壱・恋文
「えっと……、和訳文が『私たちはバレーボールをして楽しんだ』だから、“We enjoyed (playing) volleyball."っと」
物静かな図書室の中、ノートの上にシャーペンのシンを走らせる音が小さく響きわたっている。
日曜日の昼下がり、皐月は友人二人と週末に出された宿題を済ませている最中だった。一人は飯塚萌音、もう一人は大野まどかである。
稲妻神社では、拓蔵の知り合いである、百姓の娘夫婦の神前結婚式が行なわれており、拓蔵は神への祝詞を謳い、弥生は新郎新婦への御神酒を捧げる巫女としてそれに参加している。葉月はその会場の隅っこで大人しくしていた。
普通ならば三、四十分くらいで式は終わるのだが、そこはやはり蟒蛇である拓蔵の知り合いである。
式が終わったら終わったで、他に予定もないしと祝賀会を始めてしまったと、先ほど弥生からのメールで知った。
「それで弥生さんなんて?」
「結納を済ませた途端、新婦側の親族が持参してきた酒で宴会してるって」
まどかの問いに、皐月は呆れた表情で云う。
「弥生さんと葉月ちゃん大丈夫かしらね?」
「二人ともしっかりしてるから大丈夫でしょ」
「皐月は……、宿題残ってたから参加しなかったんだっけ?」
それもあるのだが、結婚式を行なった娘の家が酒蔵であることを三姉妹は知っていた。
そして拓蔵が二つ返事で神前結婚式を了承したのは、酒が飲みたいだけだと勘付いていた。
「まぁ、爺様も少しばかり手加減するでしょ?」
そう言いながら皐月は席を外した。
「どこ行くの?」
「ん? ちょっとトイレ――」
そう伝えるや、皐月は図書室を出た。
ものの五分もしない内に用を済ませ、皐月は友人のところへと戻ろうとした時だった。
ラウンジに髪の長い女性が立っており、ジッと電子掲示板を眺めている。
施設は図書室の他に、会議室や大小のホール、楽器の練習ブースなどといった総合貸スペースがあり、電子掲示板にはその部屋が使用中か否かと使用時間が掲示されている。
女性は手紙のようなものをジッと見つめると同時に、自分の腕時計と掲示板を交互に見やっている。
一、二分ほど女性を観察していると、女性はその場を立ち去って行き、図書室の方へと入っていった。
少しばかり首を傾げながら、皐月は友人たちのもとへと戻った。
「遅いよ?」
遅いと言われても、十分も経っていない。
「んじゃ、続きしよ……って、あれ?」
まどかが鞄の中を探りながら、不満そうな表情を浮かべた。
「どうかした?」
「いや、数学のノートはあるんだけど、教科書忘れてるみたいなのよ?」
まどかが鞄をひっくり返すかのように中を探っている。
「宿題どこだったっけ?」と尋ねながら、
「たしか一次関数だったと思うけど。あ、やっぱり私も忘れてるわ」
と、萌音も同様に鞄の中を探る。
友人二人がそう言っている間、「教科書に書いてるやつは帰ってやることにして、解き方くらい参考書見て覚えよう」
皐月は席を外し、数学の参考書が置かれている本棚の方へと向かった。つまり皐月も教科書を忘れているのだ。
そもそも急に勉強会を始めることにしたので忘れ物が結構多い。
まぁ図書館にしたのは教科書が無くても、参考書があるので大丈夫だろうという理由だった。
ほかにも個別した机で勉強している客がちらほらといるのだが、その中に先ほど見かけた女性が本を読んでいるのが見えた。
女性が呼んでいるのが一目で恋愛小説だとわかるや、皐月は少しばかり嫌な表情を浮かべた。
別に小説自体が嫌いというわけではなく、甘ったるい話はあまり好きじゃないだけである。
気にしないで戻ろうとした時、ふと女性の手元に大量の手紙が置いてあるのが視界に入った。
可愛らしいハートのシールで封を閉じられており、それらすべて開かれていない状態だった。
そうなると、自分にではなく相手に送るものなのだろうか?
と、皐月は少しばかり考えながらも、萌音たちのもとへと戻った。
「――あ……あの小説って」
勉強を再開しようとした時、皐月は思い出すように呟いた。
「ん、どうかした?」
「いや、なんでもない……」
皐月はそう友人二人に言った。
皐月は先程の女性が読んでいた本の内容をうっすらとではあるがTVで話題になっていたのを思い出した。
内容は現代の高校生がメールではなく、手紙だけで交際するというもので、まぁ在り来たりと言えば在り来たりなのだが、今はメールで告白をするという反発からか、そういうアナログなところが逆に小さなブームを与えているという。
皐月も一度だけだが、その小説を立ち読みとはいえ興味本位でパラパラっと読んだことがあった。
そもそも皐月は異性を本気で好きになったことがないので本当の恋愛というものは知らない。だいたい恋愛というのは十人十色千差万別である。
物語の主人公である高校生の女の子が、顔も知らない男と手紙だけでやりとりをはじめる。
当然途中から直接会わないかという件になるのだが、男はそれを頑なに拒んだ。
痺れを切らした主人公は住所を頼りに男性のもとへと出向いた。
しかし男性は既に結婚してたというオチである。
メールで連絡を取り合う昨今、相手の住所なんて覚えてないものであり、年賀の挨拶なんてメールひとつで十分といっている人間までいるものだ。
「うし、終わった」
皐月たちは今できる宿題を終え、机の上に出していたノートなどを片付け始めた。
「んじゃ、参考書戻してくるわね」
皐月は本棚からとってきていた本を束ね、本棚へと持っていく。
その途中、先程の女性をもう一度一瞥した。
あれから一時間ほど経っているのだが、女性はなんどもその小説を読んでいた。
それならいっその事借りればいいのにと、皐月はそう頭の中で呟いた。