肆・明星
皐月と弥生が大宮と瀧瀬晋平に案内され、コテージの中を見渡していた時だった。
突然犬の鳴き声が聞こえ、弥生と大宮はそちらを見やったが、耳があまり聞こえない皐月はワンテンポ遅れて反応する。
「あら、あなたは驚かないのかしら?」
犬を抱えている女性が奥の部屋から出てくる。
「ははは……妻の愛美じゃ」
と、瀧瀬晋平が紹介するや、瀧瀬愛美は皐月と弥生に会釈する。二人も慌てて返した。
「あなたたちが大宮巡査の云っていた子ね?」
そう瀧瀬愛美が話した時だった。
抱えていた犬が突然暴れ出し、腕から飛び出してしまった。
そして皐月と弥生の周りをグルグルと廻りだす。
「この子が遺体の第一発見者ってことになるんですか?」
皐月が中腰になり、犬を触ろうとした時だった。
「トーマッ! トーマッ!」
外の方から女の子の声が聞こえるや、犬は皐月の手を素通りし、ドアの方へと駆けていくと吠えた。
「あ、家の中にいた。駄目だよ勝手に居なくなったら」
そうコテージの中に入ってきた女の子が犬を抱えながら叱っているが、当の本人は尻尾を左右に振っており、どう見ても反省しているようには見えない。
「あれ、お客さん?」
女の子が皐月と弥生を見ながら瀧瀬愛美に尋ねる。
「彼女がオーナーの孫である希空さん」
大宮が弥生と皐月に耳打ちをする。
「その子、トーマって云うんだ?」
「うん」
瀧原希空の様子に皐月は首を傾げた。
(大宮巡査、この子もしかして……)
皐月はその違和感を隣にいた大宮に尋ねた。
瀧原希空は皐月たちの方を見ている。
(ああ、察しの通り……彼女は目が見えてない)
そう大宮は云った。
瀧原希空は皐月たちを見ているが、話している人間の方を見ていない。
今でも声の主がどこにいるのか、首を動かして探している。
「でも、さっきトーマだっけ? 犬の方は見てたじゃないの?」
「声が聞こえてればそっちに振り向くでしょ? さっきの弥生姉さんと大宮巡査みたいに」
云われてみればたしかにと、弥生と大宮は納得する。
見えていようがいまいが、耳が聞こえているのなら声がする方に向くものである。
「希空、今は警察の人がいるんだから部屋で大人しくしてなさい」
瀧瀬晋平にそう云われ、瀧原希空は犬を片手に抱え、壁に触れながら階段を上っていく。
そんな希空を見ていた皐月がぼんやりしていたのを気になったのか、大宮が声をかけた。
「いや……多分気のせいだと思う」
「気のせいって、何かあの子から感じたの?」
弥生にもそう訊かれたが、皐月は答えなかった。
(あの子……一瞬だったけど、段差を一つ抜かしてた)
目が悪いのならば、安全のために段差一つ一つ確認するのだが、希空はそれを一つ抜かして上がっていたことに皐月は違和感を感じていた。
コテージで働いているメイドから自分たちが泊まる部屋へと案内された皐月と弥生は、それぞれのバックをベッドの上に置いた。
そして居なくなった事を確認するやドアを閉め、窓を開けると弥生は遊火を呼んだ。
窓に掛かっているカーテンが拳大ぐらいの大きさに凹んだのを見て、皐月は遊火が入ってきた事を認識する。
「弥生さまと皐月さまが歩いていた山道以外にきちんとした道はありませんでした。また遺体が発見された場所は竹林の中で、人が通れる道幅はありましたがそちらは険しい獣道になっています」
遊火は弥生に頼まれていたコテージの周りを調べていた事の報告を弥生に伝え、それを遊火の声が聞こえない皐月に弥生が伝える。
皐月は遊火の気配は感じる事は出来ても、声が聞こえなければ、姿を見る事も出来ない。
「それと第一発見者となっているのは、孫の希空だそうです」
そう云われ、弥生は皐月を見た。
先ほど皐月が希空に関して違和感を持っていたことを思い出したのだ。
「弥生姉さん、今回の事件……もしかすると希空って子が絡んでるのかもしれない」
「どういうことですか?」
と遊火が尋ねるが、訊いたところで皐月には声が聞こえていない。代わりに弥生が尋ねた。
「第一に遺体が発見された場所は竹林で、それこそ獣道だったのよね? そんなところを目が見えないあの子が近付くと思う?」
「言われてみれば……ここに住んでいたのならうっすらと地形は覚えているだろうけど、危険な場所に自分から入るとは思えない」
「さっきもトーマがドアの方に吠えてから、瀧原希空はドアを開けた。それからすぐにトーマを抱えていた」
その言葉に弥生は皐月が感じていた違和感がなんなのかに気付いた。
「可笑しいわよね? 目が見えてないなら、それに触れるまで手探りするはずじゃない?」
あの時、弥生も一緒にいたため覚えていた。
瀧瀬希空はコテージに入ってくるや、吠えていた犬をすぐに抱きかかえていたのだ。
「声が聞こえたからといって、場所がわかってもその位置まではわからないでしょ?」
「でも……どうしてそんな嘘を?」
と遊火の言葉を弥生が代弁する。
「もしかしたら……もしかしたらだけど、何かを隠してるんじゃないかなって」
「――何かを?」
と弥生と遊火は首を傾げた。
皐月がその次を言おうとした時、廊下側から部屋のドアを叩く音がした。
「二人とも……ちょっといいかな?」
声の主は大宮だった。
弥生がドアを開けると、ドアの隙間から黒い何かが入ってきた。
「っ!!」
遊火が驚き、それを見ないようにしている。
「あ、そういえば遊火って犬が駄目なんだっけ?」
弥生が呆れた声でいうが、遊火はそれどころではない。
「ちょっと! 弥生さまぁっ! 助けてくだしゃいぃ……」
泣きじゃくりながら、遊火は助けを請う。
入ってきたトーマは“何もないところ”を向いており、舌をだらしなく出しながら、尻尾を振っている。
特別吠えるわけでもなく、ジッとその虚空を眺めているのだ。
(――もしかして、遊火が見えてる?)
本来妖怪である遊火はふつう見えるものではないが、稀に人間が持たない不思議な力を逆に動物が持っている場合がある。
皐月はトーマを背後から抱えた。特別暴れるわけでもないが、一瞬だけ舌を伸ばした。
「ひぃっ!」と、遊火が小さく悲鳴をあげたが、実体がないため舌はそのまま頬を通り抜けた。
そのため、当てた感触がなかったのか、トーマは少しばかり不思議そうな声をあげた。