肆・七不思議
「ねぇ、誰か懐中電灯持ってない?」
前野が窓から旧校舎へと先に入り、市宮と葉月を校舎の中に入れ終わった後、市宮が尋ねた。
外はまだ明るいのだが、旧校舎の窓は一部を除くと、ほとんどが壁うちされているため、光が入ってきていない。
そのため、周りは薄暗く、数米先までしか見えなかった。
「それより大山を探そうぜ?」
「そうね、さっさと見つけて、こんなところ早く出ましょ?」
懐中電灯を諦めた市宮は前野に同意し、ゆっくりと歩き出した。
(ねぇ、あなたたちは知らないの?)
先に行く市宮と前野からはぐれないようにしながら、葉月は自分の周りで漂っている浮遊霊たちに尋ねた。
旧校舎は今から百年以上前、それこそ明治くらいからあったと言われている。
老朽化が進み、危険ということもあってか、既に使用されることはなくなっていた。
利用価値がないにも拘らず、この校舎だけはどういうわけか建て壊しを町役場に出していない。
葉月はそういうことを知っているわけではないが、浮遊霊の数はそれだけ、この校舎が彼らにとって居心地のいい場所だということを薄々と感じていた。
人が集まるところには霊気も集まりやすく、浮遊霊を呼びやすい。
また長年建ち続けられているため、いいことも悪いことも起きている。
「どうしたの? 葉月ちゃん」
市宮にそう云われ、葉月はそちらを見やった。
「だんだん暗くなってきたね?」
夏なので日暮れまでまだ時間はあるとしても、やはり旧校舎特有の怖さがあるせいか、窓から微かに洩れ込んでいる光がなんとも頼りない。
「さ、さっさと大山見つけようぜ」
前野が突然立ち止まり、それに気付かなかった市宮と葉月は大山の背中にぶつかった。
「いった……ちょっと、急に立ち止まらないでよ?」
市宮がぶつけた鼻を指で摩りながら文句を言う。
「――ちょっと、前野くん?」
何か一言言いなさい、と言おうとしたが、市宮は前野の顔から血の気が引くのに気付いた。
「あ、あのさぁ? ここってあれじゃないか?」
前野はそう云いながら、教室の部屋名が書かれた看板を指差した。
「えっと……2ー3って……あれのこと?」
市宮も前野が震えている理由に気付いた。
「たしか、この教室でいまだに勉強している子供がいるって噂があったわね?」
葉月はそうなの?と浮遊霊に尋ねる。
すると浮遊霊はスーと締められたドアから中へと入っていった。
葉月はジッと教室のドアを見ていたが自分の周りで漂っている浮遊霊以外の霊気を感じなかったので尋ねたのだ。
「――ち、違うところいこうぜ?」
そう言うや、前野は足並み早く先へと進んでいった。
「ねぇ? 噂って他に何があるの?」
下駄箱で一度休憩している時、葉月が前野と市宮に尋ねた。
一階を一周してはみたが、教室などに入れるところがなく、これから二階に上がろうと考えていた時だった。
「そうね。さっきあった2ー3の教室に出てくる居残り幽霊以外だと…… 音楽室のピアノ弾きかな? 夜中、誰もいない音楽室にあるピアノがひとりでに鳴るんだって……で、それを聞いた人は夜な夜な苦しめられるとか」
「――他には?」
これだけ古い旧校舎であるため、歴史も古い。
怖い話が一つや二つとは言わないだろう。と葉月は考えていた。
「校長室の写真。歴代の校長先生が写された写真があるんだけど……」
「でも、それって今使っている校舎の方にあるんじゃないの?」
「それがね? なぜか三代目のだけないんだって―― で、その校長先生は学校の行事で防災訓練をした時、被災にあって亡くなったんだって…… 写真も何も残ってないとかなんとか……」
葉月は先日、鶴見先生と一緒に校長室の掃除をしていたため、歴代の校長が写された写真を見ていた。
その中にひとつだけ間が空けられた額縁があったが、新しい校舎にもっていく際、紛失したという。
実はその写真に写っている校長が亡くなった際、葬式の遺影として使用された。
もともと写真に写るのを嫌っていた校長だったせいもあって、唯一写真が写っていたのがそれだけだったのだ。
当然、その遺影は校長先生縁の人物が今も所有している。
「後、三階と四階の踊り場にいる女の子。階段で転倒死した女の子が夜な夜なそこで踊ってるんだって」
「お、俺もひとついいか? 理科室の人体模型と白骨模型。夜な夜な動き出して、学校中を徘徊するんだってさ」
前野も少し話したほうが気が紛れるのか、自分の知っている怖い話を語り始めた。
「それと図書室の女の子。誰もいない図書室で本を読んでるんだって」
これで市宮と前野が話した噂話は六つである。――それらを語り終えてから数秒ほど経った時だった。
「あれ?」
と、葉月は首を傾げた。
「どうかしたの?」
何か腑に落ちていない葉月を見ながら市宮は尋ねる。
「学校の噂って、だいたい七つだよね?」
葉月にそう言われ、市宮と前野は互いを見やった。
「ねぇ、他に何か知らないの?」
「知らねぇよ? 俺も聞いたことある噂は全部言ったぜ?」
「でも、たしかに学校の怖い噂って、だいたい七つなんだけど……」
「それになんか一つ忘れてない?」
葉月がそう云うや、市宮と前野が「どういうやつ?」
と尋ねた。
「ほら、学校の怖い噂で、一番多い話――」
そう葉月が云うや、突然市宮が俯いた。
その仕草に、葉月と前野は首を傾げる。
「どうかしたのか? 市宮……」
前野がそう尋ねると、市宮は上目遣いで睨みつけた。
「あ、もしかして……」
と葉月が途中まで言うと、「でも、さっき一周したけど、入れる場所なかっただろ?」
前野も市宮がどうしたのか気が付いた。
「壊してでもする!」
「そこで出来ねぇのかよ?」
「――出来るかぁっ!」
前野の一言にツッコミを入れる。
市宮の表情はトイレを我慢しているせいもあり、強ばっていた。
「美耶ちゃんの云う通りにしよ。トイレを探して――」
そう葉月が云った時だった。
葉月の目の前に女の子がスーと現れ、曲がり角の先を指差している。
その女の子が、昼休みが終わる頃に見た女の子だと葉月は気付く。
(むこうに何かあるの?)
そう尋ねようとしたが、視野に入っているはずである前野がそれに気付いていない。
つまり、自分にしか見えていないことを葉月は理解した。
「美耶ちゃん。まだ見てないところがあるかもしれない。そこ行ってみよ?」
葉月はそう云いながら、先ほど女の子が指差した方へと、市宮と前野を案内した。
――女の子が指差した方にドアがないトイレがある。
長年使用されていなかったせいもあり、異臭を放っていた。
「うげぇ、すんげぇきもちわりぃ」
前野が鼻を抑える。葉月と市宮も同様だった。
「こんなところしかないんだね?」
と市宮は葉月を見やるが、せっかく見つけてもらったこともあり、文句は言えない。
それどころか、そろそろ我慢の限界でもあった。
背に腹は変えられないと、市宮は葉月と一緒にトイレの中へと入り、個室の前で葉月を立たせ、市宮は用を足しはじめた。
「――葉月ちゃんいる?」
「いるよー」
「――前野くんは?」
「いるぞー」
一人になった心細さもあるせいか、すぐ近くにいるというのに、市宮は五秒に一度は誰かいるかの確認を取っている。
市宮が用を済ませ、下ろしていたショーツを上げようとした時だった。
「あれ?」
と便器の中に何かが落ちているのに気付くや――――
――いぃやああああああああああああああああああっ!!――
突然、甲高い声が聞こえ、近くにいた葉月は耳を塞ぐ。
「美耶ちゃん、どうしたの?」
葉月は個室のドアを開け、中を覗いた。
トイレの中には尻餅をついている市宮が、ガクガクと体を震わせ、視点を合わせようとしない。
「美耶ちゃん、どうしたの?」
もう一度声をかけると、市宮は葉月を見やった。
「は、はははは……葉月……ちゃ、葉月ちゃん?」
何か怖いものを見たのか、市宮は呂律が回っていない。
「どうした? 何かあったのか?」
廊下の方にいた前野が心配になって、葉月と市宮のところへと駆け寄ってくる。
「ま、ままままま……前野……くぅんぅっ!」
市宮が前野を見やる。
そして……市宮は便器の中を指差すと同時に、トイレの電球が点り始めた。
「ど、どういうこと? だってここ使ってないんじゃ?」
葉月がそう市宮と前野に尋ねるが、訊いたところで二人が知っているはずもない。
「それにしても、美耶ちゃんが見たのって……」
葉月はなおもそれを指差している市宮を一瞥し、そのまま指さした方を見た。
「――んぐぅっ!」
それを見るや、葉月は込み上げてきた胃液を押さえ込むように口を抑えた。
「んだよ? 黒川まで、一体何が……」
前野は何があるのかと便器の中を覗くや、「うげぇええええええっ」
その場に跪き、胃液を吐き零した。
便器の中に放置されていたのは……髪の長い女の子の死体だった。
それが無造作に捨てられていて、便器の中に捨てるため、細かくしようとしたのか、関節がありえない方向に折り畳まれている。
長髪がうじゃうじゃと顔にまとわりついており、しっかりと見えるわけではないが、顔がグチャグチャで血塗れになっていることだけは確認できた。
その周りには、腐ったものを餌とする蝿が集っている。
葉月は心を落ち着かせ、冷静になって死体を見るや、違和感を感じた。
(――白骨化してない? それに……まだ殺されてそんなに経ってないんじゃ?)
もし使われなくなった時のものだったとすれば、すでに白骨死体になっている。
しかし、生身の躰のままだとすると、そう昔ではないことになる。
「は、早く出ようぜ?」
前野がそう言うと葉月は頷き、腰を抜かしている市宮を、前野と二人で廊下へと運んだ。