漆・終選る
阿弥陀が老人の家に行ってから、皐月は弥生と遊火を連れ、通り魔事件が起きている場所へと来ていた。
目を瞑り、神経を集中して警戒しているが――何も感じない。
「やっぱり妙よね?」
皐月は弥生を一瞥する。
「やっぱり遊火の云う通り、もうかまいたちはいなくなってるのかしら?」
弥生は隣にいる遊火を見る。
「わかりませんけど……」
そう遊火が云った時だった。
ゾクッとするような冷たい風が地面から吹き荒んだ途端、皐月の袴は奇妙なまでに切り刻まれた。
体勢を立て直し、気配も感じず、見えない何かとの間合いを保ちながらも防戦一方だった。
「護形・護光の袋っ!」
刀を×字に構えると周りには光の布が現れ、皐月を護る様に包み込んだが――。
「――えっ?」
風の刃によって光の布は切り刻まれ、その名の通り『布切れ』となり消滅した。
そして零れ弾に当たったかの様に、皐月は吹き飛ばされ、コンクリートの壁に背中を打ちつけた。
「皐月ぃ!」
弥生が呼びかけるが、皐月の意識は朦朧としていた。
冷たい風が皐月の周りに吹き荒れ、彼女を殺そうとした時だった。
皐月が死力を尽くして振り上げた刀の刃が、何か別の刃とぶつかる音がした。
その先を見るや、小さな動物のようなものが見えた。
「――いたち……」
「それじゃ、やっぱり通り魔事件の犯人って……」
かまいたちだったのかと三人は思ったが、妙だった。
「でも、それならどうして何も感じなかったんですか?」
遊火の言う通り、犯人が妖怪だったのなら気配を感じられたはずだ。
「もしかして、妖怪になりかけていた? そしてその力のコントロールが出来なかった」
皐月と弥生、そして遊火の話を待たず、いたちはその爪で皐月の脹脛に切り刻んだ。
痛みが走り、崩れる様に倒れた皐月は、さすがにヤバイと思ったが、いたちは皐月から離れていく。
そしてどこから出てきたのかもう一匹が姿を見せていた。
何かを探しているのか、頻りに首を動かしている。
「もしかして、もう一匹を探してる?」
それは言い得て妙だった。二匹のいたちは耳を澄まさないと聞こえないほどの可細い鳴き声をあげている。
しかし耳が悪い皐月でさえ聞こえるほどの音にも拘らず、弥生と遊火は耳を塞いでいないため騒がしくはない。
途端、弥生の携帯がけたたましく鳴り響いた。
その音に吃驚したのか、二匹のいたちはそそくさと逃げていく。
「まっ……!」
皐月は追いかけようとしたが、足に痛みが走り思う様に立てない。
その後、大宮が車でやって来て二人を乗せ、車を走らせる。その先は、沢口修造の家だった。
開けられた部屋の中には奇妙なものがあった。
「――ゲージ?」
それは動物を入れる籠が三匹分あり、ご丁寧に名前までつけられている。
「何もかも腐ってますね」
近付けば近付くほど、鼻を曲げるほどの異臭を放っている。
そして動物と思われる白骨死体が床に転がっていた。
「これをあの子達は探していたってこと?」
それを答える様にどこから入ってきたのか、スーと二匹のいたちが現れ、白骨に寄り添う。
「かまいたちは一匹でもあり、三匹でもある。でもそれじゃぁ、どうして皐月の友達は怪我をしたのに翌日には怪我が治ってたのかしら?」
弥生の言葉がわかったのか、一匹のいたちが弥生の足元に寄り付く。
弥生は驚いて除けようとするが、「大丈夫。その子たち元々から敵意はなかったみたい。ううん、私が敵意を見せていたのが駄目だったみたいね」
大宮に肩を貸してもらっている皐月がそう云う。
「だって、もしその子達に敵意があったなら、あの時私の顔を切り刻んでいたはずだから」
その問いに答える様に、いたちはいつの間に開けられたのか、違う部屋へと案内する。
その部屋は壁一面が切られており、置かれている家具や衣服も同様だった。
「これが五年前に起きた事件の現場って事ですか?」
大宮が入ってきた阿弥陀を一瞥し、問い掛ける。
「大宮くん、急いで鑑識班を。ちょっとまずいことになってましてね、自殺してるんですよ。隣に住んでいた老人が……」
「自殺って……、一体どういう?」
弥生にそう訊かれ、阿弥陀は煙草を咥えるや、一服する。
「首吊り自殺。遺書には沢口希を通り魔事件に見せかけて、背後から金槌で頭を強打した」
「それじゃ顔を切り刻んだ事は?」
そう尋ねるが、阿弥陀は首を横に振った。
つまり顔を切り刻んだのは別にいるという事だが、それが何なのかはすぐにわかった。
「もしかして、この子たちが?」
大宮はそう云うが信じられなかった。
「それと調べてみて妙な事があってですね。死体が少しばかり変色してたんです。私たちが老人と会ったのは今日の午後五時くらい。死体は変色していた事から死後一日以上は経っていたという事になるんです」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ? 一日? だって僕と阿弥陀警部がそのおじいさんに会ったのって」
大宮の言う通り、計算が合うはずもない。
「沢口希を殺した後に自殺したものと考えたら……、ご丁寧に遺書の横には血がついた金槌がありましたからね。老人が殺したと考えてもいいでしょう」
しかし昨日死んでいたとしたら、阿弥陀と大宮が今日の昼頃、老人を見る事は不可能になる。
「そう云えば、老人が妙な事を言ってましたなぁ。いや、そう考えてもいいですかね?」
それはあの時老人が言った言葉だった。『いたちは狐や狸と一緒で人を化かすって云われている』
それが妙に当たっていた。
するとあの老人はいたちが見せていた幻だろうか……。
「皐月、どうする? 今回に限っては罰するのも」
弥生がそう尋ねると、皐月は二匹のいたちがどうして自分を殺さなかったのかが気になっていた。
気配を消し、剰え皐月を倒している。少なくとも皐月よりかは強い。
「あなたたちは老人が沢口希を殺す事に気付いていたって事?」
二匹のいたちは白骨死体に寄り添い、皐月と弥生を見ていた。
それを見て、皐月は最初から覚悟しての事だったと悟る。
「閻獄第五条十一項において、己が力で人を騙した罪によりそのものら三匹を大叫喚へと連行し」
皐月は振り上げた刀を二匹のいたちに振り下ろした。
「その前に閻魔さまにお願いして、あなたたちの大好きな飼い主に逢いなさい」
皐月が少しばかり微笑み、そして横一文字に切ったがいたちの影はそこにはなかった。
「また大雑把な連行ね? 十六小地獄のどこなのかも云わないで」
弥生が呆れたように云う。大叫喚地獄に限らず、すべての地獄には十六の小さな地獄を纏めたものが八つある。
罪状によってその深さは異なり、また条件によって連行される場所も変わっていく。
皐月は本心ならば、それよりも罪の軽い地獄にしようとしたが、少なくとも人を傷つけている以上それが出来なかった。
「でも瑠璃さんがどうにかするかでしょ? 運良く逢えればいいけど」
そう云いながら皐月は気を失う様に倒れた。