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エイム家の顛末

弟が土産と称して古代竜の卵を持って帰宅した件とその顛末について

作者: 因果論

『~の顛末について』第二弾になります(^。^)y-.。o○

内容はほぼ、タイトルに集約されているとおりです。


一作目『兄が土産と称して~』に目を通して頂いた上で、二作目に挑んで頂くことを推奨します。

 **



「………そういえば、チロル君は今年で何歳になるんですか?」


 元魔王ことユーグ君。

 彼がその問いを口にしたのは、エイム家に居候を始めて二週間ほどが経ったある日の夕刻のことである。

 例によって兄が懲りずに我が家のドアに皹を入れたので、その修繕をしている最中だ。





 うん?

 その件の兄が今何処にいるかですか?





 庭をご覧ください。

 初夏の風に揺れる若葉に目も涼しい今日この頃。

 夕明かりのもと、奇妙なシルエットが見えますね。

 それは、ミノムシよろしく木の下でゆらゆらと揺れている。

 ……ええ、兄です。


 いつも通りの教育的指導中もとい兄専用の対応策。

 皹の存在に気付きながらも、謝るどころか村外逃亡を企てた者の末路があれです。


 ここで注訳を入れたい。


 けして虐待ではないことは、近寄って見てもらえば分かってもらえるかと思いますが念の為。



 第一に、逆さ吊りではないんですよ、これ。

 第二に、耳を澄ませれば聞こえてくる音が示すもの。

 その心地良さそうに紡がれる一定のリズムの正体や如何に。



 ……ええ、寝ています。

 それはもう、すやすやという表現に躊躇いを抱かせない健やかな寝顔で。


 兄と寝袋を木に吊るす一連の流れも、この頃では慣れたもの。

 この数年で専用の寝袋は八枚に増えました。

 むしろこの状態の兄を見飽きたと言っていいくらい、高頻度で兄はミノムシになるのです。

 あの木は兄のお気に入り。枝振りが丁度良いのだとか。

 もはやこだわりの域に達している。


 だからこそ疑問に思われる方もいるでしょう。

 これは果たして罰になるのかと。


 お答えします。

 ………一応の効果は望める。それが今に至るまでに実証された曇りのない事実です。

 家の外であえて野宿をさせることで翌日はましになる、という一定の効果。

 完全な予防策は今もって発見されていないので、これはあくまで次善策。

 頭を冷やして来い、という言葉がありますよね。

 ……それを兄に応用すると庭で野宿という話になるみたいです。

 どんな作用が働いてのものかは、実際のところ弟でさえ首を捻るばかりなのですから私に分かる筈もありません。

 その理論を一から十まで詳らかにできる人がいたら是非ともお目に掛りたい。

 そんな奇特な人がそもそも存在しているかすら、とても儚い展望ではありますが……




 あの兄に、教え諭すこと十余年。

 悟りました、私。

 あ、これは一般的な指導でどうにかなるレベルではないんだなぁ…と。

 それからは試行錯誤の毎日。

 伸べ棒のお手入れも欠かせません。

 今に至るまでそれは変わらず。

 試行錯誤の無い平和な日を望んでやまないのは、寧ろ兄ではなくて私だと断言したいほど。

 もはやこれは一種の境地です。


 この試行錯誤の日々の中、ある時弟が一筋の光明を射し入れたこともありました。



「ねぇ、ドアの耐久度を兄さんに合わせてみればいいんじゃないかな……?」



 それは数年前の夏の日。もう少しで秋の月に入ることを感じさせる、気候も穏やかな午後のこと。

 兄はこの時も己が狩猟本能に導かれるままに遠征中で、在宅していたのは両親と弟、私とチロルという顔触れでした。

 弟が夕食の支度を手伝いながら、ふと呟いたその言葉は居間にいた全員の視線を集めました。




 ……それもそうだ。なんで今までそちらへ着目しなかったの、私たち。


 そんな一同(ただしチロルを除く)の心境。

 当たり前のように、突然落ちてきた答え。

 脱力感に似た何かを覚え、膝を付きそうになるも全員が椅子に座っていたのでそこは回避します。

 この長い闘いの終わりを示す最善の策をようやく得たのだと。

 その安堵とともに、家族全員が賛同しようとしたその間際。


 気付いてしまったのです、私。

 その策によって生じる、見過ごせない弊害に。


 正直に言いましょう。

 迷いました。

 自分の中の黒と白がすさまじい抗争を繰り広げているのが分かるほど。

 これを口にしたら、再び終わりのない闘いにその身を投じるのは目に見えていましたから。

 揺れる天秤。

 周囲への影響か我が家の平穏か……



 ………苦渋の決断の末、私はとうとう口を開く。



「我が家のドアは守れても、兄さんの本質は変わらない。つまり……根本的な解決にはならないわ」



 エイム家の住人である以上、この言葉の意味がわからないことはまずあり得ない。

 実際、提案した弟はおもむろに立ち上がり、静かに壁際に寄りかかっていましたから。

 その絶望の背中に、同席していた父は目頭を押さえるのを隠そうともせず。

 同じく同席していた母は席を立ち、慣れた様子でハンカチを配り始めた。

 涙の気配を感じると、母は昔から人数分のハンカチを用意するのだ。

 弟にも漏れなく手渡されたハンカチ。

 その白さが目に眩しい。


 ………何でしょうね、この光景。

 でもこれが日常なのです。エイム家では洗濯物の割合の半分をハンカチが占める日があります。

 その日も例外ではなく、私は母から渡されたハンカチを手に内心思っています。


 母よ、このハンカチすでに貴方の涙でしっとりしているみたいなんですが………


 しかし、とてもそんなことを口にできるような空気ではありません。

 私も人並みに空気は読めるのです。

 渡されたハンカチを手に弟はずるずると壁に沿って項垂れていき、その後に辛うじて聞き取れたのは苦悩に満ちた言葉でした。



「………そうだよね。そうだった。そうですよ。………僕が間違ってました………」



 いや、君は悪くないよね。

 弟よ、そんなに嘆かなくていい。

 身近にいるからこそ、見えなくなることもままあるのだから。


 余程そう言いたかった私である。

 しかし、あまりに打ちひしがれた様子の弟を前にして言葉にならなかった。

 実際口にした私でさえ、正直気付かなければよかったのに…と思っていた位なのだ。



 説明しよう。

 つまり、兄のレベルに合わせてドアの耐久度を高めれば我が家のドアは守られる。

 ただし、それによって我が家に平穏は戻るとしても周囲はどうか。


 変わらないだろう。

 それもその筈。原因が払拭されない限り、問題が解決しないのは当然の話。

 公国の全てのドアに、兄のレベルを適用しようと思ったら現実問題国庫が足らない。

 ……もちろん冗談ですよ?

 あくまで例えだと主張します。

 数年前に弟が真顔で算定していたところなど私は見ていません。



 騎士時代も王城のドアというドアに被害を出していた兄。

 あの頃を思えば、その懸念は避けられない未来として目の前に広がっている。


『ドア・クラッシャー』としての異名さえ持つ兄。

 実はこれ、最近知りました。

 兄の友人として時折訪問してくる魔術師が偶然口を滑らせたその結果、エイム家でも知られるようになった次第です。

 きっとあの人が口を滑らせていなければ、今もって誰も知らずにいたことでしょう。



 異名が的を得すぎていて、逆に誰も笑えなかったエイム家一同。


 なぜドアにばかり被害が集中しているかといえば、それも謎な兄。

 ドアに何らかの恨みでもあるのかと、よほど問い詰めたい妹の私。

 しかし問い詰めたところで、おそらくまともな答えが返ってこないことを知っている家族全員。

 もはや暗黙の了解といっていい。

 答えの出ない問いを前に、その時もまた涙をのんで挫折を選んだ。



 周囲の被害をささやかでも減らす為。

 たとえ我が家のドアがこれからも壊れ続けるとしても、その時々で指導し続けるのがエイム家の義務である。

 それを再認識するに至ったその折の話し合いが、今となっては懐かしく思い出されるばかりです。


 こうして今も、ドアを巡る兄との攻防は変わらずに続いている。

 結果、ミノムシの兄を見慣れた妹の図というシュールな構図が日常化した。



 付け加えるなら。

 先刻までは、兄の友人の魔術師がミノムシになった兄を隣で観察していた。

 今はその姿もありません。

 満足するまで見終えた後は、感想を残して消えるのがここ数年の通例になっている。


「世界広しといえど、君を宙吊りに出来る人物は限られるよねぇ……っふ、何度見てもこれは……」


 そんな感想を洩らしつつ、いい気分転換になったよと言い残して去っていった背を見送りながら、私はいつも思うの。



 ……兄さん。友人は選んだ方がいいって本当ですね。




 庭先の光景を見ながらの、妹のささやかな独白です。





 さて、話の流れを冒頭に戻そう。

 まずはこの、ユーグという呼び名から。

 勿論仮の名である。

 名付け親は弟だ。

 魔術言語では『黒』を示す。

 おそらく彼の髪と目の色からそのまま付けたのだろうなぁ……。

 うん。何と言うか無難な命名である。流石は弟。

 エイム家の良識と呼ばれる弟に命名を一任したのは、考えられる限り最善の選択だった。




 うん、今はチロルさんの年齢でしたね。

 指折り数えて、実際のところをユーグ君に伝える。





「………そうね、卵の時に家に来てから………今年で五年になるかな」


「………え?! まだそれしか経っていないのに幼獣期を終えてるのは、成長のスピードとしてもあり得ないんじゃ……」




 その通り。ユーグ君の指摘は全くもって的を得たものだ。


 普通は五年でドラゴンはここまで大きくはならない。

 しかし、環境によってはその限りで無いということを身をもって証明しているのが我が家のチロルさんである。


 改めて考えてみても、チロルの成長には目を見張るものがある。

 それについてはエイム家の人間全員が意見を同じくするところだ。

 身体的な成長速度が驚異的であるばかりか、あの子はよく空気を読む。


 空気を読む竜。

 世界中を探しても、この条件を満たせる竜を見出すのは難しいのではないだろうか。


 加えて、その成長度合いを実感することになったのが先月の事件。

 以前、家族でなんとなく話題になっていたことがあった。

 それは、チロルが幼獣の砌より兄の頭頂部を狙ってきたのではないかという疑惑である。

 実際その精度は年々向上の一途を辿り、今年に入ってからはついに的を捉えた。

 そう。『弟に説教する資格がお前にあるのか、兄よ。事件』である。

 その際、髪を焼失した兄が家出に至った顛末も同時に思い出して頂けたことと思う。

 心なしかあの時、チロルが誇らしげに胸を張ったような気がした。

 弟の無言の視線もとい憐みの表情とあまりに対照的だったそれは、何というか…うん。印象的だった。


 チロルについて語る時、なぜか大様にして兄が関わってくるのは、単純に兄が暇を持て余しているからなのかそれとも当人ならぬ当竜に何らかの思惑があってのものかは検証すること自体が困難。

 結論。

 エイム家の基本方針は、余程のことがない限り静観する方向で落ち着いている。

 兄が引き起こす一連の事件。ドアに纏わる成長を見せないことと比べても、その成長格差は日々開いていくばかりだ。





 妹として内心複雑な思いは隠せないが、我が子同然のチロルの成長については素直に喜ばしい。


 しかしそれでいいのか、兄よ。

 妹として、願わくばいずれは気付いてもらいたいものである。



 ドアを壊さず。

 禁猟区の警告文を無視せず。

 捕まえた野獣の血抜きを完璧にして帰宅できる。

 そんな兄を、私は持ちたい。





 切なる願いはいったん置いて。

 ユーグ君を前に、そろそろ思考を現実に戻します。

 私が何かに思いを馳せるたび、着地するのは九割九分九厘兄に纏わる事柄である。

 これについては苦笑を零すしかない。




「うん、その疑問は尤もだわ。丁度修繕も一区切りついたし、一休みしながらチロルが拾われてきた経緯について話そうか?」


「……はい! 是非」



 ユーグ君の返事がとても爽やかで、心洗われます。

 いかにユーグ君がこの話題を熱心に望んでいるかが目に見えて分かるその様子。


 ユーグ君がこの家に来た時から、チロルを構いたくてしょうがない様子は度々見かけた。


 チロルさんの好物は『キムジーの花蜜漬け』である。

 文字通り、『キムジー』を花蜜に浸けて蒸し上げた公国の西側ではごく一般的なおやつだ。

 ドラゴンの好物が子どものおやつ……

 それでいいのか、チロルさん。


 ところでそんなチロルの真逆を行く存在がいる。

 兄である。

 ちなみに兄の好物は肉全般。

 狩人は天職だと常日頃から豪語する兄。


 ドラゴンより血生臭い、そんな兄である。




 ……話を戻そう。

 たびたび兄の情報を挟んでしまう自分が情けない。


 チロルに、餌付け作戦を敢行したユーグ君。


 その日はいつにも増して張り詰めた空気。

 部屋の隅からは、じっと窺うチロルの双眸。

 部屋に立ちこめる甘い香りとの対比が、何とも言えずシュールだったことを今も思い返せる。


 作戦は延長戦へ移行し、その結果は予想を裏切らなかった。

 如何にチロルがチキンであるか、その真髄を垣間見る結果に育ての親としては大変複雑な思いであったと伝えておきたい。


 生来の『魔王』としての魔力が原因で、肝心のチロルから尽く避けられ続けているユーグ君。

 本人に真実を伝えることも出来ない立場では、曖昧な慰めしか言葉に出来ない。

 世知辛い現実だ。

 表向きは明るく振る舞うことの多いユーグ君であるが、本質はとても繊細である。

 人知れず、項垂れる背中。

 そこに何とも言えない哀愁が見て取れた。

 それを初めて目にしたときの罪悪感たるや。

 とても言葉にならない。


 今思えば何となく、母に構ってもらえない時の父の背中にそれは酷似している気もする。


 できることならば、この両者には仲良くして欲しいと思ってはいる。

 しかし、重ね重ね伝えるなら。

 チロルは本質的にチキンである。

 先の餌付け大作戦を見てもらえば分かる通り。

 もちろん、食材的な意味では無い。

 性格の事ですが何か…?

 断じて、実はチキンだけに鶏でしたなんてオチは付きません。

 彼は正真正銘、古代竜属飛竜種の末裔だ。




 良く言えば、慎重ともいえるチロルさん。


 だから我が家を訪問する際は、高頻度で部屋の片隅に視線を向ければチロルを見つけることが出来るだろう。

 ただし、突然近寄ったり触ろうとしたりするときはドラゴンブレスが容赦なく吐き出されることがあるので注意が必要だ。

 家族以外は万全の装備で向き合うことをお勧めしたい。

 命の保証は出来かねる。

 その辺りを考えれば、チロルは紛うこと無きドラゴンだ。





 気を抜くと何処までも脱線して行きかねないので、そろそろ本題に戻りたい。


 ユーグ君が話が始まるのをうずうずして待っている。

 ……それにしてもこれ魔王です。

 何だろう。

 俄然魔境がほのぼのして見える不思議。

 実際は間逆の世界の筈なんですが。


 何はともあれ、昔語りの時間です。

 夢を壊すようで申し訳ないが、チロルが我が家に来た当初はこんな未来を誰も予測していなかった。


 古代竜の一種、飛竜の裔にあたる卵が我が家にやって来ることになったその経緯と、顛末。

 その始まりは、弟のささやかな冒険譚から始まる。




 *

 始まりは私が十四歳、兄が十七歳、弟が十二歳の冬の月の一日。

 その日は丁度、母と父が公国の記念行事に強制参加で呼ばれていて、家には私たちしかいなかった。

 加えて、兄は既に重篤な放浪癖に目覚めかけていた頃。

 公都から帰郷した後は、定職にも就かずにぶらぶらしていた。

 典型的な、駄目男である。

 五年前に公都の騎士試験を最年少でパスした兄は、しかし生来の放浪癖から抜け出せなかった。

 幼少からその片鱗は窺えたものの、どうにかなるものと楽観視していたエイム家一同。



 兄が帰郷したあの日。

 その見方がどれ程甘いものであったかを思い知らされた三年前の夏の日。

 思い出したくない記憶の一ページ。


 三つ全ては等号で繋がれ、いつしか我が家の禁句に制定された。


 未だに首位を譲らないそれは、更新されることもなく今に至っている。



 家族のそうした思いもいざ知らず。

 当人は日々を自由気ままに過ごしていた。

 あの鈍感力こそが、兄を兄たらしめる一因であることに私は疑いを持たない。


 そういった意味で、兄はまさに最強と言えるだろう。


 そんな兄を羨望の眼差しで見ていた人物がいたことに、私は気付いていた。

 それもその筈。

 その人物とは、すなわち弟である。






 何年か前に一度だけ、当時について聞いてみたことがあった。


 あれは、記憶に残る一幕である。


 話を振った当初、当人にあれほどまで深刻なダメージを与えることになるとは、片隅にも考えなかった至らぬ姉。

 姉の何気ない一言は、ノータイムで膝を付く弟の姿を実現した。

 その場で床に崩れ落ち、地の底から湧きあがる様な呻きを上げる弟の苦悶。

 あの呻きの中に、全ての意味が込められている気がする。

 そんな思いで膝を付く弟を見守っていた姉の私。

 もはや浮き上がっては来れないかと、時間の経過とともに諦めかけていた。

 その読みはあながち外れていない。

 ようやく顔を上げた弟。

 けれども弟はその時全てを諦めたような表情をしていた。

 おそらく、完全には浮き上がれなかったのであろう。


 それは黒歴史っていうんだよ、姉さん………と。

 今にも消滅しそうな声で弟は呟いたのだった。


 その呟きを聞いた上、更に当時の心境を掘り返す非道さは流石に持ち合わせていない。



 結局のところ、真相は闇の中。

 弟がなにやら兄に対し、憧れに似た何かを持っていた時期があったのだとだけ言っておきます。


 ただし、弟の名誉のために付け加えておく。

 その時期というのは、本当にごく僅かなひと時であったことを。

 実際、その黒の時代は瞬くように過ぎ去った。

 両親でさえ、今は覚えていないかもしれない。

 それほどに短い、僅かなひと時。

 弟の健全な精神のため、追加強調しておきます。


 昨今における兄と弟の関係はどうかと言えば、冷戦状態も同然の平穏な日々。


 しかしその冷戦の前、黒の時代の間に第三の時代が存在していた。


 顔を見合わせれば、発情期の雄猫よろしく戦いの火蓋が切り落とされていた冷戦前の第一次兄弟間大戦。

 黒の時代が終わったあとは、大喧嘩。極端な兄弟なのです。

 期間としては黒の時代が必然的に記憶の隅に追いやられるほど、長い戦いの日々。

 実際あれは大戦でした。

 かなりの人が迷惑を被る結果になり、父の介入で強制終了したあれは今も村の語り草になっている。

 私も当然のことながら、父を手伝いました。

 家族の過ちは、家族で雪ぐ。

 それは昔も今も変わらないエイム家の家訓の一つなのです。




 弟がまだ兄を慕っていた刹那のようなその時代。

 後に弟自身が黒歴史と呼ぶ今から五年前、その年の冬の日。


 後に『卵騒動』とも称されることとなるそれは、幕を開けた。

 チロルさんを巡る一連の騒動。

 思うに、ここからすべてが始まったのである。



 その日。

 正午を過ぎて、弟が外に出かけて行った。

 同じ年頃の子が村の中にも幾人かいて、この頃はまだまだ無邪気に駆けまわっていた弟。恐らく彼らとまた広場で約束があるのだろうとその時は深くも考えなかった。


 しかし実際のところ、これは全くの的外れだったのである。


 弟は一人で、村の東の外れにある魔境の境『雲鳶の森』の洞窟へ探索へ出ていたのだ。

 齢十二にして、騎士団の遠征にも使われている通称『魔の森』へ単身で挑んだ弟。

 これが一般的な十二歳の少年なら、普通は帰ってこれない。


 しかし弟は、弟だった。


 昼過ぎに家を出て、森へ入り。

 森の隅々まで存分に探索をしたばかりか。

 その間に遭遇した魔獣には情け容赦なく炎を連射し。

『あるもの』を手に森を抜け、帰宅したのが夕暮れのこと。


 如何に弟が一般を逸脱しているか、改めて振り返ってみても分かりやすい逸話だ。


 そして帰宅した弟は庭先で香草の摘み取りをしていた私の所へ意気揚々と駆け寄って来るなり、手に持っていたものを掲げて見せた。


「リズ姉!! 見て。これ、飛竜の卵だよ。森で見つけたんだ!!!」


 それは、一見しただけでは大きめの石の塊にも見えないこともない卵型の何か。

 まさか十二歳の子供がドラゴンの卵を、まして日帰りで取って来るなど一蹴されてもおかしくはない。


 しかし、それを笑えなかった十四の子供がいた。

 私である。

 まさかと思いながらも『解析』した私にはそれが正真正銘、古代竜の一種にあたる飛竜の卵だということが分かっていたからである。


 そしてそれが分かった時点で、自分が弟に言える言葉は一つだった。



「ラース、その卵は森へ帰して来なさい」


 まるで子猫を拾って来た場面と同じであろう文句に、弟がどう返すかなど聞く前から分かっていた。


「えー!! ……やだよぉ。折角苦労して森の奥から持って来たんだ!! リズ姉ならきっと喜んでくれると思ったのに」


 ……やっぱりなぁ。

 この子は普段からとても物静かで、年に見合わない良い子だと村の大人たちからはそう評されることが多いけれど。

 実は、結構頑固で一度決めたことは余程の事がない限りは曲げない子だ。

 だからこそ、駄目元でそう言ってみた。


 そして弟よ。どうして私がドラゴンの卵に興味を示すと思ったのか、むしろその理由を姉は知りたい。



「そうだね、その苦労は認める……でもね、ラース? 考えてみて。その卵は親竜がいないとこのまま孵れずに死んでしまうかもしれないね」


 さあ、弟の性格を熟知した上での泣き落としの効果や如何に……?!


「うーん……そうだね、分かった。リズ姉にも見せられたし。明日になったら、卵を元の場所に戻してくるね!!」


 ……結果は上のとおりである。私は再認識した。

 私の弟は本当に良い子である。

 素直で、優しい。私には勿体ないくらいの弟。

 何だか久々にしみじみしてしまったわ。

 十三歳なのにね、私。

 ………。


 香草を積み終えて、弟と手をつないで家に戻るとソファーで兄が惰眠をむさぼっていた。


 笑顔のまま、ちょっと待っててねと弟に言い置いた私。

 母から譲り受けた愛用の伸べ棒を手に、兄の鳩尾を正確に突き落としましたよ。

 兄はその衝撃で、強制的に目を覚ましました。

 ………直ぐに二度目の眠りに落ちていきましたが。


 やれやれ、と呟きを零しつつ使用済みの伸べ棒を水洗し、振り返ると弟が二度目の眠りについた兄の横でとても複雑な面持ちをしていたのを今でも思い出せます。


 その日の夕食は、弟の為にほんの少し頑張りました。

 素直な良い子には、ささやかなご褒美が待っているものです。

 昼前に摘んでおいた野苺で作ったムースに弟が顔を綻ばせるその隣で、未だに胃の調子が戻らないのか普段よりも少食だった兄。

 流石にその様子を見ていて、やり過ぎたかと反省した自分。

 明日は兄が好きな『ミート・ポップ』と『ディル入りヨーグル』を作ってあげようと考え、食器を片づけながら仕込みに掛かった。

 前日の夜から材料を漬け置きしておくのが『ミート・ポップ』を美味しく仕上げるこつなのだ。


 そうして暫く材料を準備するのに集中していた自分は、ふと視線を感じて手を止めた。

 視線を上げると、いつの間にかラースが手に何かの包みをもって立っていることに気づく。



「………どうしたの、ラース?」

「……あのね、拾って来た卵なんだけど。温めなくちゃ、夜の内に死んじゃうかと思って……」



 なるほど、と思った。

 つまり弟が布に何重にも包んで大切に抱えている中身はドラゴンの卵なのだ。


「……うーん、そうね。飛竜の卵ってことはあんまり冷やさない方がいいのかな。こういうのは父さまに聞けば一発なんだろうけど……明日まで帰らないだろうし………そうね、兄さまには聞いてみた?」


「……兄さま、寝てた」


「……そっか」


 どれだけ睡眠を必要としているのだ、我が兄は。

 内心の声を表情に出さないようにするのには、それなりの労力を必要とする。


「卵は洞窟の奥にあったのよね?」


「うん。洞窟の奥に、葉っぱと翼竜の羽根と魔獣の生皮と……」


 おお、何だか話の流れが生々しくなってきた。


「うん、ラースそれくらいで十分かな。……取り敢えず、春用の毛布を全員分重ねてみれば十分じゃないかしら。居間は最後まで薪を入れておくし、夜の間はソファーの上で即席の巣を作ってあげればきっと大丈夫よ」



 後から思えば、その提案はある意味適切過ぎたのである。



 しかし、ドラゴンの生態にやたら詳しい父の不在。

 加えて、弟が森に入った日が卵が産み落とされて丁度99日目にあたる日であったこと。

 その夜の対応が、ドラゴンの生育温度にピタリと合致していたこと。

 それらの十分すぎる条件が重なったその結果、運命の朝を迎えることになる。

 当時、私の頭の片隅にも過らなかった『その可能性』。


 これについては、仕方がなかったと後に両親も口を揃えていた。

 私たちはあくまで子供でしかなかったのだ。




 その日の朝は、やけに静かだと思いながら起床した。

 普段なら爽やかな朝の訪れを感じさせる鳥の声が、全く聞こえなかったのだ。


 代わりに聞こえてきたのは、パチリ、パチリと何かが爆ぜる様な音。



 何か胸騒ぎを覚えて、手早く服を着替えて自室から居間へとやって来た所で絶句した。


 床に、無数に散らばった白い破片。

 ソファーの上でもぞもぞと何か白いものが動いていた。

 重ねておいた春用の毛布の隙間から、ずるりと顔を覗かせたそれ。



「……孵化……しちゃったのね」


 思わず零れた呟きを、小さな耳で拾い上げた幼竜。

 そしてその双眸がぱちりと開いた。


 綺麗な、深緑の目。

 森の色だと分かった。


 暫く声も無いまま、見詰め合っていた私と幼竜。

 しかしその静寂も、長くは続かない。




「おはよー、リズ姉……?! わあ、卵孵った!!!」

 ラースが興奮して私の服の裾にしがみ付いてきた。

 もっとよく見ようと、前屈みになった弟に何故か幼竜は小さく唸る。


 あ、これはまずい。


 そんな第六感の様な囁きに素直に従っておいてよかったと、今では常々思う。

 あと少し遅れていたら、弟は五体満足ではいられなかっただろう。


 屈めた体の上を、幼竜ながらも人を灰にする熱量の塊が掠めていった。



「………無事ね?」

「……ど、どうして分かったの。リズ姉?」



 姉と弟は顔を見合わせながら、再認識していた。

 弟が拾って来たものは、間違いなく飛竜の卵だったこと。

 その卵は夜の内に孵り、生まれたドラゴンは幼くとも立派な魔物であることを。



「唸っていたから、何となくね。……ラース、取り合えず兄さんに知らせてきて。私はここでじっとしているから」


 自分よりも小柄な弟に頼んだのは、その方が刺激をさせずに済むと考えたからだった。


 一も二も無くうなずいた弟は、居間を猫のように音を立てずに去る。

 それを見送り、一息吐いた私の耳に恐ろしい音が聞こえてきたのは直ぐ後のこと。


 羽音だ。


 まさか生後一日で飛べるわけが、と高を括っていたのは否めない。

 しかしそれは飛竜だった。

 その名の通り、飛ぶことに優れた竜族の子。


 バサバサと頭上を羽ばたく音と、逃げる間もなく落ちてくる影。


 ああ、間に合わないと。

 ギュッと目を閉じた私の膝の上に、温かな重み。

 そして聞こえてきたのは唸り声では無かった。



「……キュー……?」



 まるでそれは、親を慕って鳴く子の声色そのものであり。

 目を開けて、見つめた先でその長い首をすりすりと擦りつけてくるそれに、欠片の敵意も見て取ることは出来なかった。


『解析』を掛け、そうして知った事実。


 飛竜は生まれて一番初めに目にしたものを、母竜だと思う習性がある。


『刷り込み』によって、この竜は初めに目にしたものを既に認識していた。

 意図せず、この竜に母親認定を受けたと知った自分。

 取り返しのつかない事態に、無言で天を仰ぐ。


 ……まさか飛竜がカルガモと同じ習性を持っているなんて。


 齢十三の少女は、こうして一羽の飛竜の母親になった。



 その後、駆けつけた兄にも弟と同様に火を吐こうとした幼竜。

 慌てて口を両手で挟んで、ギリギリで阻止した私はここで気付いた。



 この子は『私』に近づく見覚えの無いものに対して、どうやら敵意を抱いて攻撃している。



 それを察した後は、両親が帰宅するまで兄と弟には傍に寄らないように指示を出した。

 居間から自室へ移動し、膝の上で安眠する竜を解析しつつ過ごすこと暫し。



 昼前になって帰宅した両親に、弟が事の次第を話しているのをドア越しに聞きながら、その時点で私は既に一つの決意を固めていた。


 おそらく、両親もそれを反対することはないだろうなと予想はして。


 実際、両親共に私の意志を確認した後は何も言わずに協力してくれましたから。


『解析』で知った飛竜の性質の中に、母竜を失った幼竜の生存率は0だとありました。

 これを見た時点で、私がこの子を森へ帰すという選択肢は消失した。

 見殺しにするなど、論外。



 たとえ種族の違いはあれど、この子は実際の母竜ではない私を守ろうとした。

 そんな幼竜を見捨てる……?



 いやいや、あり得ないから。




「最低限、この子が幼獣期を過ぎるまでは私が育てます」


 そう宣言してから、紆余曲折あれど五年。

 通常は最低でも二十年は掛かると父が力説していたその期間を短縮するに至ったのは、結局のところは弟の頑張りが大きい。








「ラースさんが、頑張った結果……?」


「そう。ラースはずっと自分が森で拾って来た結果、人の手で孵ることになったことに責任を感じていたの。だからその日からはひたすらに魔術の勉強に明け暮れて、まずはチロルの炎を防ぐ結界を張れるようになった。その後はひたすら改良。……チロルと心話が出来るまでになったの」


「………竜族との、心話!?」



 ふふ、と笑み零した私に驚愕の眼差しを向けるユーグ君の心境は推して知るべし。

 今までの常識では、思いもよらないであろう魔術の使い方。

 他種族との会話は、共通語を互いに知ることでしか成立し得なかった。

 その枠組みを変革したのが、我が弟なのである。


 古代竜は、その性質として他種族と言葉を交わす経験を多く積むほどに成長が加速するという特徴を持っている。

 それを知る者は僅かだけれど。

 少なくとも我が家では、実証済みだ。


 ドラゴンの生態にやたら詳しい父でさえ、この特徴に気付いた時には驚いていた。

 そんな父と弟がコツコツと積み上げていった沢山の試みと検証の末に今のチロルがいる。

 炎と、生命の危機と、種族の壁を超えた涙なくして語れない奮闘記は父の手で編纂されて居間の本棚に並べられている。

 題名は『今日のチロル』。

 全24巻の大作である。



「………ぼ、僕にも出来ますか?」

「……そうね、あなたなら出来るかもしれない」



 元魔王の君ならば、ラースの提唱する魔術式を解するのもそれほど難しいことではないだろう。

 そんな内心の思いは、ひっそりと胸に抱えたまま。


 今日も部屋の片隅で、とぐろを巻いて眠る我が子へ苦笑する。



「ところで、どうして名前は…チロルなんですか?」

「それは内緒です」



 ごめんね、ユーグ君。

 その解答はできることなら勘弁してほしい。


 ……そう。大抵の人が持ち得る黒歴史というべき存在について。

 それが弟だけに留まる話ではないというだけのオチ。

 私もまた、少なからずそれを有するというだけのお話。


 チロルさんの名前を呼ぶたびに、時折過る感情を知るのもまた、私だけ。



 ユーグ君は、本当に空気の読める子です。

 この時も、それ以上追及する素振りは欠片も見せませんでしたから。

 ……よく考えたら、空気が読める魔王というのも世界では珍しいのかもしれません。


 似た者同士の二人には、やはり仲良くしてほしいなと改めて思う私。

 片隅で眠るチロルさんが、かすかに身動ぎするのを横目で見ながら今後の計画を考えます。

 危機察知能力の高さはエイム家でも一番。

 そんなチロルさんに気付かれないように計画を立てるのは容易ではありません。



 ………暫くの間は、退屈とは無縁の生活が送れそう。


 微笑む少女と、不穏な気配を感じる一人と一羽。

 そして確実に巻き込まれるであろう、遠くの地で悪寒と共にくしゃみを頻発する弟。




 一つ屋根の下、エイム家の日常はこうして今日も比較的平穏に過ぎていく。


 彼らの動向を窺う目は彼らが自覚しているよりも遥かに多いのだが、それについて彼らがどの程度把握しているかは誰にも分からないことであった。


 ただ、言えることがある。

 彼らの日常はそれに影響を受けるほど、浅くも脆くもない。


 五人と一羽と一人と、その他。


 彼らが紡ぐ物語の行く先は、まだ見えない日々の中に散らばっている。





次回があるなら・・・

近隣住民視点から、一度『エイム家』を見つめ直してみたいと思います。


8/7誤字訂正致しましたヽ(´o`;

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― 新着の感想 ―
[一言] >実際は【間逆】の世界の筈なんですが。 真逆 >【十三歳】なのにね、私。 十四歳 面白いです。続きもあるから、すぐに読まねば!(謎の使命感)
[一言] これ連載でやってほしい!
[一言] 妹さんの腕力が若干人外の域にw 後前の話ですが伝説級の魔物を食べ物と認識して? 始まりは私が十四歳、兄が十七歳、弟が十二歳の冬の月の一日。 しかし、それを笑えなかった十三の子供がいた。 妹…
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