陸・小窓
「おっきぃーっ」
遊火が唖然とした表情で、目の前の京本宅を見上げている。
「たしかに大きいわね。一体何坪くらいあるのかしら?」
弥生が遊火の言葉に相槌を打った。京本福介の家は大凡七十坪だと拓蔵が説明する。
「被害者って三人家族だったはずだよね? どうしてこんな大きな家に住んでるんだろ?」
葉月の云う通り、別に大きな家じゃなくてもいいのではと言いたくなってくる。
「すみません。阿弥陀ですが、開けてもらえますかね?」
インターホンで中にいる警官にそう伝えるや、門が自動的に開いた。
「これって、中から開けてるんだよね?」
「当たり前でしょ? そうじゃなかったら……」
葉月の何気ない質問が皐月と弥生に何かヒントを与えたようだ。
が、当の本人はそれに気付いていなかった。
「中からってことは……犯人は中の人間。しかも逃げることは出来ない」
「云われてみればたしかに……でも、どうやって犯人は死体を?」
拓蔵は蓋をされた棺の小窓から京本福介を見ている。
いや――それが可笑しいのだ。
ふつう棺に蓋をするさい、告別式で別れ花を入れてから火葬場へ投函するまで蓋はされない。
御通夜の晩『夜伽』という、棺を寝ずの番で監視するという風習がある。
しかし昨晩はそのようなことをせず、そのまま別れ花をしようとりつは云っている。そしてそれをまるで見計らったかのような突然の停電。
「さすがにそれはないじゃろ? りつさん……あんた、たしか仏門の家柄じゃったはずじゃろ?」
「どうかしたの?」
皐月がそう云うや、拓蔵は一、二度咳をした。
――家に入るや、外からでも大きいのに、部屋の中を見ると、三姉妹と遊火は再び唖然とする。
「これって、うちの本殿より大きくない?」
広間を見て皐月がそう云う。それほど大きな広さだった。
「現場はそのままみたいじゃが、何かわかったことは?」
そう拓蔵が云うや、阿弥陀と大宮がそれぞれ状況を訊きに行った。
一、二分ほどして戻ってくると、雨音が猫を飼っていたがその猫が行方不明になっていると説明した。
「猫かぁ……うちにも一匹くらい欲しいわね?」
弥生は皐月の方を見ながら云う。
「あ、あのね? 私が飼ってるのってハムスターなんだけど? それに鼠は大黒天の神使だから……」
「はいはい。でも見張っときなさいよ。あの子、偶に他の部屋に入ってくることあるから」
そう云われ、皐月は気をつけると一言言った時だった。
「あれ、猫……?」
葉月がキョロキョロと辺りを見渡した。
「どうかした?」
震えた表情で皐月が尋ねると、葉月は猫の鳴き声がしたと説明する。
「聞こえませんでしたけど、ねぇ大宮くん?」
「ええ。葉月ちゃん、聞き間違いじゃないのかい?」
大宮がそう尋ねるが、葉月は首を横に振った。
「私は耳が悪いから聞こえないかもしれないけど、それでも他のみんなが聞こえてないんじゃ……やっぱり」
「でも猫の声聞こえた。まだ小さい……」
そう葉月が云った時だった。近くにいた警官が近付いてきて、どんな感じだったのかと葉月に尋ねる。
「えっと……まだ小さくって、それに弱々しい……」
「雨音ちゃん? たしか君が隠れて飼っていた猫も最初はそんな感じだったって言ってたね?」
雨音は答えるように頷いた。
「それじゃみぃーちゃんは家の中にいるの?」
その問いに葉月は小さく首を横に振った。
「いないってこと? それじゃ葉月が聞いた声って……」
葉月は姉妹たちの中では一番霊感が強く、くっきりと見えたり、感じたり出来るが、いないということは『この世に』ということになる。
「弥生姉さん、何か感じる?」
「さっきから遊火と一緒にやってるんだけどね、全然……」
「むしろ、もういないといった感じですね。部屋の中には残り香すら残ってません。ただ、棺に付けられていた爪痕から僅かにですが妖気のようなものを感じました」
皐月には遊火の声が聞こえない。かわりに葉月が説明していた。
「死体を持ち出す妖怪……もしかして火車?」
「御通夜を狙っての犯行と棺に残った猫の爪痕……間違いなく火車じゃろうが、先輩は盗まれるようなことはしておらんはずじゃぞ?」
火車は生前悪行を積み重ねた末に死んだ者の死体を盗むと言われいてる。――が、拓蔵は京本福介がそんなことをしないと考えていた。
「阿弥陀警部? 済まないが皆の作業を止めてもらえんかの?」
拓蔵がそう云うや、阿弥陀は少しばかり首を傾げた。
「一つ確認を取りたいんじゃ。お前たちもいいな?」
そう訊かれ、三姉妹も首を傾げた。
「えっと…… 全員定位置に座りました」
「それで何を始めるんですかな?」
「一応、昨晩の御通夜から引き続きこの家にいる警官諸君らならすでに気付いていると思うが、今座っているのは昨晩と同じ状況だ」
拓蔵はそう云いながら、座った位置を説明していく。
棺を前に座っている僧侶、金成知信を阿弥陀が代役を務め、そのうしろには焼香台が置かれている。
そしてそれらを前にして、左から世話役と葬儀実行委員長が座る。
それを三姉妹が代役する。
人が通れる間を挟んで、喪主である京本りつを拓蔵。遺族である雨音を大宮が代役を務める。
友人・知人が五人、親族が四人、近親者が一人、そして残りは仕事関係者、つまり警官である。
棺には遺体の代わりにボールが入れられている。それを全員が棺の小窓から確認を取った。
「僧侶である金成知信がお経を読んでいる間、わしらは焼香を行なっていた。そして、僧侶はお経を読み終えた後、りつさんと一言会話をした後にこの家を出ている。そして、りつさんが別れ花をしようと切り出し、籠に入った弔花を雨音ちゃんが皆に配った……そしてみんなに行き渡り棺を開けようとした時――」
そう拓蔵が云うや、部屋の中は真っ暗になった。
「ちょっと? 何も見えないんだけど?」
「――っ? ちょっと待って……今なんか音がしなかった?」
弥生は警戒するように辺りの気配を探った。
「そして、わしが雨音ちゃんと一緒に落ちたブレーカーを上げに行った。その間は大凡一、二分じゃろう。みんなが慌てておったからそれよりも少し間隔を広げて五分前後としよう。そして部屋の中に明かりが灯り始める」
拓蔵の云う通り、それくらいの感覚で部屋に明かりが灯される。
全員が定位置とは言わないが、ほとんど動いていない。
――いや、動けないのだ。
密集された間隔では容易に動くことは困難である。
しかもお経を読んでいる間に全員が長時間正座しており、こういうことにはあまり慣れていない若い警官たちの足を痺れさせるには十分なほどであった。
だからこそ、犯人は楽にことを運べた人間がいるということになる。
「あれ……入ってない?」
葉月が確認するように小窓を開けるや、そこには何も入っていなかった。
「でも、棺には京本福介の死体が……」
いや、死体と云えば死体である。
「い、急いで葬儀を担当した会社に問い合わせてください。葬儀の前、死体を見てから蓋をしたのかと!」
阿弥陀がそう命令する。
「じ、爺様? これって……」
皐月と弥生も気付いたのだろう。
どうして全員に小窓からボールを確認させたのかという真意を――
「犯人は最初から遺体を盗んでおったんじゃよ。棺の蓋をしていたのはそれが中に入っていると錯覚させるためじゃろうな。じゃが、それでは説得力がない。だから全員に確認させたんじゃよ。『首だけの遺体』を小窓からのう」
その言葉に全員がゾッとする。
「そんなこと可能なんですか?」
「小窓からでは肩ほどまでしか見えん。しかも何も態々そこまで見る人はおらんじゃろ? 犯人はその盲点をついたんじゃよ」
云われてみればたしかにと、大宮は唸った。
「でも、さっき蓋を開ける音がしたから気付いてる人も……」
「みんなには事前に説明しておるから、弥生と同じく気付いたものもおったじゃろうが、突然真っ暗になって冷静でおられるものはおったか?」
各々が互いの目を見やりながら、首を横に振った。
「つまり、犯人は最初から停電するように仕向けてたんじゃよ。全部の部屋のエアコンをタイマー予約し、お経が読み終わり別れ花を配り終えるくらいのタイミングを見計らってのう」
拓蔵がそう云うや、隅っこで何かを抱えているりつを見やった。