漆・優美和
優美和:指輪のこと
「こんにちわ…… もう時間的にこんばんわですかね?」
式場に阿弥陀警部と大宮巡査が遣ってくるや、拓蔵らに挨拶をする。
「ああ、阿弥陀くん。こちらが搜索をお願いされた……幸宮甚平さんじゃ」
拓蔵が状況説明をする。
「あれ? そういえば式は」
弥生がそう云いながら人込みの方を見る。自分たちは蚊帳の外だったため、すっかり終わっていたのに気付いていなかった。
「式が終わり、指輪交換も終えた。今は家族だけで団欒としてるみたいですね」
瑠璃がそう言うので、そちらを見ると、樹里と昌平にその両親、美咲と花梅が話をしていた。
友人や、人に化けた狐たちも何人か残って、式の余韻を楽しんでいる。
「お知り合いなんですか?」
「はい。爺様の親戚の方らしくて、私たちも小さい時、よく遊んでもらって……」
皐月は大宮巡査に説明していくうちに、ふと可笑しな部分に引っかかった。
「小さい時? なんで――だって……一昨日、爺様から初めて樹里さんのことを聞いたのに?」
皐月はまるで怯えた表情で自分の記憶を辿っていく。
――だが、遊んでもらったという徹底的な記憶どころか、思い出すら浮かんでこない。それがもどかしくなっていた。
「皐月? 樹里と美咲から目を離さないでいてください」
瑠璃にそう云われ、皐月は頷くが、
「瑠璃さん…… どうかしたんですか?」
「そろそろ、帰らなければいけないですしね。これ以上露世に滞在しておくときつくなってきますし」
その言葉に大宮巡査は首を傾げる。
「そう云えば、大宮巡査に会うのはこれが初めてでしたっけ?」
瑠璃からそう云われ、大宮巡査は頷く。
「まぁ、すぐに忘れるでしょうから名乗りはしませんが、悪いことはしないほうがいいですよ。何時でも……」
瑠璃がクスッと幼い笑みを浮かべた時だった。
――何処からか悲鳴が聞こえたのだ。
全員がそちらを見ると、式場の方から、人が溢れ出し、窓からは煙が出ている。
「か、火事?」
「いや、あの窓は……わしらがいた時に使っていた式場の近くじゃないか?」
拓蔵がそう云うや、弥生は遊火をそちらへと向かわせた。火の妖怪である遊火ならばなんでもないからだ。――数秒後、遊火が戻ってくるや、状況を説明した。
「火元は拓蔵さまや弥生さまたちが使われていた式場で、ところどころにビンに詰め込んだ紙に火が点けられています」
「点けられてるって…… もう使ってないでしょ? スプリンクラーとかは?」
「恐らく、式が終わってから、そのままだと思います」
式をしている最中はスプリンクラーの運転を停止している。
そうしないと、折角の晴れ着は水に濡れて台無しになるし、式自体がお粗末なものになってしまうからである。
「犯人はそのことを知っていたのか?」
「いえ、それが…… 火元はわかりましたが、それをした犯人までは……」
要するに式場にいないということになる。
「ビンに入れられてるってことは、ビンの中身はガソリンかな?」
「でも、まだ燃えてるから、灯油と考えてもいいでしょう」
「いや、それよりも先ず、火を消さないといけないでしょ? まだ燃えていますし」
脱衣婆の言う通り、火元を消さない以上、元もこうもない。
「大宮くん。至急消防車と会場の人たちを避難させてください」
阿弥陀警部の支持通り、大宮巡査と一緒に来ていた警官たちが会場で慌てている来場客らを避難させていく。
「美咲さん。幸せそうで何よりですよ……」
誰かがそう云うや、拳銃の音がこだまする。耳を劈くほどの大音量は耳が悪い皐月ですら耳を塞ぐほどである。
突然の拳銃の音と火事が起きている状況が相重なって、避難している来場客らは混乱し、避難させている警官達の声に耳を傾けようとはしない。
「……雄平さん?」
美咲がそう云うや、拳銃を持った男は笑みを浮かべた。男――雄平は身長が低く、小太りである。
「今日は僕と結婚式を挙げる予定じゃなかったんですか? それなのに、どうしてこんな男と――」
雄平は空に向けた銃を放った。
「さぁ、早くそんな男と離婚して、僕と結婚しましょう」
美咲は樹里に寄り添い、キッと鋭い眼光で雄平を睨んだ。
「どうしたんですか? さぁ、そんな怖い目をしないで、ボクと結婚を……」
「巫山戯ないでください! 私は樹里さんと結婚すると―― 夫婦になると決めたんです。大体、あなたと結婚すると誰が云ったのですか? 誰が決めたのですか? 少なくとも、私はあなたとは結婚する気は毛頭ありませんし、有り得ないことです!」
美咲がキッパリとそう云うや、雄平は顔を真っ赤にした。
「ゆ、雄平…… やめるんじゃ」
「幸宮さん…… もしかして、彼が?」
「こ、んの馬鹿息子がぁ! なに人様に迷惑をかけおるんじゃ?」
幸宮甚平が怒号を挙げる。
「お、おやじぃ! この人が俺の婚約者だァ!」
「なぁにが婚約者じゃぁ! どうせお前がまた勝手に決めたんじゃろ?」
「いや、違うって、今度のは違う! おれは確かに彼女から―― 美咲さんから告白されたんだ!」
その言葉に樹里は美咲を疑った。が、美咲は怯えるように首を横に振った。
「なぁ、どうしたら結婚してくれるんだァ? どうしたら、そんな男と離婚してくれるんだァ?」
雄平はそう云いながら、ふと何か思いついたのか、にやりと嗤った。
「そうだ…… 殺してしまえばいいんだ…… そうしたら、僕の奥さんになってくれるんだァ?」
言うが早く、雄平は拳銃を樹里に向けた。
「な、何を馬鹿なことをしてるんじゃ?」
幸宮甚平の言葉虚しく、雄平は引き金を引いた。
劈くほどの音が辺り一帯にこだまする。
「さぁ、早くその男から……」
雄平は言葉を止めた。
「ど、どうして? どうして…… どうして美咲さんが撃たれているんだ?」
雄平は確かに樹里を狙い撃った。その距離は大凡二十米もない。
にも拘らず、美咲は樹里に重なり、背中で弾に撃たれていた。
「こぉおんっ」
美咲が小さく悲鳴を挙げた。その声は人間のものではなかった。
「み、美咲さん?」
樹里が美咲を抱えようとすると、スーッと手から美咲の体が抜けていく。
いや、美咲が本来の姿を表したからだった。
――その姿は狐であった。が、打たれた場所は今もドクドクと血が流れ落ちているため、橙色の体毛は赤く濁っている。
「き、君は…… まさか……」
樹里がそう云うや、美咲は震えた体で樹里を見上げた。
「ご、めん…… な、さい……」
はっきりと美咲はそう云うや、それを最後に美咲はぴくりとも動かなかった。
「あ、ああ、あああ…… 美咲ぃ? 美咲ぃいいいいっ?」
花梅が美咲に寄り添い、慟哭する。
ただ呆然と立ち尽くしている樹里は何が何だかわからない表情である。
「な、なんだよ? なんだってんだよ? なんだぁ? 化けギツネだってのかよ?」
「化けギツネでもなんでも…… あなたは幸せな時間を壊した責任がありますよ?」
阿弥陀警部が険しい表情で雄平を睨みつけ、手首に重たい感触を与えた。
「銃刀法違反。並びに放火の容疑…… もう一つ――強盗の疑いもあるんで、一緒に来てもらいましょうか?」
阿弥陀警部はそう云うや、雄平を半ば強引にパトカーにぶち込んだ。
「何処へ行こうとしてるのですか?」
帰ろうとする狐たちを瑠璃が呼び止める。
「一体…… 誰がこんなことをしたんでしょうかね? 少なくても…… 一途な美咲がこんな自分を貶めるようなことはしない。ならば誰かが美咲に化けてこの結婚式を滅茶苦茶にしようとした」
瑠璃の言葉を聞かず、狐たちは帰ろうとする。
「金毛九尾による差し向けですか? それとも普通の結婚式じゃつまらないから、余興のひとつにでもしようとしたのですか?」
狐たちは立ち止まり、瑠璃を見るや、咄嗟に術を解き、元の狐の姿になった。
――いや、術を解かざるおえない。そうしないと人の足では逃げられないと察したからだ。
「白面金毛九尾に伝えておきなさい。浄瑠璃鏡であなたがしたことを全て見てから、厳しい処罰を言い渡すと!」
瑠璃は少女と見間違うほどの容姿からは信じられないほどに恐ろしい形相を、狐たちだけに向けた。
ボツンと立っている樹里と昌平、その両親が不思議そうに首を傾げている。
その近くには既に狐に戻った美咲と花梅の姿はなかった。
「い、樹里さん?」
皐月がそう声を掛けると、
「ああ、皐月ちゃん? 君もここにいたのか?」
「ここにいたのかって?」
「いや、俺たちもどうしてこんなところにいるのかって思ってね?」
「どうしてって、だって樹里さんは結婚式を……」
皐月の言葉に樹里と昌平は笑った。
「この馬鹿が結婚? 皐月ちゃん、本気で云ってるのか? ありえないだろ?」
昌平がそう言うと、樹里は苦笑いを浮かべた。
「そういうことだ、皐月ちゃん。おれが結婚できるとしたら、それこそ夢のまた夢なんだよ?」
「でも、今さっきまで美咲さんと……」
「美咲…… 誰だい? それは――」
皐月はその言葉に驚き、声を挙げることが出来なかった。
拓蔵、三姉妹、瑠璃と脱衣婆以外…… その場にいる誰一人、美咲と花梅の事を何一つ覚えているものはいなかった。