伍・同様
阿弥陀と西戸崎が稲妻神社に来たのは、湖西主任から紹介された翌日の午後だった。
十二月という事もあってか、境内はところどころ雪が積もっている。
その景色を見てかどうかは定かではないが、「寒いなぁ」
と、西戸崎は愚痴を零していた。
そんな西戸崎を横目に、阿弥陀は湖西主任がなぜここを教えたのかが気になっていた。
「たしか黒川拓蔵という方でしたね」
「ああ、その人に相談してみろと云っていたが、あのじいさんが人を紹介するとなると、よほどの人物なんだろうな」
そう話しながら二人は神社の境内を歩いていた。
――もちろん目的があっての事なのだが、社務所がどこなのかわかっていなかった。
そもそもこの稲妻神社で祭られているのは、倉稲魂神と大黒天なのだが、学問やら安産やらのお守りや破魔矢が売っているわけではない。
どちらも人に対してではなく、自然、特に稲穂に対しての神だからである。
売店なら人はいるかもしれないが、それがない以上、誰かに遭遇するしかない。
が、今は平日の午後であり、三姉妹はもちろん学校に行っており、拓蔵に関しては町内会に出ている。
しかもこの時期では田を耕す事や土の状態を調べる事はあっても、神の御加護を受けに来る百姓はあまりいない。
その事に気付いたのは、少しばかり日が沈んできた時だった。
「――あれ?」
突然少女の声が聞こえ、阿弥陀はそちらに振り向いた。
少女……皐月は二人を訝しく見遣っている。
「失礼ですが、こちらの方で?」
そう訊かれ皐月は頷いた。
「実は私たちこういうものでして……」
阿弥陀は胸の内ポケットから警察手帳を出し、それを見せた。
「こちらに黒川拓蔵さんという方がいらっしゃるとお聞きしたのですが?」
「黒川拓蔵は私の祖父ですが、その……何か御用ですか?」
そう聞き返され、阿弥陀は西戸崎を見た。
「実はある事件の調査をしていてね。うちの鑑識課の人間が黒川拓蔵に会ってみてはと紹介されてねぇ」
「そう……なんですか? でも、祖父に警察の知り合いがいたなんて」
皐月の言葉に、阿弥陀と西戸崎は互いを見やった。
警察の人間が人を紹介するとなると、少なからずともそれに関係している人間になる。
あの湖西主任が紹介したのだからそうなのだろうと、二人は思っていた。
「祖父ならもうそろそろで帰ってくると思います」
「そうですか? では待たせてもらっても結構ですかな?」
「いいですけど……」
そう皐月が言った時だった。
突然、周りの空気が著しく淀み、木々がまるで強風に煽られているかのようにざわめきだした。
その光景に阿弥陀と西戸崎は何も言えず、ただただ立ち尽くすしかなかった。
少しずつその空気が元に戻っていくや、皐月は既に母屋の方へと入ろうとしていた。
「――えっ?」
阿弥陀は言葉が出なかった。自分が立っている場所から母屋まで、少なくとも五十メートル以上はある。
更に言えば、自分は皐月を見ていたはずにも拘らず、彼女が動いた事すら気付いていなかった。
それは西戸崎も同様で、彼もまた阿弥陀と同様に、まるで狐につままれた様な表情を浮かべていた。
そんな二人を見ながら、皐月は小さく笑みを浮かべていた。
拓蔵が帰ってきたのは、既に夕方六時を過ぎた頃だった。
「爺様、お客さん」
玄関で出迎えた葉月がそう伝えると、拓蔵は首を傾げた。
拓蔵が居間の方へと入ると、阿弥陀と西戸崎が炬燵で寛いでいる。
その二人を見ながら「知らんなぁ……」
と、拓蔵は三姉妹を見渡しながら言った。
「黒川拓蔵さんですね。私達、警視庁のものなんですが」
そう言われ、拓蔵は少しばかり驚くかと思えば、平然としていた。
が、それは最初に二人に会った皐月でも同じ事だった。
警察が突然家にやってきて、自分の知っている人間が何か事件を起こしたのかと心配するか、動揺するものである。
しかし、皐月はもちろん、弥生と葉月に関しても同じような反応だった。
「実は湖西主任からの紹介でして」
「あの死に損ないか? 主任と云っておるが、出世しよったみたいじゃな?」
その言動から、知り合いである事には間違いないようだ。
「知り合いだったんですか?」
「なんじゃ、知らんでここに来たのか? また酔狂なお人じゃな」
その言葉に阿弥陀は笑うしかなかった。
「弥生、たしか麦焼酎があったはずじゃが?」
「爺様、たしか今日は町内会に行ってたと思うんだけど……」
弥生は拓蔵の顔を見ながら言う。拓蔵の顔は少しばかり赤くなっていた。
「あんなのはまだまだ序の口じゃ。一升瓶一本くらいで根を上げよってからに」
「また飲み比べ? 少しは手加減してあげたら? 爺様みたいに蟒蛇じゃないんだから」
蟒蛇とは大蛇の事を指すが、大蛇は物をたくさん飲み込むところから、酒豪を意味している。
弥生が説教したところで意味の無い事なのは分かっているが、愚痴の一つは言いたくなるものである。
「わかったわよ。もう今日はそれだけだからね」
呆れた表情を浮かべながら、弥生は冷蔵庫からワンカップ酒を取り出した。
「それで、あんたらはわしに何を訊きに来たんじゃ?」
拓蔵にそう言われ、阿弥陀と西戸崎は背筋を伸ばした。
いや、伸ばさすにはいられなかったのだ。
さっきまでの明るい空気が突然、まるで上司が目の前にいるような空気が漂いはじめたからである。
「じ、実は、せ、先日、あ、浅葱橋で殺人事件が起きまして……」
「少しは落ち着きなさい。被害者はたしか……堂本鋼と梨元美亜じゃったかな?」
「え、ええ……よ、よくご存知で」
存じるも何も、先日瑠璃から聞いていただけである。
「それで、湖西主任があなたに聞いてみてはと」
「被害者に関しては、何か調べましたかな?」
「ええ。二人は別姓であるが結婚していた……」
「それも普通にではなく、駆け落ちという形でなぁ」
阿弥陀達の質問は、もちろん警察しか知り得ない事である。
――が、拓蔵はその上を言っている。
その後、彼らが聞いた質問の全ては瑠璃から聞いた話と同様だった。
「被害者が殺される様な条件は?」
「条件ですか? いえ、特にどちらも友人関係に問題はなかったようですし、借金や人に怨みを買うような行為はしていないようでした」
「ならば、どうして死体を川なんぞに遺棄したんじゃろうな?」
その言葉に西戸崎は何かを考えるや、「どうして……遺棄と言い切れるんですか?」
「湖西刑事の検死結果を聞く限りでは、死体が凍りついておらんかったという事じゃろ? こんな寒い季節に川なんぞ入ってみろ。凍えて体が凍りつくじゃろうよ」
つまり犯人は川に流していないという事になる。
「で、でも待ってください! 被害者の死亡推定時刻は夕方五時から六時の間なんですよ? いくらなんでも、賑わっているあの場所で死体を遺棄するなんて事」
「被害者が生きておったら?」
「――えっ?」
「川上の岸で殺されたと推測して、被害者のどちらかが生きておったらどうする? あの川の流れは普段穏やかじゃからな。立つ事くらい出来ろう」
なんとも滑稽な話だが……「そんな事出来るんですか?」
「人間は気を失っている状態だと息自体をしとらんよ。ただしタイムリミットは十分もないがな……」
「つまり……被害者はそのタイムリミットの間に目を覚まして、川岸に上がったと?」
可能性としてはあるだろうが、そんな事本当に出来るのだろうかと、阿弥陀はもちろん、西戸崎も疑った。
「あの橋が出来てからは、一度も水難事故は起きておらんのじゃよ」
そう拓蔵が言うや、阿弥陀はハッとする。
「そう言えば、あの橋って……橋姫が祭られていましたね?」
「おいおい、正気か? 神様が人を助けるなんて事」
西戸崎が呆れた口調でそう言った。
「質問はこれで終わりかな?」
「え、ええ……大体のところは――」
阿弥陀警部の声がしどろもどろになる。
自分のポケットには被害者の死体写真が入っている。
これは湖西主任が持って行けと言われたのだが、どうしてこんなものをと内心疑っていた。
「へぇ~結構綺麗な死体じゃない。女性なんて陶磁器みたいに白いし……」
うしろから声が聞こえ、阿弥陀と西戸崎が振り向くと、そこには皐月と弥生が立っており、二人は一枚の写真を見ていた。
それを見るや、阿弥陀は自分のポケットを探ると、入れていたはずの写真が入っていない事に気付いた。
――声が出るはずがなかった。
それどころか、いつ自分のうしろにいたのかと、逆に訊きたくなっていた。
「おいおい嬢ちゃんたち? それはちょっと刺激が強すぎるんじゃないのかぁ?」
西戸崎がそう言いながら、写真を取り上げようとすると、「まぁまぁ、少し待ってくれんかのぉ? 葉月……」
拓蔵に呼ばれ、葉月は食事の手を止めた。
「――出来るか?」
そう言われ、葉月は小さく頷いた。
「お、おい待てよ! いくらなんでもそれは!」
西戸崎が怒鳴り声をあげた。綺麗な状態とはいえ、人の死体が写った写真である。幼い葉月に見せるのを止めるのが道理であろう。
しかし、まるでそれを遮るかのように、阿弥陀は西戸崎を宥めた。
その意外な行動に西戸崎は訝しい表情を浮かべていた。