肆・愛姫
「殺された男女は既に結婚していました」
二杯目のお茶を飲みながら話をしている少女の言葉に、三姉妹はキョトンとした表情を浮かべながら聞いていた。
少女の発言が、何とも脈絡のない言葉だったからだ。
「――ですが、どちらの両親にも賛成されておらず、結果的に駆け落ちという形になりました。それがばれないよう、あえて夫婦別姓にしていたようです」
「話が見えてこないんだけど?」
と、皐月と弥生は脱衣婆を見遣った。
「つまり、昨晩浅葱橋が掛かっている川岸で、男女の変死体が発見されたの。左手の薬指には指輪がはめられていて、それが両者に見られた」
「でも、閻魔……あ、いや……瑠璃さんは駆け落ちって云ってるから、別に可笑しな点はないんじゃ?」
「どうして婚約や結婚の際、薬指に指輪をするか知っていますか?」
そう聞き返され、弥生は返事に戸惑った。
「これは古代ギリシャで『左手薬指の血管は心臓と直接結ばれている』という説があるからなんです。指輪にしたのは千切れないからという理由でもありますけどね。結婚は左手に、その前提である婚約は右手にするものとされている」
「でも、結婚しているってのは……」
途中まで云うが、皐月は言葉を濁らせた。
今の時代を考えると、そんな事まで考えているとは云い難かったからだ。
しかし少女……、瑠璃は閻魔王である。
閻魔王は別名“地蔵菩薩”と云われており、道で見かける地蔵を通して現世を監視している。
だからこそ、嘘を付ける相手ではないし、真実のみしか知らない。
「ついでに言うと、二人は心中ではなく他殺です。しかしその方法が奇怪なものでした」
「――たしかあの橋には奇怪な伝承があったのう」
拓蔵がそう云うと瑠璃は頷いた。
「どんな話?」
と、葉月が尋ねる。
「あの橋に橋姫が祭られておるのは知っておろう。そこで男女が別れる話や別の橋の話をすると祟りが起きる……というのが一般的な橋姫の話なんじゃよ」
「それと、どう違うの?」
「あの橋に祭られている橋姫は昔、江戸時代、遊郭におった娘なんです。名を浅葱と云って、それはまことに美しい女子でした。禿の頃から楼主や姉女郎らに可愛がられていたんです。十四の頃に新造。つまり、遊女になる一つ前の頃に、彼女にとっては幸せの、またあるものにとっては不幸な出来事が起きたんです」
話の内容を知っている拓蔵の表情に曇りが掛かった。
「その時に民宿街と繁華街を繋げる橋が作られようとしておったんじゃよ――」
拓蔵は思い出しながら云う。
「今は考えられないけど、橋を掛ける際にはどうしても避けられないものがあった」
「――今は考えられないって……、たしか橋姫って……」
「橋姫の語源“愛姫”は、人柱として橋に縛り付けられ橋姫となった。それは橋に災いが起きないためにという意味がありますが、浅葱橋を建てるさい、浅葱が人柱になった理由には別の意味がありました。それは『外の人間と交わり、災いを孕んだ』という理由からなんです」
それを知っている瑠璃だからこそ、断言出来た言葉だった。
「――災いって?」
と、葉月が脱衣婆を見ながら尋ねた。脱衣婆は少しばかり躊躇う。
葉月の年を考えての事だが、瑠璃は「性病」
と淡々と言い放った。
「性病って、でも新造はまだ遊女として見世に出される前の位でしょ? 性行為なんて禁止されてるはずじゃ?」
「新造が遊女の代わりとして客に酌をすることはあっても、それに手を出す事はご法度じゃ……じゃが、その禁句を破る者もおった」
それに関しては、鳥居清長の春画絵集『色道十二番』や、勝川春潮の『男女色交合之糸』などの作品があるため、実を云うと然程珍しい事でもなかった。
また新造が見世に出される前には、水揚げという儀式があり、それはその新造がいる店の常連である年をとった男がするものと定められている。
「じゃが、浅葱はそれを破ったんじゃ……民宿街で小さな宿の若頭をしておった“喜平”になぁ……」
「それじゃ……今回殺された二人と同様だったって事?」
「結果は違っていても、大体は一緒ですね」
「何か曖昧な言い方ですね?」
皐月にそう云われ、瑠璃は溜息を吐いた。
「喜平は浅葱が遊女だという事を知らなかったんです。そもそも、二人が出会った頃はまだ橋は掛けられていませんでしたからね」
「つまり喜平は遊女がこんなところにいるはずがないと思っていたと」
「芸能人がこんな田舎にいるはずがないとか、そんなのと一緒なのかしら」
「それはただ単にオーラがないからでしょ?」
脱衣婆がそう云うや、弥生と皐月は納得したように手を叩いた。
「だからこそ、二人は本当に相思相愛だったんでしょうね」
「もし喜平が、浅葱が遊女であると知っておったら、違った結末になっておったかもしれぬし、そもそも先に好きになったのは――浅葱の方じゃった」
「――何かすごい事になってない?」
「両方とも相思相愛だと知ったからこそ、わたしはその事に関しては何も云いませんし、関与もしません……ですが、それが浅葱を殺す事になったんです」
瑠璃の話す声のトーンが段々と落ちていく。
「爺様? 浅葱は一体……」
葉月がそう云うと、拓蔵は少しばかり瑠璃を見やった。
「さっき閻魔さまが申した通り、浅葱は殺された。それも何人にも」
「それってどういう事?」
「遊女になる前の新造が水揚げ以外で処女膜を破る事は禁止されている。それを破った浅葱が待っている結末は云わなくてもわかるでしょ?」
「わからないわよ……」
皐月はそう答えたが、頭の中では既に最悪の結末しか思い浮かばなかった。
何ら変わりない。陶芸家が自分の納得がいかない作品が焼きあがった時に迷う事なく地面に叩き割るのと同様だ。
自分が手塩に掛けた禿が、どこの馬の骨かもわからない人間に少女から女にされたのだ……店の評判に傷が付いてしまうと桜主は思ったのだろう。と皐月は考えていた。
「それじゃ、人柱になったのは浅葱の意思じゃないって事?」
皐月は瑠璃に尋ねるが、瑠璃は答えるように首を横に振った。
「それは浅葱の意思です。むしろ浅葱だったからかもしれません」
「浅葱だったから……」
「橋が出来れば何が便利になるかしら?」
「人の行き来が楽になる」
脱衣婆の問い掛けに葉月が答える。
「それもあるんだけど、浅葱が人柱になった理由は……民宿街と繁華街を繋がる事にあったからなのよ」
脱衣婆はそう言いながら瑠璃を見た。
「閻魔さま。そろそろお暇しましょう」
そう促され、瑠璃は少しばかり表情を暗くするが、スッと立ち上がると障子襖を開け、そして去り際に皐月達を見やった。
「わたしはたしかに地蔵を通して露世を監視しています……ですが、人の心まではわかりません」
と、言い残していった。
その言葉を発していた瑠璃の表情がまるで悲しんでいたり、申し訳なさそうな感じだったのを三姉妹は気になっていた。