漆・手紙
「皐月、あんたに手紙届いてるわよ?」
学校から帰ってきた皐月に弥生が大声でそう言った。
「弥生お姉ちゃん、ちょっと――」
うるさいと言おうとしたが葉月は言葉を止めた。皐月は若干ではあるが耳が悪い。だからこそ居間の方から玄関に声をかける時、普通の声では聞こえないのだ。
「あ、手紙は部屋に置いてあるから」
そう云われ、皐月はそのまま自分の部屋へと入っていった。
机を見やるや、その上に封筒が置かれている。
それを手に取り、消印と送り主が書かれていないことに違和感を感じたが、宛名が皐月となっている。
意を決して、皐月は封筒を開けようとした時だった。
「あれ? このシールって……」
封を閉じる部分にくまのシールが貼られている。皐月は少しばかり思い出すや、半ば乱暴に封を切った。
「そうか、ずっと待ってたんだ。……だけど、笹川直介は姿を現さなかった」
皐月は手紙を何度も読み直した。
手紙にはこう記されている。
『拝啓、黒川皐月様。
貴方のことは前々から存じておりました。
いえ、この手紙を書いている本人はあなたの事を知りません。
ですが、閻魔様に私のような妖怪が悪いことをすれば罰するよう命をうけていることは知っております。
あの日、図書館であなたが私を見かけたその日、彼女はずっと手紙を送っていた笹川直介と初めて直接会える約束をしたんです。
ですが、笹川直介との待ち合わせである朝十一時を過ぎても来ず、また緊張していたこともあり、頭を冷やそうと図書室に入りました。
その時に私はずっとあの本を読んでいました。
他愛もない恋愛小説でしたが、文の妖である私としては、大変面白いものでした。
稚拙なものでしたが心温まるものでしたよ。
それと、この子が犯した罪は罰せられなければいけません。
だけど、この子は自らの意思で人を殺しました。それは何用にも変えられないただ一つの真実です。だけど、自分がせっかく作ったものを目の前で捨てられたら……』
今まで丁寧だった字が、途端乱暴になっていく。
『彼女がせっかく一生懸命作ったバレンタインデーのチョコを何の躊躇いもなくゴミ箱に捨てたのです。
いいえ、笹川直介は他にも色々な子からもらっておりましたが、彼女らのも同様でした。
一緒に容疑にかけられておりました媛坂円香が送ったものも同様の扱い。
でも、彼女を絶望させたのはそれにございません。
笹川直介は彼女の目の前で、お弁当箱を溝に捨てたのです。
それが彼女の犯行理由。姫坂円香との共犯でなくとも、いつの日か彼女は笹川直介を殺していたでしょう』
手紙はそこで終わっていた。
「結局、聞けずじまいか――」
皐月は蒲団の上に寝転がり、先日拓蔵に言われたことを思い出した。
「でも、聞くまでもないか……私だってメールでもらうより、遠回しでも手紙をもらったほうが嬉しいしね」
皐月は手紙の主が何なのかに気付いた。
送り主の正体は文車妖妃という妖怪である。
そして彼女に文車妖妃が取り憑いていたことも手紙の内容を見れば納得が出来る。
江戸時代の怪談集に『諸国百物語』というものがある。
その中の話に、ある寺の稚児が恋文を受け取り、それを捨てていたところ、恋文に込められた執念が鬼と化して人を襲ったという話があるが、同様に手紙の執念が妖怪化したものが文車妖妃ともいわれている。――手紙の内容がこれと似ているのだ。
事件解決後、一応分かったこととして、阿弥陀警部からの報せで、剃刀やカッターの刃が入った手紙を送っていたのはほとんど姫坂円香で、河瀬瞳美だけはずっと丁寧に手紙を送っていた。
だが返事をもらえないことや、目の前で捨てられたことを根にもっていたことはたしかで、ほとんど食べ物の話になっていたのだ。
相手がどんなものが好きか、何が嫌いなのか、ただそれだけが聞きたかっただけだった。
皐月は起き上がり、部屋を出ていったが、一、二分ほどで戻ってきた。手には長短二本の竹刀を持っている。
「いつのもの癖で竹刀持って来ちゃった――」
皐月は机の横に二本の竹刀を掛けかけた。
気を取り直して、皐月は手紙を床に置くや、
「閻獄第一条二項において、人に取り憑き、その身で他人を刺殺したものは『等活地獄・刀輪処』へと連行する」
そう告げるや、どこかから御札が現れ、手紙に貼り付いた。
そして、青白い炎と共に消えた。
「本人にはこっちの世界で罪を償ってもらいましょ? 大丈夫よ。あなたが私に手紙を送ったんだから」
皐月はそう云うや、少しばかり背伸びをし、机へと向かった。
そして引き出しから便箋を取り出し、手紙を綴った。
それは誰に当てたものなのかは決めていなかったが、少なくとも文車妖妃に対しての感謝の礼文であった。
第六話終了です。因みに手紙は脱衣婆にお願いして、渡してもらってます。