弐・三悪道
三悪道;仏教用語の1つ。六道のうち、地獄道、餓鬼道、畜生道の3つの世界のこと。三悪趣。三趣。悪行を重ねた人間が死後に行く世界だとされる。
「何も聞こえない?」
と、大宮は驚いた表情で葉月に尋ねた。
葉月の手元には身元不明の白骨死体が写し出された写真がある。
何度か声を聞こうと試みてはいるのだが、まったくもって聞こえないと葉月は皆に説明する。
「湖西主任に検死結果を聞いてはおるんじゃろ?」
「ええ。遺体は恐らく四年前のものではないかという見解だそうです」
「行方不明者……という可能性は?」
「一応、その線でも調べていますが、行方不明届けがあったとしても……」
阿弥陀警部が言葉を止めた。
「別にいいじゃろ? わしが警察におった時、それが一番の蟠りだったからのう」
拓蔵がカップ酒を一口飲むやそう云った。
遺族が警察に行方不明届けを出したからといって、すぐに見つかるものではない。
それどころか優先順位ははっきり言って下の下である。
行方不明。強いては家出とほかならないからだ。
事件に巻き込まれての行方不明ならばまだしも、そういう雰囲気でなければ優先順位はないに等しい。
届けを出した遺族にとっては信じ難いものであるが、現実とはそういうものである。
写真に写っている白骨死体の身元がわからない以上、行方不明届けを出されているのかすらわからない。
そしてそれを判断するDNA鑑定の結果はまだ出ていなかった。
「発見者は? 見たところ山の中みたいですけど」
「皐月ちゃんの言う通り、遺体が発見されたのは山の中。近くでコテージを所有している人の飼い犬が見つけたそうだよ」
「……犬?」
皐月は小さくそう呟いた。
別に犬が骨の臭いに嗅ぎ付けて、地面を掘り起こしたのならば、別に可笑しなところはない。しかしどうも犬という部分が引っかかっていた。
「でも可笑しなところがあるんだよね」
大宮がそう言うと、「可笑しなところって?」
と、葉月が尋ねた。
葉月は霊視をした後、疲れてしまい眠りこけてしまうのだが、疲れを見せないところから見て、まったく力を使っていない。
霊視はあくまで霊魂を感じることなので、感じなければその力が消費されることがない。
「いやね、その飼い犬は普段敷地内で放し飼いにしていてるんだけど……発見される前、部分的な土砂降りがあったらしくて足場は最悪だったそうなんだよ」
「たしかに可笑しいですね。いくら人間よりも嗅覚が発達している犬だからって、ピンポイントに死体を発見できるなんて」
弥生がそう云いながら、皐月を見やった。
皐月は少し怪訝な顔を浮かべている。
「ふたりとも、どうかしたのかい?」
大宮はそんな弥生と皐月を見ながら声をかけるが、二人はその問いに答えなかった。
「阿弥陀警部? あんたら警察は現場に行っとるんじゃよな?」
「ええ、一応通報を受けましたからね。それが何か?」
「そのコテージに住んでいる人間の身元や近辺は調べておるんじゃろ?」
そう訊かれ、阿弥陀警部は頷くと、三枚の写真を見せた。
「コテージのオーナーである瀧瀬晋平、六五歳。その妻である愛美、六三歳。そして、その孫である希空、十三歳の三人です」
「――それだけですか?」
弥生がそう聞き返す。オーナーである瀧瀬夫婦ならまだ分かるのだが、その孫である希空の両親がいないことに違和感があった。
「瀧原希空の両親ですが、長期の海外出張しているそうなんですよ……愛娘を祖父のもとに置いてね」
「一体何の仕事を?」
皐月がそう訊くと、「二人とも外資系の仕事をしている」
と、大宮が答えた。
「葉月さんの様子から見て、今回は貴方達の力を借りなくてもいいみたいですね。妖怪とかそういう類のものではないようですし」
阿弥陀警部がそう云うや、居間を出ていった。
それを葉月がジッと見つめているのを大宮は気にかけ、問いかける。
「今日の阿弥陀警部、何か焦ってない?」
それに関しては弥生と皐月、拓蔵も薄々とだが感付いていた。
最初に割愛したが、阿弥陀警部と大宮巡が稲妻神社に訪れ、葉月に霊視をお願いしてから小一時間以上は経っている。
声が聞こえていたのならば、そのままのことを伝えるのが葉月の役目であるのだが、その声が聞こえないのではどうすることも出来ない。
だからこそ葉月は何度も声を聴こうとしていたのだ。
「大宮くん。その瀧瀬夫婦は何をしておるのかは調べておるんじゃろ?」
「え、ええ。コテージ……強いていえば別荘のオーナー。どうやら大会社の社長だったそうですが、引退して後世を静かなところで満喫しているそうです」
大会社の社長ともなれば、別荘の一つや二つ持っていても可笑しくはないだろうと拓蔵は言葉を続けた。
「だけど、その山自体もオーナーの所有物なんですよね?」
「何か腑に落ちない事でもあるんですか?」
「いやね? 自分の敷地の中で人間の白骨死体が発見されたとしたら、そりゃ驚くだろうし、警察に通報だってする」
「まぁ、それが普通だと思いますし、極当たり前だと思いますけど?」
「そうじゃなくて、自分の家に死体が……ましてや人間の白骨死体が発見されたんじゃ、それを隠すのが道理じゃないかな? 世間体とかを気にしてさ?」
云われてみれば、犬や猫といったペットの死体ではない。
ペットの死体ならば、埋めて埋葬することなどままあるため、可笑しな点ではないのだ。
日本の法律に『墓地埋葬法』というものがあり“墓地、納骨、または火葬場の管理及び埋葬などが、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的とする”というものである。
勿論この法律は死亡届を役所に届け、死体を火葬、埋葬などを済ませるものに適合される。
しかしそれはあくまで身元が分かっているものに限られる。
今回の件は『地中に埋められていた、人間の白骨死体が発見された』ことが発端である。
「皐月ちゃん、それと弥生さん……もしふたりがよろしければコテージに来てみませんか?」
そう云われ、いわれた二人は目を丸くした。
「いや、皆さん納得できない様子ですし、どうせだったら現場に来てもらったほうがいいんじゃないかなって」
大宮はそう言うが、階級の低い巡査でしかない大宮に、そのような権限はない。
「でも、何も声が聞こえなかった……」
葉月が申し訳なさそうに言うが、大宮はそうじゃないと説明する。
「葉月ちゃんの力は“霊の声を聞いてあげること”だよね? その場で死んだ霊体ってのは成仏されない以上、その場に留まるものだって聞いたけど?」
そう云われ、葉月はハッとする。
成仏とは、仏がこの世に未練を亡くす事を意味する。
が、果たして地中に埋められた白骨死体が未練なくこの世を去るだろうか?
「――誰かが私たちより先に成仏させた?」
「それは僕にはわからない。だけど、君たちの力を信じているからこそ、弥生さんと皐月ちゃんのふたりに現場で確認してほしいんだ」
大宮は拓蔵を見遣った。その表情は何か決意あるものだった。