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姦~霊能三姉妹の怪奇事件簿~  作者: 乙丑
第二十四話:ぬらりひょん
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拾壱・挿話『叢雲』


 稲妻神社の母屋、および社務所は騒然としていた。

 空川が連れてきた男の一人が「死体だっ!」

 と叫んだのが切っ掛けである。

 それを何人かの巫女が確認すると、社務所の中で殺されたのは、この神社の主である浬拌であった。

 もうひとつ、厨の方では首を掻っ切られた浬拌の妻、梨奈の成れの果てがあった。

 娘であるおりんと栢、他の巫女たちは互いにアリバイがあった。

 しかし、明朝早くからいなくなっている朧に対してはアリバイがない。

「か、神主を殺したのは朧だっ! あの白痴め、とうとう本性を現しよった」

 誰が言ったのか定かではなかった。しかし、おりんと栢以外はそう決定付け、血眼になって朧を探すことを決めた。


「待って、本当に朧がしたと思ってるの?」

 おりんが巫女たちにたずねる。

「当たり前よ。こんなこと人の御礼(おんれい)もなにも思わないことをするのはあの子しかいない」

 巫女の一人が云うと、他の巫女たちも「そうだそうだ」

 と、考えをゆるがせない。

「みんなの前から姿を消してるし、それにあの子……」

 栢が言葉を止める。「栢、どうかしたの?」

「あの子、この前、火の玉と会話してた」

「やっぱり、あの子は普通の人間じゃないのよ。鬼よっ! きっと鬼が化けていたんだわっ! それで私たちのことを食らおうとしているのよっ!」

 栢の言葉に巫女の一人が騒ぎ出す。

「やっぱりあいつを殺せっ! いや殺さなければおれたちが殺されっちまうっ!」

 男がそう云うと、「そうだっ! 探せっ! 探し出して殺してしまえっ!」

 最早、おりんと栢以外の誰一人、朧が犯人だという決め付けしか出来ていなかった。


「――夜行……」

 鳴狗神社への山道、朧がそう呟いた。「おや? これは珍しいな」

 托鉢僧が傘をあげ、顔を覗かせる。

「夜行、いいところに来たわ。ちょっとこの子を鳴狗神社の伏魔殿(ふくまでん)にでも入れてくれない?」

 荼枳尼天がそう云うや、夜行は首をかしげる。

「随分穏やかではないな? ――なにがあった」

「ちょっとね。まぁこの子なら伏魔殿に入っても大丈夫でしょ」

 荼枳尼天は朧を見遣る。その朧は夜行の手を取っていた。

「――笹笛」

 その言葉に夜行は少し考える。「ああ、わかった。ほれ、こっちだ」

 夜行は踵を返し、朧とともに歩き始めた。

 その一瞬、夜行は荼枳尼天を見遣る。荼枳尼天は静かにうなずいた。


 荼枳尼天は、周りに潜んでいた妖怪たちを呼び寄せる。

「さてと、恐らく空川は、血眼になって朧を探しているわ。わたしたちはなんとしてでもあの子を無事に帰らせる。たぶんぬらりひょんと菘が、空川がやってきたことや、燈明偲のことを警察に話すと――」

 荼枳尼天の言葉を遮るように鬼火が現れ、耳打ちするように荼枳尼天の傍に近付いた。話を聞くや、荼枳尼天は頭を振るった。

「――稲妻神社で殺人が起きたそうよ」

 それを聞くや、妖怪たちがざわめきだす。

「殺されたのは浬拌と梨奈。殺したのは――朧」

「な、何をいってる? あの子がそんなことできんやろ? それくらいバカでもわかる」

 馬鹿(むましか)がそう云うと、他の妖怪たちも同意するように抗議する。

「――いえ、殺せたとか殺せないとかじゃない。誰も……腹違いのおりんと栢以外、朧が殺したとしか思っていないそうよ」

「そ、それこそ卑怯だっ! いないから疑うのか?」

「そうだっ! それに俺たちが一番よく知ってる。あの子は優しくていい子だ。人を傷付けるようなことはぜったいしない!」

 妖怪たちの言葉を荼枳尼天は無言で遮った。その表情は物悲しく、今にも泣きそうであったため、妖怪たちは言葉が出なかったである。

「私はあの子が小さい時から一緒にいた。あの子には不思議な力があったし、本来黒川は悪鬼を滅することじゃない。悪鬼を赦し、ふたたび間違ったことをさせないために、その力を封じてきた」

「あの子はわたしたちを怖がっていたんじゃなく、二度と人に害を(もたら)さないと信じていた。いや、信じていてくれたからこそ、わたしたちはあの子と一緒にいることが嬉しかった……そうでしょ? みんな」

 呉葉がそう云うと、「そうだっ! おれはあの子に色んな遊びを教えてやった。花札だってそうだ。あいつは妖怪とか人間だとか、そんなもの関係なしにおれたちと一緒に遊んでくれた」

 小豆洗いが叫ぶ。

「お、おれたちがここに……。この村にいられるのも、朧と悪鬼を決して入れないよう結界を張っていた摩利支天のおかげだ。本当の鬼は誰だっ? なにも調べようともせず、ただ一向(いっこう)に殺したのは朧だと決め付けている人間じゃないかっ!」

「そうだっ! 悪いのは朧じゃねぇ。きっと浬拌と梨奈を殺したのだって、朧と皆に決め付けさせる口実で殺されたに違いないっ!」

 妖怪たちが騒ぐ中、荼枳尼天は嫌な予感がしていた。

「ちょっと、鳴狗神社に行ってくるわ」

 そう言い残し、皆の前から姿を消した。

 その時、関東大震災が起きるまで……一時間となかった。


 稲妻神社の巫女と、空川が連れてきた男集は揃いも揃って桑や鉈を持っていた。

 その表情は禍々しく、まさに鬼を狩らんとしている。

「おりんと栢は……」

「知らん。あの子たちは駄目じゃ、朧に魅入られているに違いない」

 最早、誰が浬拌と梨奈を殺したのか、いつ殺されたのかということを調べようとするものはおらず、ただただ朧を殺すがためだけに、宛てもなく村中を歩いていた。

「おいっ! さっきそこで聞いたんだが、朧が老婆に負ぶさって鳴狗神社のほうに行ったらしい」

 男がそう云うと「なんという罰当たりな。宮司を殺しただけになく、自分よりも弱い老婆に運ばせるとは」

「やはり人ではない。鬼だっ! 鬼の所業だ」

「殺せっ! 殺すんだっ!」

「鳴狗神社に行くぞっ!」

 男が(とき)をあげると、皆声を揃えた。


「すまんな朧、ここでジッとしていてくれ」

 夜行は鳴狗神社の一角にある蔵の中に朧を閉じ込めた。

 蔵の中は真っ暗闇で、誰の気配もしない。

「暗いです。寒いです」

 と朧が呟くと、ひとつ、ふたつと火の玉が現れ、周りが明るくなっていく。

「なんじゃ? 誰かと思えば、黒川浬拌の捨て子か」

 奥のほうから老人のような声が聞こえた。

「こっちにきなさい。一緒に遊びましょ」

 肌が雪のように白い淑女が手招きする。

「朧だっ! みんな朧がきたよっ!」

 女性の隣にいた小さな少女が皆に云った。

「荼枳尼天から話は聞いている。わしらがお前を匿ってやろう」

 老人の横にいた着物姿の女性が朧に話しかける。

 ここにいる妖怪たちは、小豆洗いや呉葉同様、朧によって力を封じられた妖怪たちである。

 しかしその力というより、体質によって人を殺めてしまうこともあるため、こうして蔵に封じられていた。

 朧が彼らに近付こうとした時、咄嗟に老人が手を出し、朧をその場に止めた。

「待て……。頼豪(らいごう)、すまんが、蔵の外を覗き見てくれんか?」

「どうかしたのか? 老人火(ろうじんび)

「先ほどから妙な気配がする。ひとつ……いや二十人ほどの足跡がこちらに近付いている」

「朧を殺そうとする人間たちが近付いているというのか?」

「わからんが、しかしどうしてここがわかった?」

「おそらく鳴狗神社に行くのを見られていたのだろうな」

 頼豪がそう云うと「雪女郎、雪童(ゆきわら)……朧を連れて奥に引っ込んでくれ」

「わかりました。ほら朧――」

 雪女郎が朧の手を取るや、「冷たいです」

 と、朧が愚痴を零した。

「冷たいのは当たり前です。わたしは雪の妖怪なのですから」

 雪女郎はなんら気にも留めず、娘である雪童とともに朧を蔵の奥へと避難させた。


「ここにいるのか?」

 蔵の外で声が聞こえた。「ああ。間違いない……鳴狗神社で調べていないのはここだけだ」

 その言葉に、老人火は我が耳を疑った。

「しかしお前さんも悪よのぉ……。ここにいる妖怪たちを暴れさせ、すべては朧がしたことにするとは」

「ここは鳴狗神社の人間ですら入ろうとは思わん場所だ。門を少しでも開ければ、鬼が出てきて人を食らうと言われている場所だからな」

 ガチャガチャと物音が聞こえる。それからズズズとなにか重たいものを引き摺る音。

「すべては朧が悪いのだ――!」

 門は大きな大木によって、壊された。

「いたぞっ! あそこだっ! やつめ、こんなところに隠れてやがったのか?」

 男の一人が蔵の中に入った。

「やめいっ! やめんかきさまらぁっ!」

 老人火が叫ぶが、男は聞く耳持たずといわんばかりに奥へと進んで行く。

 いや、実際に老人火はおろか、頼豪、雪女郎、雪童や、伏魔殿にいる妖怪たちの悲痛な声は聞こえていなかった。

 彼らの声や姿は、朧だからこそ見えていた。普通の人間に見えるはずがない。


 男が朧の手を取った。

「痛いっ! 離してっ!」

 朧が悲鳴をあげる。

「こいつめっ! 親を殺したことを反省もしておらんのか? こんなところに隠れて……恥を知れっ! この鬼めっ!」

 男は朧の体を蹴った。

「おいっ! 見つけたのか?」

 蔵の外から声が聞こえ、「ああ見付かった。こいつちっとも反省してねぇ」

「やはり鬼の子だ。おいっ! そいつをそっちにもってこいっ! みんなで殺しちまおうっ!」

 男はそう言われ、朧の手を無理矢理引っ張った。

 蔵の外に放り投げるように出された朧は、自分の周りにいる人間たちを見渡した。

 人間たちの目は、皆、朧を蔑んでいる。

「こいつめっ!」

 一人が問答無用に手に持った木材で朧を力任せに叩いた。

 二人目も同様に朧を殴る。

「みんなっ! こいつがいると次に何をされるかわからん。おそらく燈明偲が殺されたり、少女誘拐もこいつの仕業だっ! 鬼は殺せっ!」

 まるで(たが)が外れたかのように、次々と男や巫女たちが朧を殴り続ける。

 誰一人その手を止めようとはしない。いつしか朧の声が聞こえなくなっていく。

「まだだっ! まだ息があるっ! 徹底的に殺せっ!」

 男が鍬を朧の頭目掛けて振り下ろした。

 潰れた音が聞こえ、飛び散った血が周りの人間たちに付着する。

「こ……これは穢多の血だっ! これを浴びたものは……鬼に化けてしまう」

 その言葉を聞くや、「う、嘘だ……たすけてくれっ! たすけて――」

 巫女の一人が悲鳴をあげるが、その声も静かに途絶えた。

 最早、朧を殺すことだけになく、血を浴びたもの諸共殺していく。

 穢多の血を浴びたものを殺したもの、それを殺したもの、またそれを殺したもの――といった、輪廻のような状況に、最早この状況は気狂いのなにものでもない。

 この場にいたのは、最早『人間』というには、なんとも悍ましい。


 鳴狗神社の伏魔殿の近くには、夥しいほどの死体が転がっていた。

 それを荼枳尼天が見下ろしている。

 頭を割られ、木材で叩かれ赤々と膨れ上がった朧の死体の周りには、妖怪たちの姿があった。

「朧が……殺された」

 妖怪のひとつがそうつぶやいた。その声は怒りによって震えている。

「朧が殺された……。朧が殺された……」

 輪唱するように、他の妖怪たちもつぶやきはじめた。

「こんなに苦しいことはないっ! こんなに悲しむことは、今まであっただろうか?」

「この子がいったいなにをしたっ? この子がいったいなにをしたというのだっ!」

 荼枳尼天は叫び狂った妖怪たちをゆっくりと見た。

 いや一瞥しただけで、後はもう手を付けようとは思わなかった。

 妖怪たちの形相は禍々しかった。

 それは朧が、自分の体内に封じていた妖怪たちの力が元の主のところに戻ってきていたが、妖怪たちはそんなことを微塵も喜びはしなかった。

 ただ一途に……、朧と一緒にいたことを思い出していた。

 ――あの子は……あの子の人生はなんだったのか……

 朧の死を知った福嗣町の三村に潜む妖怪、神仏たちは、皆、哀しみの咆哮をあげた。


 そして刻は九月一日。午前十一時五八分三二秒。

 福嗣村周辺を、まるで妖怪たちの悲しみと怒りに同調するように大地が揺らめいた。

 その揺らぎは大きく広がり、関東全体を食らうかのように震える。

 これが後に『関東大震災』と歴史に名を残していくとは、この災害で生き延びた福嗣村の人間はいなかったであろう。

 この時にあった事件のことは、誰一人語ろうとはしなかった。

 語れば殺されると思っていたからである。

 誰も殺すわけがない流言蜚語が、それほどまでにこの村の人間の心を蝕んだのだった。


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