陸・子生婦
子生婦:昆布のこと。昆布は成長が早く繁殖力が強いことから、「子宝に恵まる」、「子孫繁栄」という願いが込められています。「よろこぶ」ということから、祝い事によく使用されています「子生夫」「幸運夫」とも言います。
拓蔵に連絡を受けた阿弥陀警部は溜息を吐いた。
「まったく、人使いの荒い神主だことで」
「神主さんはなんて云ってたんですか?」
大宮巡査がそう尋ねるや、阿弥陀警部は呆れた表情で電話の内容を伝えた。
「人探しですか?」
「ええ。今知り合いの結婚式に呼ばれていて、同じ会場で式を行うはずだった新郎が行方不明……とはいかないが、あまりにも遅すぎるため、席を外して捜索してくれないか」
大宮巡査は捜索人の特徴を尋ねた。
「――二六歳くらいの男性で、背丈は小さく、小太り。特徴といえば眼鏡と手に痣がある」
阿弥陀警部は少しばかり首を傾げながら言う。
「それでどうするんですか?」
「一応搜索にはあたってみますが、こちらとしては、こっちの方が優先したいんですけどね――」
言葉を発するや、阿弥陀警部の目が険しくなっていく。
「犯人は未だに逃走中。搜索を頼まれた人間は背丈が低くて小太り…… まさかとは思いますけどね」
阿弥陀警部は防犯カメラに写っていた犯人をビデオで確認していた。
ビデオに移された犯人と思われる人物は、背丈が小さく、また小太りであった。
しかも犯行を及んだ時間は、午後1時ほどであること。
「木を隠すなら森の中、人を隠すなら人込みの中……というわけですか?」
「たまにいるんですよね。結婚式の練習かそんなので、サクラになる人って」
つまりはそれに紛れ込んでいる可能性を否定できないというわけだ。
結局のところ、強盗犯の特徴と多少なりとも一致していることもあり、阿弥陀警部と大宮巡査を含んだ数名で搜索に乗り出した。
――時同じく、遊火が戻ってきた頃だった。
だいぶ火の粉を散らばらせていたのか、少女の姿になった時にはへとへとになっていた。
「それで、見つかりましたか?」
瑠璃がそう訊ねるが、遊火は申し訳ない表情で首を横に振った。
「すでに町を出ている可能性もありますし、なにより情報が少なすぎるんですよ」
「息子さんが行きそうな場所はないんですか?」
拓蔵が男性にそう尋ねると、男性は少しばかり考え込み、
「いや、今日は結婚式ですからね。他に行くなんてことはないでしょ?」
しかし既に三時間も遅れていて、他に行くところがないというのは説得力がない。
「遊火っ? 阿弥陀警部が言っていた強盗以外に事件や……事故がなかったかわかる?」
皐月は見えている人間の視線の先に向かって言う。恐らくその先に遊火がいるのだと考えたからだ。
『……いえ、特には』
遊火の言葉を瑠璃が代弁する。結局皐月には遊火の姿と声が聞こえていない。
(やっぱり、あの時の声って―― 私の聞き間違いなのかな?)
皐月は寂しそうな表情を浮かべた。
あの時、コテージで聞こえた声は確かに遊火の声だと拓蔵は皐月に説明しているが、その一瞬を最後に、数日ほど経った今なお、皐月は遊火の声を聞いていない。
皆には見えているし声が聞こえている……にも拘らず、自分だけが見えていないということがなんとも歯痒かったからである。
「皐月、気にすることはないわよ。遊火は幽霊じゃなくて妖怪なんだから、いつか必ず見える日がくるわ」
脱衣婆がそう皐月に声をかける。
「それに、あんたの霊視は弱いものには通じないようになっている。より凶悪な妖怪が心の隙間に入り込み、狂気と化した人間に対してのものでもあるんだから」
「それって、どういう意味?」
「要するに、弱い人間ほど妖怪に取り憑かれやすい。人を怨んでいるということは、それだけ心に余裕が出来なくなっている。そんな隙間に悠々入ることが出来るのは力が強い妖怪くらい。弱い妖怪は人を化かすか、露世でただただのんびり暮らしているかくらいよ」
脱衣婆はそう云いながら、狐たちの群れを見た。
「見なさいな。人間は樹里と美咲を祝福しているというのに、狐どもはケラケラ嗤ってる。本当に強い妖怪ってのは、決して誰かを嗤わないのよ。知ってる? チャンピオンが最も恐れているのは自分よりも弱い選手だって……」
その言葉に皐月は首を傾げた。どこをどう考えたらそんなことになるのだろうかと……
「チャンピオンっていうのは一番上でいなければいけない。その責任感もあるし、なにより下に落ちれば落ちるほど、誰かに貶される恐怖があるからなのよ。某野球チームなんて、今じゃシーズンで言うAクラスの常連だけど、最初の頃は負ける度に生卵を移動バスに投げられたくらいに貶されていたんだからね。
期待されているほど、裏切られた感があるから、ファンはそういうことをする。
そうならないためにも、チャンピオンは上にいなければいけない、常勝でなければいけないという責任感ができてしまう」
脱衣婆は瑠璃を見やる。
「閻魔さまだって、ずっと十王で有り続けなければいけない。だけど、あなたたちと一緒に居る時の方が、地獄にいる時よりもよく喋るのよ」
意外な話に皐月はキョトンとした。
瑠璃はイメージ的にキャリアウーマンのようなものと感じていたからだ。
「二人とも、何を話しているんですか?」
瑠璃に声をかけられ、皐月と脱衣婆はそちらへと振り向く。
「い、いや、特になにも……ねぇ?」
脱衣婆がそう云うや、皐月は少しばかり不思議そうな目をするが、表情から察し、頷いた。
瑠璃はそれ以上のことは訊こうとはしなかったが、
「脱衣婆…… 人の心配をする前に自分の心配をしなさい」
そう告げられ、脱衣婆はキョトンとした。
「な、なんかあったの?」
脱衣婆は少しばかり考えるや、思い出したようにポンッと手を叩いた。
「あー、多分あれだ。以前、信乃が瀧原希空の父親を成仏しなかったことに対しての処罰を本人に伝えてなかったからだろうなぁ」
皐月と信乃は執行人である以上、成仏という形で妖怪と化した人間に罪状を言い渡さなければいけない。
それが執行人の役目であり、義務であるので文句は言えない。
「ただ、信乃はきちんとした理由がある……それはあなたも知っているはずよ」
「まだそれを見つけてもいないの?」
「見つけていないし、退治したところで、あの子が変わるとは思っていないわ。むしろ今まで以上に見境なく妖怪を退治するでしょうね」
脱衣婆は少しばかり空を仰ぎ、一瞬だけ口を動かした。
『それに今の信乃じゃ、殺すどころか返り討ちにあうのがオチだけど』
その言葉は、耳があまり聞こえない皐月に聞こえることはなかった。