肆・末広
末広:結納品や和装の際に使用する扇子。末の方が広がっていることから、こう呼ぶ。
「美味しいぃ」
葉月が直感的に感想を述べた。
「うん。鳥肉が柔らかいし、舌の上で溶けるから全然噛まなくてもいいわね」
「ポタージュもピュレで且つフロアだというのに、スーと喉を通っていきますし、パンとの相性もいいですね」
各々用意された料理を堪能している。
「皆さん、楽しんでおられるようで何よりです」
声をかけられた皐月はそちらを見ると、樹里と美咲がキャンドルサービスとして来客への挨拶回りをしていた最中で、ちょうど皐月たちの席へと来たところだった。
「ご結婚おめでとうございます」
皐月は美咲が妖怪であることを知っていたが、水を差すような言葉は言わなかった。
たとえ赦されないことだと知っていても傷を抉るような事はしない。
それは拓蔵や弥生、葉月も同じく、瑠璃と脱衣婆も祝福の言葉を述べた。
「しかし、本当にお綺麗なお方ですな。樹里くんには勿体ない」
拓蔵が笑いながら言う。
「ええ。本当に僕なんかでよかったのかなって」
樹里は照れを隠すかのように頭をかいた。
「樹里さんは素晴らしい方です」
美咲は真面目な表情で言う。
「それに、私は樹里さんでよかったと思っています」
「……っ?」
ぼんやりとした蝋燭の灯りに照らされている美咲の表情が、幸せな時だというのに曇っていたのを皐月は不思議そうに眺めた。
「どうかしたんですか?」
美咲に声をかけられ、皐月はハッとする。
「いや、何か狐に抓まれたような目をしてらしたので」
「ははは…… 美咲さんが余りにも綺麗だから見とれてただけでしょう」
拓蔵がそう言うと、美咲はクスっと笑を零すと、樹里と共に頭を下げ、その場を去っていった。
「どうしたのよ?」
樹里と美咲が去った後、弥生は皐月に尋ねた。
「いや、いくら樹里さんを騙しているとしても、白狐ほどの妖狐が自分自身で決めた人なのに――全然幸せそうな表情じゃなかったから」
皐月はそう云いながらも、騙している事へのうしろめたさからきているんじゃないかとも思っていた。
「それなんですけどね…… 美咲は一度、樹里と昌平に殺されかけていたことがあります」
瑠璃がそう話し出すと拓蔵と三姉妹は瑠璃の方を向いた。
「今から四年ほど前の話ですが、樹里と昌平がある山で狩りをしていました。その時仕掛けていた罠に掛かったのが子狐の美咲でした。昌平は狐の美咲を撃ち殺そうとしましたが、あくまで猪狩りをしていた樹里は美咲を罠から逃がしたんです」
「そしてその日の晩。母狐である花梅と共に樹里と昌平が寝床にしている山小屋へと訪れ…… 怨みをもって樹里と昌平を殺そうとした」
脱衣婆はそう云うが呆れたような表情を浮かべた。
「だけど美咲は助けてもらった樹里だけは殺すことができなかった。花梅は殺せと命じたけど、頑なにそれだけは出来なかった――」
「それで幸せそうな顔じゃなかったってこと?」
弥生がそう云うと、瑠璃は少しばかり考えるが、返答に困っていた。
「私は地蔵菩薩として露世の事を見てきています。だけど、上辺だけのことしかわからないこともありますし、あの子がどういう気持ちなのかもわかりません―― だから、彼女が幸せかどうかは、これから彼女自身が知ることでしょう」
「今段階ではなんとも言えないということじゃろうが…… 人間と妖怪、種族の違うものが幸せというのは難しいと思うぞ?」
「それこそ一昔前の異国同士の結婚みたいにね」
脱衣婆がそう言うと、三姉妹は首を傾げた。
今ではさほど珍しいものではない違う国どうしの結婚であるが、一昔前だと結婚自体難しく、また言葉や風習の違いから、結婚どころではなかった。
結婚というのは自分たちだけの問題ではない。自分の周りで関係のある人間さえも巻き込んでしまう。
「だけど…… 白面金毛九尾はそれを赦した…… 美咲が樹里に白狐であることがバレない以上は幸せなんだということでね」
「ただひとつだけ、九尾は花梅と美咲に条件を出しています」
瑠璃の言葉を葉月が鸚鵡返しする。
「自分たちが白狐であることがバレてしまえば……消滅すること」
その言葉を聞くや、拓蔵と三姉妹は驚きを隠せないでいた。
「自分が妖狐であることを知られるというのは、それくらいのリスクを背負うということです」
「でも…… バレたとしても…… 樹里さんから美咲さんの思い出が……」
皐月がそう言うと、脱衣婆は視線を逸らした。
「消滅するというのは全てが亡くなるということです」
「記憶も何もかも消えてしまうってこと?」
瑠璃は俯きながら、小さく頷いた。
「それくらいのリスクを背負っていながらも、なお樹里を選んだ美咲を金毛九尾は結婚を赦した……」
瑠璃と脱衣婆の話を聴きながら、皐月は新郎側のキャンドルサービスを終え、新婦側へと移っている樹里と美咲を見るや、その光景にゾッとした。
人間である会社の同僚たちは樹里と美咲を心から祝福している。
しかし、人の姿に化けた妖狐たちは、まるで二人を嘲笑するかのように、眼を真っ赤にし、耳まで裂けた笑みを浮かべている。
霊感すらない人間から見れば、彼らも結婚を祝福しているように見えるが、皐月たちからすれば、嘲罵、薄笑い、揶揄など…… 樹里と美咲の結婚を心から祝福していないことが、その言葉通り『目に見えた』。
妖狐たちはおろか白面金毛九尾自身も二人の結婚に祝福などしていない。
彼らからすれば、この余興はただの馬鹿な子狐の遊び事であり、見世物でしかない。
人間よりも何十倍も生きる彼らからすれば、本当につまらない余興の一つでしかないのだ。
「人を騙すことは彼らからすれば極々当たり前のこと…… ましてや、人を好きになることなど烏滸がましいことでしかありません」
瑠璃はスプーンを持つ手を震わせ、言葉を発した。
「だけど…… 一時の…… ほんの刹那だけでも、幸せだと思ったって罰はないはずです」
怒りを押さえ込んでいる瑠璃を見ながら、皐月は本当に幸せそうな樹里と、幸せを望むことを赦されていない美咲の表情を見ていると、瑠璃の怒りが理解できた。
幸せだと思うことに罪はない。誰かに幸せだと思えと言われて、「はいそうですね」と同意するものでもない。
幸せとは自分が決めることである。
たとえそれが許されないことだとしても……
今その瞬間だけ幸せだと思ってもいいのだ。