参・三姉妹
本殿から少し離れたところに社務所があり、そのとなりには、二階建ての一軒家がある。
そこが神主と姉妹たちが暮らしている母屋である。
阿弥陀と大宮は、皐月と神主に案内され、母屋の一階隅にある居間の障子襖を開けるや、美味しそうな匂いが漂ってきた。
八畳ほどの和室には長方形の卓袱台があり、その上には、色取々の野菜や肉などで作られた料理が配列されている。
それらを見ながら、「肉?」
と、大宮は首をかしげた。
――たしか、神主とかは肉を食べてはいけないんじゃ?
そのことを、近くにいた皐月に訊いてみると、「あっ、それはお寺の住職とか、修行僧だけの話。仏教にとって肉は命を絶たせるって意味で嫌ってるみたいですから。それに爺様は大の酒豪で、阿弥陀警部と飲み比べするくらいですよ」
そう云うと、皐月は視線を阿弥陀と神主に向けた。
いつのまに始めたのか、すでに一升瓶(約一.八リットル)を、軽々と飲み終えている。
「がははっ! 今日はまた度数が低いですな? これくらいじゃいくら飲んでも酔いませんよっ!」
「弥生っ! まだ酒倉においてあったじゃろうっ!」
厨房から酒の肴を持ってきた弥生は、騒ぎ立てる二人を、あきれた顔で一瞥した。
「――それ、今度うちで神前結婚式するから、御神酒に使おうと思ってた清酒なんだけど?」
「構わん構わんっ! 少しアルコールを入れた水で十分じゃ! どうせ三三九度とか、ちびちびとしか飲まんじゃろうからなぁっ!」
「そうだっ! そうだっ! 酒は一気に飲むのが一番うまいっ! ほれっ! 神主も一気に……」
阿弥陀が、神主のコップに酒を注ぎ、薦める。
「け、警部! それって強要罪じゃなかったですかね?」
「大宮くん? これは同意の上で遣ってるんですよ!」
ニヤッと不敵な笑みを浮かべる阿弥陀が大宮を一瞥する。
「はぁ……、んっ?」
あきれ返った大宮の足元を、スッと小さな影が横切った。
「葉月、おかえり」
「皐月お姉ちゃん……この人は?」
ランドセルを背負った小さな少女が、気怠そうに大宮を指差した。
「ああ、この人は阿弥陀警部が連れて来た警察の人……」
そう言いながら皐月も、大宮をジッと見つめた。
そんな皐月を、大宮は一瞬ドキッとする。
「あ、紹介がまだでしたね。彼は大宮忠治。階級は巡査。まぁ、今日皆さんに訊こうと思っている事を私と一緒に捜査してくれている、まだ三年の新米刑事ですよ」
阿弥陀がそう言うや、大宮は、さっきまで明るかった場の空気が、途端に静まるのを肌で感じた。
それは言ってしまえば、警察本部での、殺人事件の捜査会議に似た、団欒なんて言葉が微塵もない空気。
「――まぁ話は食事の最中にでも……。ささっ! 警部も巡査どのも……」
神主にそう言われ、大宮は皐月の隣に坐った。
「――で私達に訊きたい事とは?」
神主は酒を飲みながら、阿弥陀と大宮を交互に見遣った。
「実は先日、近くの林道で皐月さんと同じくらいの少女が遺体となって発見されたんです。その殺し方が――どうも人間がした事とは考え難いんですよ」
そう言うや、阿弥陀は懐から一枚の写真を神主の前に差し出した。
その写真は有ろう事か、被害者である対馬怜菜の首が断裁されたものだった。
「け、警部っ?」
大宮が小さく腰を上げると、「ああ、大丈夫……。皆さんはこれ以上のものを見てるでしょうから」
阿弥陀の言葉に、大宮は首をかしげる。
「葉月、何か感じるか?」
先程から、葉月がジッと写真を凝視していた。
神主が葉月に写真を渡そうとすると、「な、こんな小さな子供に! そんな残酷な写真を!」
大宮が止めようとするが、すでに写真は葉月の手元にあり、大宮は「――いつのまに?」
と、驚いた表情で葉月を見遣った。
葉月の表情は、引き攣っているわけでも、恐ろしくて目に涙を浮かべているわけでもない。
ただ平然とした表情で、写真を卓袱台の上に起き、一、二度ほど深呼吸すると、写真に手を翳すや、なにかを探るように写真を摩り始めた。
「……なにかわかった?」
隣に座っていた弥生がそう訊くと、「――音……」
という、葉月のちいさなつぶやきに、全員が息を飲んだ。
「――ピンって音が聞こえた」
「つまり、鋏じゃないってことですか?」
阿弥陀が問い掛けると、葉月は答えるようにうなずいた。
「ピンって……、糸や弦を弾いたような音が聞こえたの?」
弥生がそう訊くと、葉月は少し考えてからうなずく。
「雨の音が聞こえてそれから……、たぶん早く帰ろうとして走ったんだと思う……。その時に今の音がしたみたい」
「――私達が現場に駆けつけた時は既に死後ニ、三時間は経っていたようです」
「それくらいならすでに雨で血は流れてしまっておるな」
「――それって、何時くらいですか?」
「通報を受けたのは、夕方の六時くらいでした」
「それじゃ逆算して、被害者が下校していたのは、午後二時から三時前後の間……。でもその時間だったら学校はまだやってるはずじゃ……。皐月、ここ最近学校が早く終わるって事はあった?」
「テスト勉強期間だったら、部活動が休みになるから早めに帰れるけど?」
「葉月さん、被害者が殺された時、雨が降り出したんですね? 大宮くん、現場に血溜まり以外の水溜まりがいくつか出来てましたね?」
阿弥陀にそう言われ、大宮はうなずいた。
途端、葉月が卓袱台に寄りかかるように倒れ込んだ。
目の前に置かれていた彼女の食器が散乱する。
「大丈夫、葉月?」
「大丈夫。でも、その死体以外にも誰かいた」
それを聞いた大宮は、写真を手に取り凝視したが、写っているのは被害者だけで、他はなにも写っていない。
「け、警部? 彼女は、いったいなにを……」
大宮は顔を引き攣らせ、阿弥陀に問い掛けた。
「――神主、あの林道にはなにが?」
「別になにもないよ? あそこが昔火葬場で死体をそのまま野焼きにしていた事以外は……」
それを聞くや、大宮は吐き気をもよおした。
サラリと凄い事を言い放った神主の神経はどうかしていると思ったのは仕方ないとして、それを彼自身が想像したのが悪い。
「でも神主、だからといってその野焼きされた人達がこれをしたとは考え難いんですが? 第一ピアノ線のような固い糸でなければ骨を切る事も侭ならないはず……」
「たしかにわしの言った事はもう六十年以上も前の話じゃし、ピアノは敵対国の楽器じゃしな」
「――敵対国?」
大宮が首をかしげる。
「ピアノは元を辿ればイタリアの楽器じゃからな。他にも禁止されていた野球はアメリカの球技じゃろ?」
「でも、それなら琴の糸とか使わない?」
皐月がそうたずねると、神主は首を横に振った。
「林道の長さは人が横に並んで五、六人通れる幅じゃったろうから、最低でも二十メートルはあるじゃろうな。そんな長い糸を作るくらいなら軍事に当ててたじゃろう。警部、木にそのような痕跡は?」
神主がそう訊くが、阿弥陀は首を横に振った。
「ちょ、ちょっと待ってください? それじゃ……、勝手に首が落ちたって事ですか?」
大宮が誰彼構わずにたずねる。
「――弥生姉さん?」
弥生が考え込んでいるのに気付いた皐月が声をかける。
「あの、大宮巡査でしたっけ? その写真には頭が写ってませんでしたが……、首はありましたか?」
「えっ? あ、頭はありましたよ。――首ですか?」
答えようとした矢先、大宮の首元を阿弥陀が触れた。
「頭と胴を繋いでいるのが首ですよ」
それを聞くや、大宮は少しばかり思い出してから、口を開いた。
「たしか、鑑識の話だと首だけがなくなっているって」
「どうしてそういう大事な事を!」
大宮の慌てた表情を見ながら、阿弥陀はあきれた表情を浮かべる。
「いやっ! だって! 首がなくなっているって事は、どう考えても二回切断されたって事になるんじゃないんですか?」
「葉月、音は一回だけだったの?」
弥生の膝を枕にして天井を見上げている葉月は、答えるようにちいさくうなずいた。
「突然首がなくなった死体。殺された時に首だけを切られた……」
神主が考え込んだ時だった。
「――首なし?」
皐月がそうつぶくと、「首なし? それって首なしライダーの事ですか?」
と大宮がたずねた。
皐月はそれを聞くや、あきれた表情でためいきをつきながら、「大宮巡査の言っている首なしライダーは頭がないやつですよね? 私の言っている首なしは首だけがないんです」
そう言われ、大宮は首をかしげた。
「それから林道で被害はこれだけですか?」
「そうです。あれから皆さんには廻り道をしてもらっていますし、まぁ警察も隅無く木の一つ一つを調べてますからね」
「多分……見つからないと思います。皐月の考えた通りなら音は恐らく風の音。殺された被害者は知らない内に首だけを盗まれた」
弥生が静かに述べた。
「く、首だけを?」
「爺様? 今夜あたり調べに行きたいんだけど」
皐月がそう神主に願い出ると、「良いですかな? 阿弥陀警部」
先程の酔いかけた老人ではなく、険しい表情を浮かべた神主がたずねるや、阿弥陀はコクリと、ちいさくうなずいた。
「け、警部! 仮にもまだ……」
「大丈夫ですよ。で、皐月さん、なにか考えでも?」
「別に考えはないですけど? でも葉月の言っているもう一人っていうのが気になって……、野焼きにされた人達がした事なら一人じゃなく一杯っていうだろうし、それにもうお払いしてあそこには霊はいないはずですから」
「れ、霊? それじゃこれは霊がした事だって言うんですか? 馬鹿々しい! それが本当だったらどうやって捕まえるんですか? これは人間がした事ですよ? 人間がしないで! 誰が人間を殺せるんですか?」
大宮の言葉はもっともであるが、誰一人反論しなかった。
「皐月、霊が見えないあんたがどうやって退治する訳?」
「見えなくても……感じる事は出来るから……、それにまだ妖がしたとは限らないでしょ?」
二人の会話に大宮はてんでついていけていない。
それどころか世迷言をと考える始末だった。
しかし皐月と弥生のまるで何かに気付いたような愁いのある表情は、神主の柏手一つで普段の表情へと変わっていた。
【追記:11/05/23】文章直しました。
一応補足として、「琴の弦でもいいんじゃ?」と皐月が訊ねていますが、弦の長さは切られていない場合、百八十糎ほどしかないようです。また、弦は長いと邪魔になりますから必然的に切られますので、それ以上に短くなります。