参・跫音
旧校舎の側面にある壁両方には小さなドアがある。
その横に窓があり、そこが割られていたため、先ほど葉月たちが聞いた音は、窓が割れた音だったと知る。
「ねぇ? これって……足跡じゃない?」
市宮が地面を指差しながら、葉月たちに言った。
窓の下は先日の雨で泥濘んだ跡があり、そこに足跡がつけられている。
「誰かが旧校舎に入っていったのかな?」
前野がそう言うが、葉月は何か可笑しいと泥濘を見ていた。
「黒川、どうかしたのか?」
大山にそう言われ、葉月は大山の足元を指差した。
「俺の足がどうかしたのか?」
「ううん。雨が降ったのって、今日の朝までだったよね? それだともう地面が乾いてて泥濘なんて出来ないはずだよ?」
そう葉月が説明すると、市宮が確認するように泥濘に触れた。
「乾いてる……」
「ってことは、この足跡は雨が降っていた時に付いたってことか?」
しかしそうだとすれば、葉月たちが聞いた音はなんだったのかということになる。
「ま、まさか……幽霊の仕業?」
前野が青冷めた表情で云う。
「旧校舎の中だったりしてな?」
大山がそう云うが、火に油を注ぐようなものである。
前野が先程よりも酷い悲鳴を挙げた。
「大山くんの云う通りかもしれない」
「ちょっと待てよ? 黒川までそんなこと言うのかよ?」
と、前野にそう云われるが、葉月は首を横に振った。
「そうじゃないよ。靴の跡があるってことは、少なくとも、旧校舎に誰かが入ろうとしていた。それに靴先が校舎の方を向いていて、その逆を向いたのがない」
葉月に云われ、三人は泥濘を見た。
その言葉通り、自分たちの方を向いた足跡がなければ、周りに足跡すらない。
「それじゃ……やっぱり誰かが校舎にいるってこと?」
市宮がそう云うや、葉月は小さく頷いた。
「窓を割って、鍵を開けたんだと思う」
話を聞いていた大山が目を輝かせる。
葉月と市宮はそれを見るや呆れた表情を浮かべた。
「ねぇ、本当はどうなの? 旧校舎にいる幽霊の仕業とかじゃないの?」
そう市宮は葉月に耳打ちをする。
彼女は葉月が自分とは違う何かが視えていることを、幼稚園の頃から知っていた。
「ううん。みんな不思議そうな顔してる。それに、もし彼らの仕業だったら、私たちを近付けないためにもっと怖いことしてるだろうし」
葉月は一度、旧校舎にいる幽霊たちに悪戯をされたことがあった。
幽霊たちは自分たちが見えていないと思ってのことであったが、葉月は最初から最後まで、視えていたことを黙ったまま、態とはまってやっていた。
その悪戯というのが、急に足元を掬われて転ばされたり、耳元で冷たい息を吐かれたり、後ろから押されたりなどである。
「おい二人とも、何話してるんだよ?」
前野に声をかけられ、葉月と市宮はそちらを見やるや、大山の姿がどこにも見当たらないことに気付く。
「あれ? 大山くんは?」
葉月がそう尋ねると、前野は溜息を吐いた。
「あいつ…… 旧校舎に入ってった」
葉月と市宮がその言葉を理解するのに数秒ほど掛かった。
「ただいま……」
皐月が学校から帰ってくるや、居間の方から阿弥陀警部と大宮巡査が出迎えるように出てくる。
「あれ、阿弥陀警部に大宮巡査? なんか事件でもあったんですか?」
皐月がそう尋ねるや、大宮巡査が答えるように頷いた。
「ああ、皐月おかえり。葉月と一緒じゃないの?」
二階から降りてきた弥生にそう尋ねられたが、皐月は首を横に振った。
「ううん。一緒じゃないけど――遊びに行ったんじゃないの?」
「それが……爺様や、うちの神社で働いている職員巫女の人たちにも訊いたんだけど、誰も葉月が家に帰ってきたのを見てないって」
皐月は手首に着けている腕時計を見た。――時刻は午後六時になろうとしている。
「葉月って遊びに行く行かない関係なしに、一回帰ってきて、宿題してから出かけるよね?」
「だから、こうやって心配してるんでしょ? 遊火にもお願いして探してもらってる」
そんな話を聞いている中、皐月は玄関に見覚えのない靴があることに気付いた。
「阿弥陀警部と大宮巡査以外に誰か来てるの?」
「ええ。ちょっと葉月さんに霊視してもらおうと思いましてね」
阿弥陀警部がそう言うと、皐月は首を傾げた。
(――西戸崎刑事?)
居間から出てきた西戸崎刑事に皐月は驚きを隠せないでいた。
(あれ? でも、どうして西戸崎刑事が? たしか浅葱の力で記憶を消去していたはずなんだけど)
皐月は弥生に目をやったが、弥生もどうしてうちに来たのかという感じである。
「ここに不思議な力を持ってるってのがいるって聞いてなぁ。阿弥陀に紹介されたんだよ」
西戸崎刑事がそう説明する。それを聞くや、以前自分たちに会っていたことに関しての記憶は消えていることがわかるや、皐月と弥生は阿弥陀警部を睨んだ。
「あ、ははは……まぁ、まだ死んだとは決まってないんですけどね?」
阿弥陀警部が不謹慎なことを云うや、西戸崎刑事が胸倉を掴んだ。
「や、やめてください二人とも」
その二人を大宮巡査が止めに入った。
「誘拐事件? それって、この前起きたやつですか?」
弥生が居間にお茶を持ってきて、全員に渡しながら、阿弥陀警部に尋ねた。
「察しの通り、先日起きたやつです。被害者は新村結華さん、七歳。小学二年生……。母親とおもちゃを買う約束をし、おもちゃ屋の前で待っていたところを誘拐された」
阿弥陀警部が手にもっている手帳を読みながら件の詳細を伝える。
「でも、誘拐だと――」
皐月がそう言おうとするが、言葉を止めた。
「実は、誘拐された日の夜。被害者宅の郵便受けに泥が付いた靴が封筒に入れられた状態で投函されていたそうです。その靴が結華さんのものだと親御さんから証言があったようです」
実際は阿弥陀警部ではなく西戸崎刑事が事件を担当しており、詳しい話はあまり聞いていない。
「土の成分は調べたのか?」
拓蔵がそう訊くと、大宮巡査がそれに答えた。
「靴に付着した泥を分析したところ、特殊な肥料と木片が付着していました」
「肥料と木片?」
皐月が鸚鵡返しするように聞き返す。
「肥料は特別なもので、オーダーメイドだそうです。製造しているところはまだわかりませんが、おそらく福祠小学校で使用しているものだと――」
『ちょ、ちょっと待って? それって……』
皐月と弥生が同時に同じことを言った。
「ええ。お二人が気付いた通り、福祠小は葉月さんが通っている学校です――」
「でも、そうだったとして、学校に犯人がいるとは……」
弥生は拓蔵を見遣った。
「そう言えば、爺様って、暇なときは庭いじりしてるよね?」
弥生はその後に(いつも暇そうだけど)とは云わず、心の中で呟いた。
「ああ。肥料と木片はよく使うが、木片はウッドチップといってな、土壌に混ぜる時は、よく腐熟させてから使うんじゃよ」
「ええ。ですが、発見された靴に付着していた木片は腐ってはいなかった」
そうなると、肥料用と一緒に付着したか、その近くに細かい木片が散らばっていたかである。
「なぁ、阿弥陀。本当に大丈夫なのか?」
西戸崎刑事が阿弥陀警部に尋ねる。
「ええ。大丈夫ですよ。ただ、最悪な方も視野に入れといたほうがいいかもしれませんけどね」
阿弥陀警部が釘を刺すと、西戸崎刑事は皐月と弥生、拓蔵を見やった。
「阿弥陀警部、あんたの口調からして、電話は来てないということじゃな?」
拓蔵にそう言われ、阿弥陀警部は分が悪そうな表情を浮かべた。
「誘拐事件なら身代金欲しさに電話するじゃろうが、犯人は突発的にやっている。誘拐はその連絡先を知っているということになるが……」
拓蔵も阿弥陀警部が考えている最悪の方を想像していた。
「もし誘拐だけなら――犯人は電話をするでしょ。非常用に連絡先を書いてますからね。名札の裏とかに…… ですが、誘拐されて三日ほど経ってもその連絡がない」
大宮巡査がそう言うと、拓蔵は少しばかり考え込んだ。
「泥は葉月が通っている学校が使用している肥料が混ざった土じゃったな……仮にそうだったとして、どうして犯人は靴なんかを被害者宅の郵便受けに入れたんじゃ?」
確かに奇妙である。
いくら誘拐したことを証明するものだったとしても、それを入れ、泥の成分等を調べられれば、自分の居場所や、少女を何処に連れ回しているのかがわかってしまう。
いうなれば、自分で自分の首を絞めているようなものだ。
「それがどうかしたんですか?」
と、西戸崎刑事が尋ねる。
「いや、ちょっとあの学校の七不思議を思い出したんでな」
それを聞くや、警官たちは首を傾げた。
「皐月、遊火が戻ってきたら、葉月を探しに行ってくれんかの?」
そう云われ、皐月は頷いた。
――それと同時くらいに遊火が帰ってくる。
葉月の行きそうな場所全てを探したが、見付からなかったと、遊火は弥生と拓蔵に伝えた。