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一方、ここにも出がけに愚痴が出てしまう男がいた。岡っ引きの良平である。昨夜も女泥棒にまんまと逃げられてしまったばかりで、番屋に行けば、真っ先に鉄之助から小言を言われることだろう。
「全く、押し込み強盗に女泥棒、どうしてこう、盗人ばかりが世に増えるんだろうな。おかげで奉行所の面目は丸つぶれだ。鉄之助さんもあせるもんだから、やたらと小言が増えるばかりだ」
「だって、女泥棒の方はお金をもらった町民たちがみんなでかばっているんだから、捕まらなくて当然でしょう? 良さんのせいじゃないわよ」
妻のお御子は夫をかばう口調になった。
「それがそれだけじゃないんだ。女泥棒の方は、実は一人ではないんじゃないかと睨んでいるんだ」
「え? そうなの?」
お御子は驚いた顔を見せる。
「どうも誰か誘導役がいて、その隙に小判を撒いて逃げている気がするんだ。昨夜追いかけた女も、途中から背格好が変わった気がするんだよ。きっとどこかで別の女に入れ替わったに違いない」
「……はっきりと見えたの? 別人と分かるくらいに」
お御子にそう問われると、良平も自信は無くなる。正直、心もとないくらいだ。
「それほどは自信がないんだ。何せ真夜中で辺りは真っ暗だからな。提灯の明かりだけじゃ何とも言えない」
「じゃあ、あんまりあてにはできないわね。思い込みがあると、かえって見方が偏りかねないし」
「そうだなあ。押し込み強盗も屋敷中が皆殺しにされるから、手がかりも目撃者も見つからないありさまだし。頭の痛い事だ」
「私達にしてみれば、女泥棒の方より押し込み強盗の方を早く捕まえてほしいわ。なんせ女子供の命まで奪うんだからタチが悪いし、女泥棒が狙うのは代官屋敷や武家屋敷ばかり。私達には関係ないもの」
「そう言うなよ。屋敷に勤めてる人間の身になってみろ。この年の瀬に突然賃金をもらえなくなるんだ。当てにしていた金が入らないのは辛いだろうぜ。それに奉行所も色々言われるんだろう。こっちにまでせっつかれる」
「大変ねえ。でも、お金も困るけど、命は失ったらそれきりだしね。良さんも気をつけてよ。無理して怪我なんてしないでね」
「俺は大丈夫だよ。お前こそ今日もお富士さんの道場に護身術を習いに行く日だろ? 張り切り過ぎてかえって怪我なんかしないでくれよ」
実はこの二人、まだ新婚で、そう言ったまま寄り添ってなかなか離れない。しびれを切らして声をかけたのは……
「すいません。お取り込み中でしょうが、もう出かけないと、遅れるんじゃ、ないですか?」
そうだ。子分のハルを待たせていたのをすっかり忘れていた。
「よし、行くか。お御子、今夜も冷えそうだから夕めしは暖かい煮物か何かにしてくれ」
良平が慌てて離れながら言う。
「分かったわ。道場の帰りにいいお魚があったら煮て食べましょうね。気をつけていってらっしゃい」
そう言ってお御子も元気よく良平(と、ついでにハル)を送り出した。
二人が行ってしまうと自分も護身術を習いに道場に行く支度をする。
ふう。危ない、危ない。良さんもあれで結構鋭いところがあるから……。あの暗闇で勘づかれるとは思わなかった。「お富士」と「お礼」によく言っておかなくちゃ。もっと身を隠して逃げるようにって。
そう、お御子には岡っ引きの妻の他にもう一つの裏の顔があったのだ。