陸・断罪
断罪;罪をさばくこと。罪に対して判決を下すこと。
「大宮巡査……」
物静かな口調だが、言われたものにとってはドスの効いた低い声が朝焼けの空に響きわたる。
「昨夜は皐月と話していましたが、一体何の話を?」
川の水で顔を洗っていた大宮巡査に瑠璃がうしろから声をかける。その手にはタオルがあり、それを大宮巡査に差し出す。
大宮巡査はそれを手に取り、顔を拭いた。
「聞いてたんですか?」
「すこしばかり…… しかし、これまでで二度も抱きしめているのは、皐月が|彩奈に似ていたからですか?」
「冗談を―― 彩奈は四歳の時に死んだんです。皐月ちゃんに聞かれたら、それこそ怒られますよ」
大宮巡査は微笑する。
「そう思っていたからしたんでしょうに――」
と、瑠璃は言葉を述べた。
「あ、おはようございます」
三姉妹用のテントから、弥生と葉月が出てくるや、大宮巡査と瑠璃に挨拶をする。
「おはよう。弥生さん、葉月ちゃん―― 皐月ちゃんは?」
大宮巡査にそう訊かれ、弥生は自分たちのテントを見やりながら、
「ああ、まだ寝てますよ。結構疲れてるんじゃないんですかね?」
弥生はそう云うや、川に近付き、顔を洗いに行った。そのうしろを葉月がついていく。
「朝食はどうします? 味噌汁の材料は持ってきてますけど」
瑠璃がそう尋ねると、「それじゃ、僕はご飯の準備をします」と大宮巡査はそう言って、飯盒を置いているところまで行こうとした時だった。
「のろし?」と川の水で顔を洗い、タオルで拭いていた葉月が言葉を発した。
「のろしって…… 戦国時代じゃあるまいし――」
弥生は少しばかり笑いながら言ったが、葉月の指さす方を見るや、徐々に顔を強ばらせていく。
「大宮巡査! 火事! 火事っ!」
弥生の慌てた声で、大宮巡査は弥生の指差す方を向いた。
そこには黒に近い灰色の煙が、延々と空に昇っていくのが見えた。
「き、君たちはここにいて! 僕は管理の人と警察に連絡を入れるから」
そう言って、大宮巡査は急いで駐車場へと走っていった。
「皐月っ! 起きてっ!」
弥生は自分たちが寝ていたテントを覗きこみ、まだ寝ている皐月を起こす。
「んっ? あ、弥生姉さん…… おはよう」
「おはようって、悠長なこと言ってられないのよ? 山火事!」
まだ覚醒していない皐月の頭に、弥生の言葉は理解出来なかったが、次第のその意味を理解していく。
「か、火事って? どこで?」
「どこでって、この山で!」
皐月は起き上がるや、テントから出る。
「あれ、大宮巡査は?」
「今警察とこのキャンプ場の管理をしている人に連絡を入れるために、駐車場に行ってる。多分あそこなら電話があるから――あれ?」
弥生は言葉を止め、首を傾げる。
「どうかしたの?」
「いや、なんで駐車場の近くに電話なんてあるって思ったのかしら」
弥生の言葉に皐月は少しばかり、顔を歪める。
「歩夢ぅっ! 歩夢どこだァ!」
上流の方から、男性の叫び声が聞こえてきた。
「あ、あなた昨日の……」
弥生がそう云うや、男――健佑はそちらに気付き、弥生たちに近寄る。
「あ、あんたら、歩夢知らねぇか?」
そう訊ねられるが、名前を言われたところで、誰なのか三姉妹は知りようがない。
「閻魔さま……ご存知ですか?」
「たしか――あなたの連れで、髪が長い方でしたね」
瑠璃は健佑にそう尋ねると、
「あ、ああ。そうだけど? っーか、なんで知ってんの? おたく、あいつの知り合い?」
健佑にそう云われ、瑠璃は少しばかり返答に困る。
「それで、その歩夢さんだっけ? 何時からいなくなってたの?」
海雪に尋ねられると、健佑は少しばかり考える素振りを見せる。
「えっと、昨日の夜中……二時くらいかなぁ? ちょっと涼子を山の近くまで連れていってたんだ……」
「そんな夜中に? 星を眺めるとは思えないけど?」
「あんたさぁ? カマトトぶってる? 男と女が夜中にやることっていったら……」
健介はそう云うや、人差し指と中指の間に親指を挟もうとすると、
「それ以上言ったら、未成年の婦女子に対する、猥褻行為として、あんたの首を切り落とすけど?」
何時の間にか海雪が健佑のうしろに立ち、大鎌の刃を首元に近付けていた。
しかし、見えるものにしか見えないその鎌を健佑が気付くはずもなかったが、海雪のドスの効いた低い声が効いたのか、健佑はアタフタと弥生たちから後退りしていく。
「わ、悪かったよ。でも、歩夢を見かけたら、教えてくれ……」
「ちょ、ちょっと待って? 確かあなたたちって、車で寝てるのよね?」
「あ、ああ。だけど、その車もないんだよ――」
「車がない? 歩夢さんが運転してるんじゃないの?」
「いや、あいつは免許持ってねぇよ。それじゃ、何かあったら教えてくれ。俺と涼子は駐車場にいるから――」
健佑はそう言い残し、駐車場へと走っていった。
そのすれ違い様に大宮巡査が戻ってきた。
「あの煙は車が転落したさいによるものだとわかったよ。車が崖から落ちて、その周りで火が激しく燃えている。今、消防にも連絡を入れて、消化と救命活動をしてもらっている」
「――転落……?」
皐月はその報告を聴くや、その場に跪き、頭を抱え、体を震わせた。
「皐月お姉ちゃん? どうかしたの?」
葉月が皐月に声を掛けるが、微動だにしない。
最初は声が小さくて、聞こえなかったのだろうと、葉月は思っていたが……
「いぃやぁ…… いやぁ…… おとうさん…… おとうさん…… 死んじゃ……ぁだぁ…… 死んじゃやぁだぁ……」
譫言のように呟き、瞳孔を大きくする。
「皐月、どうかした?」
弥生もその様子に違和感を持ち、皐月に声を掛けるが、
「弥生、葉月…… あなた達は大宮巡査と一緒に火事の現場に行ってきてくれませんか?」
瑠璃にそう言われ、弥生と葉月は困惑した表情を浮かべる。
「で、でも――」
「皐月の事は私たちがなんとかします。葉月、霊がいたらその声を聞いてあげてください」
弥生と葉月は少しばかり躊躇うが、瑠璃から「仕事です」と言われ、渋々大宮巡査と共に転落事故のあった現場へと歩いていった。
「ぁ…… あぁ…… やだぁ…… おとうさん…… とうさぁ……」
「ほら皐月、水飲んで」
海雪が川の水をコップで汲み取り、それを皐月に飲ませる。
「落ち着きましたか」
瑠璃がそう尋ねるが、皐月は体を震わせ、唇を震わせる。
「閻魔さまぁ? どうしてこんな事を許したんですか?」
「今さらそのことでもめても、こうなることはあなたもうすうすとわかっていたことでしょう? それに今後のことも考えると、皐月には早く思い出して欲しかったんですよ。自分がしたことに対する事を……」
「皐月がしたこと?」
海雪がそう尋ねると、瑠璃は皐月を一瞥する。
「皐月…… あなたは転落事故があった時、車の中に入ってきた蜂にビックリして、健介にしがみつきましたね」
「ちょ、ちょっとまってください! そりゃ、昨日、車の中に蜂が入ってきて、その時の皐月の様子を見ればそうなるかもしれませんけど…… それって偶然にも程がありませんか?」
海雪が瑠璃に聞き返すと、
「偶然ではなく、必然だとすれば? 事故があったのはセミが鳴き喚くほどの夏日ですよ。そんな暑い日の車の中は四十度以上と言われています。帰る時だって、車内の温度を下げるために窓を開けていたかもしれない」
「それじゃ、その時に蜂が入り込んだってことですか?」
「いいえ、入り込んだというよりも、入れられたと云ったほうがいいでしょうね。自然に入ってきたのなら、再び出ていくでしょうし、もっとも蜂は暑い場所は苦手とする昆虫ですからね。だから、本来いるはずがないんです」
瑠璃はそう云うや、皐月を見やった。
「私はその当時の事を知りませんし、知ることもできません…… 十王は死んだ人間しか罰せられませんから――」
瑠璃はそう云うや、煙管と取り出し、それをくわえた。
瑠璃の容姿は葉月と同年齢ほどの見た目なので、傍から見れば奇っ怪な光景である。
頬を膨らませた瑠璃は、可細い口から紫煙を吹き出した。
「煙々羅、大宮巡査たちのところに行き、状況確認を。それと車の状態と中を調べられたら、折入ってお願いします」
瑠璃にそう云われた紫煙は、まるで意思があるかのように、いまだ灰色の煙が昇っている事故現場へと、スーッと風に乗るように流れていった。
「げぇほぉっ! げはぁっ! げほぉっ!」
瑠璃は激しく咳き込み、その場に座り込んだ。
「煙々羅も人間の姿で連れてくればよかったんじゃ?」
海雪が瑠璃の背中を摩りながら言った。
煙々羅を現世に呼ぶ場合、煙管を使って呼び出します。因みに瑠璃はタバコの煙が大嫌いです。