこころが桃坂に憧れてて、その橋渡しをしてるのかと思ってたもん」
「でしょー? 大体あんなに近くにいたのに、一切手を出してなかったって、信じられる? 絶対一之瀬さんには興味ないんだと思ってたわ」
「それだけ本気だったってことでしょ。昨日だって、笑ってたけど目が怖かったもん」
昨日の夜。
突然の佐藤の呼び出しに、これはとうとう告白かと、急いで待ち合わせのファミレスに向かった二人は、いるはずのないライバルの顔と、仮面のような佐藤の笑顔を見て、凍りついたのだ。
佐藤はまず、二人にはっきり言わなかったことで誤解を与えたことを詫び、自分には好きな人がいるので、これ以上付きまとわないでほしいと淡々と二人に告げた。
「僕にも、それに一之瀬さんに関わる人にも、もう迷惑をかけないでほしい。それについては、桃坂も随分怒ってるみたいだったから」
桃坂が怒っている。
佐藤の言葉に二人は顔を見合わせた。
同級生だから、二人とも桃坂静流のことは、ある程度知っている。
うざいくらい元気で明るくて楽しいことが大好きな桃坂は怒らないことでも有名だ。
男子同士の悪戯は、時に度を越したものがあって、誰でも本気で怒るだろうレベルの悪戯に、ただ一人桃坂だけはキレなかったという逸話がある。
その桃坂が怒る。
にわかに信じられない言葉は、今朝、登校してきた桃坂の顔を見て、現実味を帯びてきた。
「佐藤くんの話より、私は桃坂の方が怖かったわー」
朧がその時の桃坂の顔を思い出したのか、ぶるりと身震いした。
「私もー。日頃怒らない人が怒ると怖いっていうの、本当だったんだね」
同じく体を震わせ、真理奈も両腕で自分の体を抱きしめた。
桃坂は声を荒げた訳ではない。
ただ一言。
「ふざけたこと、してんじゃねぇよ」
そう言っただけだったが、それは二人を震え上がらせるのに充分な一言だった。
「触らぬ神にたたりなしだね」
「そうね。人生楽しく過ごしたいわね」
朧と真理奈はどちらからともなく握手をして、それぞれの教室に戻っていった。