伍・痴話
「大丈夫なんですか? まだ病み上がりじゃ」
大宮がそう云うが、葉月は小さく笑った。
そして目を閉じ、一、二度深呼吸するや、被害者の写った写真に手を乗せ、ゆっくりと摩った。
「喧嘩してる……」
その言葉に阿弥陀警部と大宮は驚いた声を挙げた。
「女の人が一方的に言ってて、男の人は何も言おうとしない。むしろ早く寝かせてくれって言ってる感じ」
「どういうことですかな? だって喧嘩していたということは車両に乗っていたほかの乗客が気にしないわけが……」
言葉を止め、阿弥陀警部は苦々しい表情を浮かべた。
乗客の誰一人それに気にかけなかったのは、被害者と同様だったからである。
他人事はあくまで他人事。自分のこと以外に関心はない。
だからこそ誰一人気にも留めなかったということになる。
「それから……あれ?」
葉月は声を聞くことに集中したが、何も聞こえなくなったと皆に伝えた。
「――意識が途中でなくなった?」
皐月がそう訊くや、葉月は頷いた。死ぬより前に意識がなくなったということは眠った状態で殺されたということになる。
人間たとえ生きていても、寝ているとなれば意識は闇の中である。
たとえるなら、起きたり起こされたりというのは、その闇からこちらへと意識が連れ戻されるということである。
「それで媛坂円香、河瀬瞳美のどちらかわかりますか?」
そう訊かれ、葉月は頭を振った。声は聞こえても姿までは見えない。
「ただ女の人は声を嗄らしてた」
「余程大きな声で喧嘩してたんでしょうな」
そう頭で整理する阿弥陀警部を尻目に、葉月は薄れる意識の中、もう一度写真の霊視をする。
「どうかしたのかい?」
「さっき女の人がもう一人いたような気がしたから――」
そう云うや、葉月は写真の上に掌を乗せた。
――が、十秒もしないうちに卓袱台の上に凭れ倒れた。
大宮が驚いて、葉月の様子を見るが、葉月は寝息を立てていた。
「大宮くん、さっき葉月さんが云ってた言葉……」
「もう一人いた……と云ってましたね」
「その、疑いがある女性二人と被害者は同じ大学という以外に接点はないんですか?」
弥生にそう訊ねられ、大宮は特に接点というものはないと説明した。
被害者である笹川直介の家を捜索していた時だった。
机の下にゴミ箱があり、その中に大量の封書が無造作に捨てられている。
一人暮らしということもあってか、携帯料金の他に電気代・ガス代・水道代など、支払いを済ませ必要なくなった請求書が入れられている。
「おや?」
と阿弥陀警部はゴミ箱を漁り、一通の封筒を取り出した。
「手紙……みたいですね」
そう誰に聞いているわけでもなく言った。
「中身は確認しないんですか?」
「いや、したいのは山々なんですけど、人としてプライペートに関わることはあまりねぇ? それに破れてますけど、結構可愛らしいシールで封を閉じてありますね」
阿弥陀警部はそう云いながら封筒の裏を見せた。
たしかに破れてはいるが、可愛らしいクマやハートのシールが貼られている。
「えっと……あれ? 媛坂円香?」
手紙の送り主を確認すると、疑いが掛けられている姫坂円香が被害者に送ったものだった。
「警部、こちらには河瀬瞳美が送った封書が」
警官の一人がゴミ箱の中身を整理していた際に見つける。
それらは消印がほとんど交互に一日おきとなっていた。
「ラブレターですかね?」
「さぁ、中身はまだ確認してませんから、まだなんとも……」
それにしても古風な方法だと阿弥陀警部は思った。
中身を確認してみると、ラブレターのような文章が書かれていた。
それこそ付き合ってくださいというものではなかったが、近況報告といった感じである。
「なんか昔の人が恋人に送るような感じですね?」
しかし妙である。一応被害者や、疑いのある二人を知っている学生に訊ねたが付き合っていたどころか接点すらない。
彼らが知らないだけのかというとそうでもない。
そもそもその三人は別々の学校から大学入学している。
つまりどこかで会っていたというわけでもない。