壱・聖夜
深々《しんしん》と雪が降り積もる、夜の福祠町の繁華街には、何組かのカップルが肩を寄せ合いながら、街路を歩いていた。
そんな中を「はぁ」と、溜息交じりに白い息を吐きながら、大宮は人込みの中を歩いていた。
取り敢えず彼の名誉のためにも云っておくが、まったくもてないというわけでもない。
高校時代に彼女はいたが、まぁ自然消滅と云った感じに別れており、規則が厳しい警察学校ではそんな余裕すらなかった。
さらに云えば、現在の職業である警察は主に不規則な生活のため、出会いが余りないと云われている。
頭や肩に積もった雪が何とも物悲しく思えてしまう。
そんな彼に追い討ちをかけるように、“ジングルベル”の音色が、繁華街に鳴り響いていた。
「くぅっそー、なぁにがクリスマスだよ? 日本はいつからキリスト教の国になったんだぁ?」
と愚痴を零すが、彼自身惨めになるのは目に見えており、さらには叫んだ事で周りのカップルが嘲笑混じりに面白がって囁きあっている。
その声は街中の騒音に掻き消され、大宮巡査の耳には入らなかったが、場の空気で感じ取り、先程コンビニで買ってきたおでんを片手に、急ぎ足で警視庁へと戻っていった。
十二月中旬。年末という事もあってか、どこの警察も遽しかった。
道路の凍結による車の事故や宴会などの酔っ払い。
それに便乗した痴漢に置き引きなど……余りの多さに猫の手も借りたいほど忙しいのである。
「おーやっと戻ってきましたか?」
阿弥陀と、同刑事部の面々が、戻ってきた大宮に声をかけた。「雪の中大変でしたでしょ?」
阿弥陀が侘びを入れてはいるが、視線は既にテーブルの上に置いたおでんに向けられている。
「あれ、卵は?」「売り切れてました」
「餅巾着は?」「同じく売り切れてました」
この時期になると暖かい料理はすぐに売り切れる。
「――おはぎは?」
「パックでならありましたけど、どうしておでんを買ってくるのに『おはぎ』なんですか?」
と、大宮がツッコミを入れるが、そう発した西戸崎刑事は指を振りながら「甘いな坊主。おいの地元じゃおでんと一緒に買ってくるってのが常識ったい」
「いや、それ貴方の地元だけだと思いますよ」
阿弥陀がそう云うや、西戸崎は分が悪い表情を浮かべた。
因みに西戸崎の地元は、福岡の小倉であった。
「さぁ腹拵え。これからもっと忙しくなりますよ」
阿弥陀が号令を発っした時だった。部内の電話機がけたたましく鳴り響いている。
「はい、捜査一課……」
阿弥陀を含む刑事部の人間たちがその電話に耳を傾けた。
「場所は……」
そして電話は終え、すぐさま対応していた吉塚愛が皆に件を伝えた。
「浅葱橋の近くで男女の変死体が発見されたとの通報です。両遺体の左小指には赤い糸が付けられていたとの模様。恐らく心中による飛び降り自殺ではないかと」
そう告げられ、阿弥陀や西戸崎は口に含んでいたものを、喉に無理矢理通した。
「心中――ですかな?」
西戸崎は阿弥陀の問いに「うーむ、どうかなぁ?」
と答える。
「ただどこで死んだかだな。橋の上から落ちたっていう報告じゃねぇんだろ?」
電話の対応をしていた吉塚にそう尋ねると、彼女は頷いた。
「つまり運良く浅葱橋の近くで見つかったんだ。運が悪けりゃ東京湾でどざえもんだろうよ?」
たしかにと、阿弥陀たちはコートや上着を羽織り、警視庁を出た。
現場に到着すると、既に野次馬が死体の周りを囲んでいた。
「あぁすみませんねぇ、ちょっと通りますよ。大宮くん、この人達を退かしてくれませんかね?」
大宮巡査が野次馬の整理をしている間、阿弥陀と西戸崎は既に水死体の様子を窺っていた。
「やっぱり心中ですかね?」
「報告だと『左手の小指に赤い糸が結ばれていた』だったな」
なんともまぁ時代劇にありそうな心中だと、阿弥陀は思った。
「しかし問題は本当に飛び降り自殺なのかだが……」
西戸崎は浅葱橋を見上げた。橋の上にも野次馬が集まっている。
「まったく見世物じゃないんじゃぞ?」
「まぁ仕方ないでしょ? 他人の命なんて知ったこっちゃないんでしょうから」
「TPOを弁えんか……時代の流れというのは便利であって残酷じゃな」
西戸崎は煌々と輝く繁華街の中で、さらに携帯のフラッシュが死んだ二人を嘲ているように感じていた。
職業柄、命というものを感じているからこそ、その光景が理解出来ない。
カメラを撮っている彼らからすれば、珍しいからという理由だけで片付らけれるだろう。
それは橋の上からではなく、周りを囲んでいる興味本位の野次馬たちもちらほらとだが写真を撮っている。
整理をしている警官が止めに入ってはいるが効果はないに等しかった。
「髪に血がついておるから……やはり転落死かのう?」
「いや、それだったら他の部分にも付いているはずですから、撲殺した後に流したんじゃないですかね?」
「上流からか? それじゃったらどっかで引っ掛かっておるじゃろうよ?」
阿弥陀警部は西戸崎刑事の言葉を耳に入れながら、ふたつの死体を調べていた。
両方の死体にはご丁寧に財布があり、身元はすぐにわかった。
男性の名前は『堂本鋼』二四歳。OX社に勤めているサラリーマンであった。
女性の名前は『梨元美亜』、二二歳。先の堂本鋼と同じ会社に勤めており、確認を取ると、梨元美亜は今年入ったばかりの新入社員だった事がわかった。
男の方、堂本鋼はその梨元美亜と同じ大学の先輩に当たる。
左手を見ると、両者の薬指には指輪が嵌められていた。
「結婚指輪でしょうかね?」
「もしかしたら結婚じゃのうて、婚約かもしれんな」
西戸崎がそう呟く。それに対して阿弥陀は尋ねた。
「まぁ後は確認じゃが、仏さんは携帯を持ってはおらんな……。犯人もそこまで馬鹿ではないという事か」
「そうなると、やはり転落ではなく撲殺。殺した後に両者の左手小指に赤い糸を結んで流した」
死体は冷水に晒されていたせいか、既に硬直状態が始まっていた。
「川に投げ捨てたのも、死亡推定を紛らわすためでしょうかね?」
「まぁ発見が早かったのが何よりの救いじゃろうなぁ」
そう呟きながら、西戸崎は梨元美亜を見た。
皮膚はふにゃけてはいたが、その美貌は少なからずとも保たれていた。
もしこのまま海の藻屑となっていれば、時間が経つにつれ、腐敗によって変わり果ていただろう。
深々と降り頻る雪がふたつの死体に降り積もっていく。
それはまるで、何かを隠しているかのように……
第四話開始です。今回は少し毛色が違います。