弐・通達
「――どういうことだ?」
湖西主任は電話越しの相手にたずねた。その表情は、驚きと同時に安堵している。
「それが我々にもわからないんです。気がついた時には大宮も西戸崎刑事も同じような感じで……」
電話をかけてきた岡崎は、自分たちのおかれている状況をどう説明すればいいのかわからず、言葉がしどろもどろとなっている。
「とにかく無事なんだな? 阿弥陀や佐々木刑事、吉塚はどうした?」
「いいえ、そちらはまだわかりませんが――」
――となると、助かったのは人間の方?
湖西主任はそう考えながら、「一応警視庁に戻ってこい」
と命じた。
電話を切るや、湖西主任は目を細め、「日光、月光はおるか?」
とたずねた。
「――ここに」
と、机で作業をしていた二人の男女が立ち上がった。
二人の胸にはネームプレートがかけられており、女性の方は『菅田月』、男性の方は『摺屋晶』と書かれている。
「話は聞いていたな。大宮たちがどこから電話をかけてきたのか探って迎えにいってやってくれ」
そう云われ、二人はスッと姿を消した。
大宮は、しきりにポケットの中を探っていた。
携帯で皐月に連絡を取ろうとしていたのだが、その携帯が見付からない。
――こういう時ほど携帯って役に立たないな。
と、ためいき混じりにつぶやいたが、そもそも携帯に番号を登録しておいて紙などに書くなどして覚えていない大宮が悪い。
「さてと、ここがどこかわからないか?」
岡崎が周りを見渡す。
公衆電話から警視庁に連絡し、湖西主任のいる鑑識課に連絡をしたまではよかったのだが、近くに住所が書かれていない。
大宮は、ふと公衆電話の近くに――『〇四五』と薄く書かれているのに気付いた。
「〇四五……岡崎、知ってるか?」
「横浜の市外局番じゃないのか? ということはここは横浜ということか」
そんなところにどうして自分たちはいるのだろうかと首を傾げる。
「とにかく場所がわかったんだ」
そう西戸崎刑事が言うと、一台の車が三人の近くで停まった。
そして運転席から女性が降りてくると、大宮たちに近付いてきた。
「警視庁刑事部捜査一課の大宮巡査、岡崎巡査、西戸崎巡査長とお見受けいたします」
女性はビシッと背筋を伸ばし、三人に敬礼する。
「は、はい。たしかに僕たちはそうですが、あの……あなたは?」
「私は鑑識課に所属している菅田と申します。湖西主任の命により、皆さんをお迎えにまいりました」
「迎えに? でも湖西主任に電話をしたのはほんの十分前だけど」
岡崎が首をかしげる。
「――少しこちらのほうに用がありましたので、そのついでに」
「とにかく帰られるっちゃけん、乗せてってもらおうや」
西戸崎刑事がそう言うと、「たしかにそうですね。湖西主任も戻ってこいと云ってましたし」
岡崎もそれに同意し、西戸崎刑事たちは月の車へと乗り込んだ。
「でも、どうして横浜なんかに?」
車中で大宮が首をかしげる。
「犯人がここまで連れて来たっちゃろ? まぁ助かったっちゃけん、いいんやないんか?」
西戸崎刑事がそう云うと、岡崎も答えるように頷いた。
――〇四五……なんか引っかかるな。
大宮がいぶかしげな表情を浮かべているのを、月はバックミラー越しに一瞥していた。
「大宮くんたちが無事だった?」
稲妻神社の母屋から拓蔵の声が響きわたっている。隣にいる毘羯羅も驚きを隠せずにはいられなかった。
「それが妙なんじゃよ。助かったのは大宮に岡崎、それと西戸崎……後のみんなはまだ見つかっておらん」
電話で話しているのは湖西主任である。
「波夷羅は大宮さんたちが行方不明になった後、私たち十二神将と一緒にいましたから、誘拐した犯人は波夷羅や阿弥陀如来さま、懸衣翁が人間ではないことを知ってるということではないでしょうか?」
電話の内容を聞いていた毘羯羅がそう湖西主任にたずねる。
「それと、妙なことに三人がいたのは横浜なんじゃよ」
「――横浜? 何か関係しておるのか?」
「いや、大宮や阿弥陀を誘拐したのがぬらりひょんの仕業だったとしても、横浜には特になんの繋がりもないはずじゃよ」
「横浜に知り合いはいても、親戚はおらんしなぁ……。健介くんの両親だって埼玉の方じゃったはずじゃし」
拓蔵は首を傾げる。
『さぁ今日の占い。携帯公式サイトにあなたの誕生日を登録し、算術した結果によって……』
点けっ放しになっていたテレビから漏れだす声が、湖西主任の耳元に聞こえた。
「なんじゃ、ちょうど占いの時間だったか?」
現在朝の八時少し前。番組が終わる二、三分前に占いが流れる。
居間には拓蔵と毘羯羅の姿しかなく、三姉妹はすでに学校へと出かけていた。
「算術……?」
と、毘羯羅が首をかしげる。
「たしか、自分の生年月日をひとつずつ足していって、一桁になるまでするんじゃったかな?」
拓蔵もあまり詳しくはない。というより占い自体に興味がなかった。
「その番組、たしか生年月日は年号じゃなく西暦じゃったな。たとえばそうじゃな……『元禄大地震』を例に出すと、発生したのは元禄十六年十一月二十三日。西暦で直すと、一七〇三年十二月三十一日じゃな」
西暦に直した時に日にちがずれているのは、当時は閏月というものがあり、その前年である元禄十五年に閏八月があったため、一ヶ月ほどずれが生じている。
「――ちょっと待ってくれ。自分で言っといてなんじゃから、少し計算してみるわ」
そう言うや、湖西主任はがちゃがちゃと物音を立てる。
「――っと、えっとな『九』じゃな」
「そうか。まぁ、大宮くんたちと関係があるかどうかわからんし、皐月たちには全員が帰ってきてから教えておくよ」
拓蔵はそう云うと、一言挨拶を交わし、電話を切った。
――……っ? たしか横浜の市外局番は〇四五じゃったな。計算したら、同じ『九』じゃないか?
そう考えたが、それがどう繋がっているのか、拓蔵は気付いていなかった。
「――どういうつもり?」
田心姫がぬらりひょんを見る。その表情は険しい。
「阿弥陀如来やその部下、仲間を幽閉させていたのに――どうして?」
「囀るな。解放したのは人間のほうだからな。支障はない」
ぬらりひょんは、ゆっくりとした口調で言う。
「それにどうして横浜なんかに? あそこにはなんの関係もないでしょ?」
「ああ、お前の言う通り、横浜なんぞになんの因果もない」
「それじゃぁ、どうして?」
二人の会話を聞いていた瑠璃がそうたずねる。その膝には響の姿があり、遊び疲れて眠っていた。
「私はな……、朧を殺したいのだよ」
「朧を? でもそれは一生叶わない夢ではないのですか? あなたと朧は違います。人間と妖怪の寿命の違いくらいわかってるでしょ?」
瑠璃が怪訝な表情でたずねると、「それくらいわかっている。私が殺したいのは……朧を殺した荼吉尼天だった」
「――荼吉尼天?」
と、田心姫は聞き返した。
「稲妻神社に祭られている宇迦之御魂神の本地仏は荼吉尼天であることくらいは知っておろう」
そう聞かれ、瑠璃と田心姫はうなずく。
「私が朧に始めて会ったのは、おりんや栢を巻き込んでしまったあの事件から遡って二ヶ月ほど前のことだった」
ぬらりひょんはそう云うや、スッと立ち上がり響に近付く。それを瑠璃は避けるように響をかばう。
「安心しろ。私の目的は最早叶わないことくらいわかっている」
その言葉の真意に、田心姫はおろか、瑠璃さえ気付けなかった。
夜泉総理が事故死してからの三日間。テレビではそれに関するニュースが引っ切り無しに流れていた。
ニュースのほとんどはタンクローリー車の運転手によるミスが原因とされていたが、新聞を読んでいた波夷羅は、そうとは思えなかった。
「波夷羅、どうした?」
鑑識課から出てきた湖西主任が波夷羅に声をかける。
「いえ、少し気になりまして、たしか彼は拓蔵さんの知り合いでしたね?」
「知り合いというより、事件で知り合って趣味が合ったんじゃろうなぁ、それで意気投合したんじゃよ」
「拓蔵さんって、どうも人を引き付ける魅力みたいなものがありますよね?」
「あるというより、飾り気がないだけじゃよ?」
湖西主任はあっけらかんと答え、「じゃから閻魔王は拓蔵に惚れたんじゃろうよ」
と続けた。
「――子供だからですかね?」
「さぁな。もしそうだとしたら人の痛みが誰よりもわかっておるからかもしれんよ」
「すみません、灰羅警部補と湖西鑑識官にお客さまが来ておりますが?」
二人の会話を遮るように、入り口の方から声をかけられ、二人は首をかしげた。
云われた通り警視庁のロビーの方に行くと、そこには大威徳明王と、従者である摩虎羅の姿があった。
「日光から聞いたぞ。大宮巡査たちが見付かったそうだな?」
「ああ、ただ見付かったのは人間の方だけじゃがな……」
「――なにか意図的な感じがしますね」
「摩虎羅もそう思うか。しかし彼らを消していたのはいったい」
「ぬらりひょん……という訳ではないのか?」
大威徳明王がそうたずねる。湖西主任は一度咳払いし、「もし出来るとしたら、摩利支天がしたのかもしれん」
その言葉に、三人はギョッとする。
「――なにを根拠に?」
「たしかに根拠はないよ。しかし、ぬらりひょんの力は『他人に屋敷や店の"主"と思わせる』だけじゃったはずじゃ。つまり、人を隠すことはまず出来んはずなんじゃよ」
「しかし、以前虚空蔵菩薩さまがぬらりひょんは名前を偽って……」
摩虎羅はそう云うや、言葉を止める。
「その名前を書いたのがぬらりひょんではなく、違う人間だったら……」
「しかし、どうしてそんなことを?」
「六年前の事件。三姉妹からは聞いておらんのじゃろ?」
「聞きたくても聞けませんよ。あの事件は彼女達にとってトラウマみたいなものですからね。一番被害を受けている皐月さんも立ち直っているとはいえ、思い出したくないことだってあるでしょう」
摩虎羅の言葉に、湖西主任はうなずく。彼とてそうであったからだ。
しかし、本来現世のすべてが見れるはずの浄玻璃鏡において、その事件の全貌を見ることができない。だからこそ、当事者である三姉妹に聞きたいのだ。
――大宮たちが帰ってきてからでも……
湖西主任はそう考えたが、すぐにその考えを払い除けた。