漆・徒花
「本当に大丈夫なの?」
市宮が自分たちの頭上で漂っている女の子に訊く。
「俺たちをこの校舎に入れたのは、あの死体を発見して欲しかったのが理由だったしな」
大山がそう云う。前野も納得はいっていないが女の子が悪いやつとは考えていなかった。
「さ、さっさと帰ろうぜ?」
前野がそう言うと、教室のドアがひとりでに開いた。
ちょうど、廊下側を見ていた大山が先に気付き少し声をあげる。
「もう、そういうのはいいって……」
前野が女の子を睨みつける。
当の本人は面白いのか、小さな笑みを浮かべていた。
「誰もいないな……よし、みんな……犯人に見つからないよう、慎重に行こう」
大山を先頭にし、市宮、前野、葉月と並んでいく。
ちょうど階段の方に差し掛かり、四人の歩みはより慎重になっていく。
「もう、いないよな?」
前野がそう言うと女の子が先へと行く。
「見に行ってくれたのかな?」
「俺たちを危険な目に合わせた責任でも感じてるんだろ?」
市宮と前野がそう言うと、女の子はすぐに戻ってきた。
「大丈夫なのか?」
大山の問いかけに女の子は頷いた。
女の子の言葉通り、階段を見渡すと男はおらず、四人はゆっくりと一階へと降りていく。
それから何事も無く、女の子の案内によって、四人は自分たちが入ってきた窓へと辿り着いた。
「うわ、外真っ暗だぜ?」
前野が窓から外を眺め、声をあげた。
その言葉通り、外は既に真っ暗になっている。
「早く帰らねぇとな……」
大山と前野が先に外に出ると、続いて市宮が外に出る。
葉月は少し気になりながらも、校舎の外へと出ようとした時だった。
(――えっ?)
窓の外に手をやろうとすると、パシッと何かが弾かれる音がする。
「えっ? ど、どういうこと? みんなぁ」
呼び掛けるが返事がない。
「まだ…… まだあなたは出ちゃダメ……」
女の子が葉月に声をかける。
「私は駄目って…… どういうこと?」
葉月はそう訊ねるが、女の子はスッとどこかへと行ってしまう。
しかし、人がその場にいたことを証明する残り香があるように、女の子は気配をまるで糸のように漂わせていた。
葉月はその気配を探りながら女の子の後を追った。
その先は死体があったトイレだった。
その前で女の子は寂しそうな顔を葉月に向けた。
「あなた…… 誰なの? トイレで見つけた女の子とは違う」
トイレの中で見つけた死体の女の子は髪が長い。
しかし、葉月の目の前にいる女の子はおかっぱである。
「私は……この学校に来たかった……みんなと遊びたかった」
「――えっと、この学校に来れなかったってこと?」
女の子はその問いに答えるように頷いた。
「学校に来れなかった……あなた、もしかして別の場所で死んだの?」
それも自分よりも小さな時に……と葉月は続けた。
葉月の問い掛けに女の子は少し首を横に振った。
その反応を見て、葉月は首を傾げた時だった。
「みぃつけぇたぁ……」
突然男の声が聞こえ、葉月がそちらを振り向くや、「げぇほぉっ!」
男に顔を殴られ、ぶっ飛ばされる。
「さっぁきぃはいたかぁあぞぉっ!」
男は譫言のように云うや、痛みでフラフラしている葉月を蹴り上げた。
「がはぁっ! げぇほぉっ!」
お腹を深々と蹴られ、込み上げてきた胃液をドバドバと床に撒き散らし、葉月は痛みと気持ち悪さで訳が分からなくなっていた。
「くぅそぉ、あのくそがきぃ…… おれが寝てる間に居なくなりやがって……」
よく見ると、男はフラフラと今にも倒れそうになっている。
「あ、あなたが殺したんじゃないの?」
葉月がそう訊ねると、男は睨みつけながら葉月の髪の毛をつかみあげる。
顔を近付けられ、息がかかる。――若干ではあるがアルコールの臭いがした。
「ふぅさげたこといってんじゃねぇぞ、がきぃ? おれがいつこどもをころしたってぇ?」
男は葉月を床に叩きつけ、背中を踏みつけた。
「あがぁっ!」
「いいかぁ? がきぃってのはなぁ? 大人の言うことを聞きゃあいいんだよ? 自己表見なんて必要ねぇんだ?」
男がそう云うや、葉月の横腹を思いっきり蹴った。
メキメキと、聞きたくもない音が葉月の耳元で大きく響いた。
「………………っ!」
葉月は気を失いかける。が、男はそれを許そうとはしない……
「なぁ、俺の考えは間違ってるかぁ? 間違ってないよなぁ? がきぃは大人の言うことを聞きゃいいんだよぉ?」
男が葉月の頭を蹴ろうとした時だった。
――パシィンと、何かが当たる音が廊下中に響きわたった。
「ってぇ…… なんだよ? なぁんだってんだよぉ? ――って、てめぇっ! 一体どこから入ってきやがった……?」
男は狼狽するように声を挙げ、それを見た。
「さ、皐月…… おねえちゃん?」
葉月の目の前には皐月が立っており、静かに男を睨みつけている。
「大丈夫? 葉月」
皐月がそう尋ねるが、葉月は訊くまでもない重症である。
「――あいつがやったの? あの女の子も……」
その言葉を聞き、葉月は皐月もトイレにいる女の子を見ていることを知る。
「わ、わからな……い、けど……みんなが云ってる。『あの男が女の子を殺した』って」
葉月は虚ろな目をしながら、ゆっくりと男を指差した。
「さっきから呂律が回っていない…… おそらく、アルコール依存症による。記憶障害―― あの女の子を殺したこと自体、覚えていないってことね」
皐月は男の方へと振り返る。
「なんだよぉ? おまぇもかぁ? おまえもぉれぇのいうことをきかないってのかぁ?」
男はそう云うや、皐月に襲いかかるが、「どぉおおおおおおおおおおおおおっ!」
鬼気迫る咆哮を挙げるや、皐月は男の腹部に竹刀を入れる。
「げぇ、げぇほぉ? がはぁっ」
男はお腹を抑えながら跪いた。
「なぁにぃしやが…… ――がっ?」
男のお腹を竹刀の先が深く入り込み、男は胃液を吐き散らかした。
その後も皐月の一方的な責めで男はフラフラになり、その場に倒れた。
「ゆ、許してくれぇ…… もうやめるから…… 謝るからぁ……」
男は譫言を挙げた時だった。
ガタガタと顔を震わせ男を見下ろしている皐月に恐怖を覚えていた。
そこには普段見せることのない形相をし、それこそ『鬼』と云っていいほどの獰猛な目付きをした皐月がいた。
「――赦す? 赦すわけないでしょ? 自分の都合勝手に女の子を殺し…… 剰え。私の妹をこんな目に遭わせておいて…… 自分だけ助かろうなんて虫のいい考え…… 捨てたほうがいいわよ?」
もはや怒りが先立っている皐月に、悲鳴をあげた男の声など届くはずがなかった。
皐月の折檻が終わり、校舎を出た数分後。
近くの家に助けを求めていた大山たちが警察に通報し、警官たちが駆けつけたところ、ボロボロになった男の姿だけが廊下に残されていた。