参・温故知新
「皐月、携帯鳴ってるわよ?」
鳴狗寺の境内にある武芸場で、信乃や海雪と稽古をしていた皐月に信乃が尋ねた。
携帯の着信音がけたたましく鳴っており、信乃と海雪は耳を塞いでいる。
しかし、耳が若干不自由な皐月にとっては、音量が携帯音量の大体一、二くらいの音量でしかなかった。
「いいから早く出て、煩くてかなわないから」
海雪が愚痴を零す。皐月は稽古を中断し、バックから携帯を取り出した。
そして、着信相手を見るや、首を傾げた。
「――なんで、浅葱から?」
携帯の液晶に写っている着信には『浅葱』と出ている。
皐月はその名前に心当たりがあるのだが、どうして持っ|《、》て《、》いるのかがわからなかった。
――いたずら……。でもなさそうだし、ワンキリだったら着信は一回だけだしなぁ。
あれこれ考えるより、出た方がいいだろうと、皐月は電話に出た。
「もしもし……」
そう声をかけると、「うわっ! 本当に出た! たしか電話が出来たのって明治の始めくらいだから、それがこんな頼りない機械で出来るなんて、人間の進歩ってすごいわ」
と、電話先の少女は驚きを隠せないでいた。
「そりゃ、あんたが生きていた江戸時代から考えたら、すごいでしょうね?」
皐月は呆れた表情で云った。
「そりゃそうだけどさ、テレビやラジオにしたってそうでしょ? やっぱ人間の……」
浅葱の話を聞きながら、「そろそろ本題に入ってくれない? こっちはぬらりひょんを倒さないといけないから、その稽古を……」
皐月は苛立った口調で言い放った。
「こっちははじめて見る携帯で電話しているんだから、少しくらい付き合ってくれたって……」
「――特に用がないなら切るわよ?」
皐月はつっけんどんな口調で言い放つ。
「わかった。わかったから……。実はね、牛頭野っていう占い師がいるんだけど、聞いたことない?」
「――ごめん、全然知らない」
皐月がそう答えると、近くで耳を傾けていた信乃が、「あ、あんた知らないの? 牛頭野って結構有名な占い師よ?」
と、驚いた表情で詰め寄る。
そう云われても、F1レースの中継と、時代劇や、それらを題材にしたドラマやアニメ(信乃の影響で)くらいしかテレビを見ない皐月である。
「そんなに有名な人なの?」
「有名も何も、占った人は幸せになるとか、本人にしか知りえないことを言い当てるとか、まるで運命が見えているみたいな、云ってる私もわからないくらい、とにかくすごい占い師で有名なのよ」
「わたし占いとか全然信じないからなぁ……。で、その牛頭野だっけ? それをどうして橋姫のあんたが私に尋ねるの?」
皐月は電話越しの浅葱に尋ねる。
「皐月、人の牛と書いて、なんて読むかわかる?」
突然そう云われ、「えっと、事件の『件』だっけ?」
「そう。でもそれはある妖怪が現れてから作られた漢字なのよ」
「ある妖怪ねぇ……」
皐月は信乃を見やった。
「多分、件じゃないかな? 牛から生まれると云われている件は、牛の体であるが頭は人だから、人を意味する『人偏』に牛と書かれてる。」
「それがどうして内容を意味する『件』と異音同義になるの?」
「件は豊凶や流行病などの不幸なことが起きると報せる妖怪と云われていて、その内容を言った数日後に死ぬらしいわよ。まぁ、それはオスのほうで、メスはちょっと違うけどね」
「――どう違うわけ?」
「そもそもメスの件は牛頭人体で、牛から生まれるオスとは違って、人間から産れると云われてる。役割はオスが云った凶行を回避する術を教えるって」
皐月は信乃の話を聞きながら、電話に耳を傾けた。
「……で、その牛頭野が件だって云いたいわけ? 浅葱は」
そう尋ねると、「私は妖怪でありながら、祭られてる神だからね。まぁ、ちょっとテレビで写ってて、ピンと来たというか」
浅葱、もとい橋姫は恨みを持った女性が男を殺すために成り果てた悪霊と言われている。
が、浅葱は自らの意思で、橋を建てる時に使われた人柱となったので、多少異なっている。
「同類ねぇ。でも話を聞いてると、数日で死んでたら、有名にならないでしょ?」
「いや、あくまで伝承だからね。長く生きてる件がいても、それはそれで可笑しくないんじゃない?」
確かに橋姫でありながら、恋人の幸せを願っている浅葱が橋姫をやっているのだから、それもありなのではないか……。
「わかった。それじゃ本題に入ろう」
皐月にそう云われ、浅葱は一度咳払いをした。
「実は先日、ある企業の社長が逮捕された。不正行為によってなんだけど、それを牛頭野がある人を庇っているってテレビで云ったらしくてね」
「それ、私もネットで知ったけど、でもそれからまったく報道されなくなったわね?」
そう云うや、信乃は首を傾げた。
「されないんじゃなくて、出来なくなったのよ。警察が報道を指し止めしたらしいの」
「そうなんだ……。ってか、なんでそんなことを浅葱が知ってるのよ?」
皐月がそう尋ねると、「いや、偶然浅葱橋を渡っていた人がそう話してるのが耳に入ってね」
浅葱は困った口調で言う。
「警察かぁ……こっちは湖西のお爺ちゃんから大宮巡査のこと聞きたいのに」
皐月はうっすらと涙を浮かべる。
「まだ音沙汰なしなんだ」
信乃がそう尋ねると、皐月は小さく頷いた。
「でも、警察はなんで報道を指し止めにしたんだろ? 別に可笑しなところはなかったしなぁ」
「そこまでは私も知らないわ。詳しいことは波夷羅大将にでも聞いてみたら?」
浅葱はそう云うと、電話を切った。
「いったい、何が言いたかったんだろ?」
皐月は音のしない携帯を見ながら呟いた。
「波夷羅って云ったら、十二神将の辰神じゃなかった?」
海雪はうしろにいる因達羅に尋ねた。因達羅も同じく十二神将である。
「はい。確かに波夷羅は阿弥陀如来さまや、愛染明王さま、薬師如来さまとともに、権化となって警視庁にいますが」
「あ、改めて聞くと、すごいメンズよね。瑠璃さんも警視庁にいたって言うんだから、仏教の如来・菩薩・明王・天部がいたってことになるんだ」
信乃は驚きながらも、若干呆れた表情で云った。
「まぁ、その理由はあの大災害を警戒してのことだったからね」
海雪がそう云うと、因達羅と真達羅は答えるように頷いた。
「そういえば皐月はん、毘羯羅はどうしたんや?」
真達羅にそう尋ねられ、「うーん、なんか十王に用があるとかいって地獄に戻ったけど、あれから戻ってきてないなぁ」
「すこし、引っ掛かりますね。――ヴリトラ」
因達羅がそう云うと、何処からともなく暖かい風が吹き出し、それが因達羅の横で渦を巻くように留まった。
そしてその渦の中から、因達羅と同様に忍装束を身に纏った少女が姿を現した。
「――ここに」
ヴリトラが姿を現すや、皐月は肩を窄めた。
ヴリトラの肩には、斑柄の大蛇が纏わりついているのである。
「あ、そういえば皐月って、虫とか爬虫類って駄目なんだっけ?」
信乃がそう云うと、皐月は涙目になりながら、激しく頷いた。
「まぁ、仕方ないですよ。私は十二神将の巳神ですし、ヴリトラは巨大な蛇ですからね。それに摩虎羅だって元は蛇ですから」
因達羅がそう説明すると、「蛇神ってこと?」
信乃がそう尋ねると、因達羅は頷いた。
「大丈夫ですよ。何事もちょっかいを出さなければ仕掛けてはきませんから」
ヴリトラがそう宥めるが、「それでも蛇はいやぁっ!」
と、皐月は悲鳴をあげた。
「皐月、そんなこといってたら、拓蔵さんが貯蔵庫に何を入れてるかわかってるの?」
海雪にそう云われ、皐月はハッとする。
「あ、拓蔵さんが蝮酒を作ってないとは限らないし、蟒蛇って云われてるしねぇ……」
信乃が悪戯っぽく云う。皐月は全身の血の気が引いていくのを肌で感じた。
「――ヴリトラ、話はだいたい聞いていましたね」
信乃と海雪が皐月をからかっている中、因達羅はヴリトラに尋ねた。
「少し毘羯羅を呼び戻しに行ってくれませんか?」
そう命じられ、ヴリトラは再び風となって姿を消した。