捌・七つ目
「こんのぉばかぁっ!!」
月に照らされた旧校舎の入り口で、人目もはばからず皐月は葉月を怒鳴りつけていた。
「まぁ、無事だったんだから、いいじゃないか」
大宮巡査が皐月を宥める。が、皐月は大宮巡査を睨みつけた。
その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「皆がどれだけ心配してたかわかってるの? 今回は無事だったからよかったけど、もし誰も助けに来なかったらどうするつもりだったの?」
「ご、ごめんなさい……」
葉月は譫言のように謝った。
皐月は葉月が重症を負っていることを重々わかっている。
しかし、生きていただけでも嬉しいのだ。もし、死んでいたら……と思うと、怒鳴らずにはいられなかった。
「でもよかった……無事で……」
皐月はそっと葉月を抱き締める。
その力は強く、葉月は「痛い」と言おうとしたが、どれだけ心配したのかを理解し、何も言えなかった。
「葉月……」
拓蔵が葉月に声を掛ける。
「みんなに迷惑をかけたんじゃ。謝りくらいは云わんとな」
「うん…… ごめんなさい」
葉月は深々と頭を下げ、謝りを述べる。
弥生や周りの警官たちは安堵の表情を浮かべた。
「さてと…… 西戸崎刑事、残念だけど――」
「んっ? ああ…… まぁ、こうなることは頭の中に入れちょったけど、現実になると辛いな」
西戸崎刑事が頭を抱えた。
「親御さんたちにどう説明すればいいっちゃろ……」
トイレで発見された女の子の死体は、誘拐事件の被害者である新村結華と判明した。
死体の胸には名札が付いており、それから身元がわかったのだ。
「男は美作秀英、三十二歳。サラリーマン…… 昔子供を持っていたそうです」
「子供? 葉月や、その友達に怖い思いさせてたのが?」
皐月と葉月は驚きを隠せないでいた。
「ええ。まぁ、もう十年ほど前の話でしてね。一度虐待で児童相談所から通告を受けてたようです。――まったく、親に反抗したりもするでしょうに、それが許せなかったらしいですよ」
「そうだったんですか……」
葉月はそう云うや、旧校舎の方を見ると、「――あれ?」
と小さく声をあげた。
「あの子がいない……」
「あの子って…… 葉月たちを助けてくれた幽霊のこと?」
葉月だけは助かったとは言い難いが、もし女の子が助けてくれなかったら、全員美作秀英に殺されていたのだ。
「それなんじゃがな……やっと思い出したわい」
「爺様? 思い出したって――何を?」
「この旧校舎に伝わる、七つ目の話じゃよ」
そう云うや、拓蔵はベンチに座った。
「昔、昔……今からもう五十年くらい以上前の話じゃ。世の中は第二次世界大戦が終ってからだいぶ経っておったがな、日本は死ぬか生きるかの状況じゃった。子供たちは勉強もままならなかったんじゃ…… そんなある晴れた日にひとりの女の子がこの校舎に転入してきてな、すぐにみんなと仲良くなったんじゃ。じゃが、その女の子は不治の病にかかってしもうてな、家が貧乏じゃったから、外に出ることを許されなかったんじゃ……。そんなある日、突然家から女の子が居なくなってしもうてな。みんなでいろいろなところを探したんじゃよ。そしたらな……見つかったんじゃよ。幸せそうな顔を浮かべたまま……トイレで死んでおったのがな……その後からじゃった。トイレで誰かが話をしていると、個室から楽しそうな笑い声が聞こえてくるようになったのは…… 女の子の名前は『おはな』…… それから転じて『花さん』…… 『花子さん』になったんじゃよ」
拓蔵がまるで見てきたかのように話す。
「それって、もしかして実話?」
「さぁ、どうじゃろな?」
弥生の問い掛けを、拓蔵は曖昧に答えた。
「おはなさん……本当に学校に行きたかったんだね」
「おはなちゃんにとっては学校に行くというより、みんなと遊びたかったと云ったほうがいいかもしれんな」
拓蔵は旧校舎を見上げ、目を瞑った。
彼の頬には、少しだけだがツーッと涙が零れおちていた。
――それから数週間後のことであった。
旧校舎が学校の夏休み中に建て壊しが決定したのだ。
事件が発生し、子供たちがまたいたずらに校舎へと入らないようにするためだったが、実際は違っていた。
「爺様? どうして、おはなさん…… ううん、花子さんの話が七つ目のお話にならなかったの?」
葉月が拓蔵にそう尋ねる。
「お前は、おはなちゃんの話を聞いて、怖いと思ったか?」
そう聞き返され、葉月は首を横に振った。
「学校の七不思議は怖いから噂するじゃろ? じゃが、おはなちゃんだけは誰も怖がらんかった。むしろ、色々な事をおはなちゃんに話してたんじゃよ……それが新しい校舎が出来、徐々に誰も旧校舎の方に入らなくなるまでずっとな――」
「おはなさんにとっては、子供たちの話を聞いていたことが楽しかったってこと?」
皐月がそう訊くと、拓蔵は少し間をおいてから頷いた。
「旧校舎の建て壊しが決定したのも、おはなちゃんを知ってるわしからすれば、この世に未練がなくなったからじゃろうな」
拓蔵の言葉に、三姉妹は首を傾げた。
後日、建て壊し前に除霊式が行われた。
それを見に来た老人たちのほとんどは旧校舎で女の子……おはなと一緒に遊んだり、お話を聞いてもらったりしていた子供たちであった。
三姉妹は後で聞かされるが、旧校舎を壊さないようにと運動をしていたのは彼らで、彼ら自身がおはなを束縛していた。
――が、拓蔵の一言で、全員考え直し、旧校舎の建て壊しを決心した。
二学期を迎えた頃には、旧校舎があった場所は更地となり、そこを小さな運動場として、利用されることになった。
その日から、その運動場に大勢で遊んでいると、『誰も知らない女の子が混ざっている』
という怪奇現象が頻繁に起きるようになったが、子供たちの誰一人、それを怖がるものはいなかったという。
その女の子がなんなのかは、ご想像にお任せしたい。