参・原因不明
ふたつの死体の検死結果が出たのは、事件から一両日経ってからだった。
死因は阿弥陀と西戸崎の見分通り、撲殺と判明されているが、どうも男性、堂本鋼の方は違っていた。
「――絞殺痕?」
阿弥陀が鑑識の湖西主任に尋ねると、「あんたらが発見した時はわからんかったのか?」
と逆に聞き返された。
「縄の痕じゃよな? でも浅葱橋で見た時はそんなのなかったぞ」
西戸崎の言葉に阿弥陀と大宮は頷いた。
「つまり、後から出たとでもいいたそうじゃな?」
「堂本鋼の死亡原因は絞殺による窒息死なんですか?」
「いや、一緒に発見された梨元美亜と同様、脳髄まで達したさいの出血多量が致命傷じゃが、彼女には絞殺痕がなかった」
つまり犯人は二人を絞め殺そうとしたが、予定をかえて撲殺しようとした事になる。
が、それなら梨元美亜の方にも絞殺痕が出来ているはずである。
「睡眠薬などによる可能性は?」
「そう思って血液検査もしたがな、薬物反応はなかったよ。あと奇妙な事もわかった」
「奇妙な……こと?」
湖西主任はホワイトボードに二本の棒を描き、その間に“浅葱橋”と書いた。次にその上下に川の簡略図を描く。
「発見された場所は繁華街側の川岸じゃったな。で、死亡推定時刻から見て、その時間橋の上は賑わっておる」
死亡推定時刻は二人とも同時に殺されたものと考えて、夕方五時から六時前後と見られている。
その時間だと繁華街と民宿街を挟んだ浅葱橋の上は否応なしに賑わっている。
「じゃから『橋の上から落とす』なんて事は出来んなぁ?」
「えっと、湖西のじいさんよぉ? 全然話が見えんちゃけど?」
西戸崎が湖西主任に訊ねるや、「女性の方の仏さん……指と指の間が膠着しておらんかったんじゃよ」
膠着とは物と物がくっつく事を指す。つまり、湖西主任の話では、浅葱橋より上から流れ着いたのなら、その間に体が固まり、さらに言えば冷水と化した川だと体が凍りついたりという現象が起きても不思議ではない。
しかし、梨元美亜に関してもそうだが、堂本鋼にもそのようなものが見られなかった。
「ようするに湖西主任の話だと、通報された時にはまだ生きていたという事ですか?」
大宮がとんでもない発言をした。
――撲殺された死体が岸に這い上がったとでもいうのか?
と、阿弥陀と西戸崎は思った。
「いや、それはありえんじゃろう。なにせ撲殺された人間が生き返るということはまずない。じゃが、ありえん事ではないじゃろうな」
そう云うと、湖西主任は四枚の写真をホワイトボードに貼った。
写真は殺された二人の全身写真が前後二枚ずつである。
二人とも裸で撮られているが、違和感はすぐにわかった。
「――擦り傷がない?」
川の水が一メートル前後の深さがあるため、川底には上からでは見えない岩などがあっても不思議ではない。つまり本来なら流されている間に打つかって出来た痕があるはずなのだ。
しかし写真からではその痕が見つからなかった。
それどころか、橋から落としたのならばそれに伴って出来る大きな傷痕すら見当たらなかった。
「解剖して骨やら内臓破裂等々も確認したが、目立った痕もなかった」
「つまり犯人は発見された場所に死体を置いたと?」
「現実的に考えればそうなるな」
現実的に……と湖西主任は口走った。
「現実的じゃないとすれば?」
西戸崎がそう云うや、湖西主任は分が悪そうな顔を浮かべた。
「現実的でないとすれば、流れている間に岩にぶつからなかったということじゃよ。ありえんじゃろ? 死んだ人間が『意図的に避ける』なんてこと」
確かに意識のない人間にそんな芸当は出来ない。
「人間は死ぬ死なない関係なしに、水に入れば浮かぶもんなんじゃよ。それは体内の空気が浮き袋となっておるからな」
そう話す湖西主任の口調が、いかんせん納得していなかった。
「どうかしたんですか?」
と、阿弥陀が訊くや、「あの川は水深一メートルもないんじゃよ?」
「それがどうし……」
西戸崎が言葉を止め、阿弥陀を見やった。
阿弥陀も西戸崎が何を感じたのか、すぐにとはいわなかったが理解出来た。
「発見された浅葱橋の両側は昼夜問わず人で賑わっている。水深一メートルもない川で、死体が流れてなんてしたら、気付かない訳がない。必ず誰かが気付くはず! それなのに通報が来たのは死体が浅葱橋の川岸に打ち上げられてから……」
「それじゃ、死体は川に流されたのではなく――やはり運び込まれ……」
西戸崎が机を力強く叩き、大きな音を出した。
「それはないだろ! 人で溢れてる中、どうやって大人二人もの死体を運び込む? 誰にも見付からずにだ!」
さっきも云った通り、浅葱橋は人で賑わっているため、台風などで天候が悪くなるか、余程の事がない限りは周辺に人がいなくなる事はない。
「水に浮かんでもばれない方法……、もしかして、浮かばなかったというのは?」
「足に錘か何かを付けてか……無理じゃろ? それにそういったものが付けられた痕跡がないのはお前達も知ってるだろ?」
「それじゃ、どうやって……」
西戸崎と阿弥陀が途方に暮れていると、湖西主任は少し溜息を吐くや、椅子から立ち上がった。
そして壁にかけられていたコートの内ポケットから手帳らしきものを取り出した。
「あんたら……、稲妻神社って知っとるか?」
そう云われ、二人は少しばかり考えてから頷いた。
「――名前くらいなら……」
「其処の神主に頼るといいじゃろ?」
「なっ? 一般市民に頼るってのか? それはなんでも駄目だろ?」
西戸崎が狼狽するのも無理はない。警察が『自分たちではわかりませんから答えを教えてください』と自ら白旗を上げているようなものだ。
本来殺人事件ともなれば、目撃情報が必要になり、次に犯人の特定と繋がっていく。
目撃情報がなければ、周辺に事件と関わりのあるものがないかを探し出す。それがなければ被害者周辺の聞き込みから犯人の特定へと繋がる場合もあるが……。
そもそも、被害者が殺されてから発見されるまで、まだ二、三日しか経っていない。
「行ってみますかね?」
「おい、本気かよ?」
否定する西戸崎とは違い、阿弥陀はまるで藁をも掴む思いだった。